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【ゲーム感想】スカイリムSE
at 2017-12-09 11:48
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at 2017-11-24 21:51
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【映画感想】イット
at 2017-11-10 23:27

【ゲーム感想】スカイリムSE

先週のSteamのオータムセールのタイミングでスカイリムSE(リマスター版のやつ)を買ってみた。アメリカ製のRPGらしいRPG(TRPG的な意味で)を、TRPG大好きおじさんとして一回遊んでみるかというくらいのつもりで買ったのだが、めちゃくちゃ面白くて、ひたすらこれで遊んでしまっている。

スカイリムというゲーム自体は最早6年くらい前のゲーム。スカイリムSEはそのHDリマスター版として去年発売されたものらしい。なので画質とかは問題無いし、追加DLCとかもオールインになっているので、今更買うのも悪くは無かった感じ。個人的にあくまでリマスター版だからか、そこまで高スペックのグラボが要求されずに、今使っているPCでも特に画質を落とさずサクサク遊べるのが良かった。

とりあえず海外のオープンワールド系アクションRPGを遊ぶのは初めてでは無いが、王道のファンタジー系RPGな内容と、圧倒的なボリュームに感動している。ついでに、再来週に発売されるD&D5(日本語版)の購買意欲も更に高まった。

ストーリー

舞台はスカイリムという北ヨーロッパっぽい国。スカイリムはローマ帝国っぽい巨大帝国が支配する領土の1つで、帝国に自治を認められたノルド人(ノルマン&ケルトみたいな雰囲気のスカイリムの現地人)の首長が各地方をそれぞれ治めている。

そのノルド人の間ではノルド至上主義的な民族独立の機運が溜まって来ていて、少し前にストームクロークという勢力が反乱を起こして、現在スカイリムは内戦状態にある。

そんな動乱の時代に、最早伝説と化していた存在のドラゴンが何百年ぶりかに出現し、スカイリムの各地を襲う。そして、この歴史が変わるタイミングに、ドラゴンと同時にふらりとスカイリムに現れたのが主人公という訳だ。

単純に人間VS魔王軍みたいな話では無く、帝国VS反乱軍という人間同士の動乱なので、ノルド人の中でも、帝国支持者とストームクローク支持者に別れていたりするのが面白い。更に掘り下げていくと、状況は複雑でストームクロークの背後には密かに帝国の力を削ごうとする外国の陰謀もチラついていたりする。それ以外にも、混乱に乗じて色んな勢力が出現したり、陰謀を巡らせたりする。

ちなみに主人公はドラゴンボーンという、倒したドラゴンの魂を吸収できる伝説のドラゴンスレイヤーの能力を持っている。ドラゴンの出現自体が何百年ぶりなので、もちろん主人公もそんな能力の存在には初めて気付く。

なので主人公はドラゴンボーンという伝説の勇者(かもしれない)的な立ち位置でスカイリムに関わっていくことになる。突然のドラゴン出現の謎や、主人公の能力、そしてこのタイミングに主人公がスカイリムを訪れた運命についてを、探っていくというのがメインシナリオの1つになっている。

ゲーム性

安直な表現をするなら、オープンワールドのファンタジー系RPGをモンスターハンターでやっている感じ。ドラゴンに襲われたり、鉱石を掘っている時なんかは特にモンハン感がある。

ただ、基本的にはモンハンと違って襲って来る敵は熊とか狼とかサーベルタイガーみたいな哺乳類だし(デカい蜘蛛とか、ギザミみたいな巨大甲殻類もいるが)、メインの敵は何といっても人間も含めた人型種族なのである。

あとモンハンとの違いで言うと、満腹度とか寒さとか刀の切れ味みたいな概念は無い。その代わりに色んな魔法を使えたり(道案内魔法だとか、鉄を金に変える魔法なんかも)、エンチャントされたアイテムがあったりする。

また、レベルアップの概念があるのでアクションゲームとしては、モンハンと違って難しく無い。技能毎に熟練度とスキルツリーがあって、レベルアップでスキルを取得していくと、自然と強くなりアクションゲームとしては簡単になっていく。例えば弓術でいうと、弓を引く時間が短縮されたり、焦点ズームが出来る様になったり、ズーム中にスローモーションが出来る様になったり、威力上昇ボーナスがついたり、クリティカル率が上昇したりとそんな感じ。

一応、敵味方のダメージ率を調節する形でアクションゲームとしての難易度を選べる形にはなっているが、あくまでアクションゲームの部分はシミュレーションゲームの一部というかおまけ要素なんだろう。なので、歴戦の勇者なのにプレイヤーのゲーム技量が拙いせいで、歴戦の勇者っぽいロールプレイが出来ないという事は無い様になっている。スキルの上昇で、自然と強キャラのロールが出来る仕様なのである。

ちなみにゲーム難易度を上げたいなら、選択肢の多いゲームなので、武器強化やエンチャントを利用しないだとか、防具を付けないだとか、魔法を使わないだとか、従者(くそ強い)をつけないだとかの縛りプレイをすれば幾らでも調節はできそうではある。

RPGとして

ストーリーは取捨選択可能で分岐もあるメインとなるシナリオが数本に、各地方の町やダンジョンを舞台にしたシナリオと細かいクエストが沢山用意されていて、更にランダム発生的なイベントもある。

いうなれば、時間無制限で食べ放題のシナリオのバイキングといった感じ。この世界を舞台にした考え付く限りのシナリオを用意しておいたので、食い尽くせるもんなら、食い尽くしてみろやというスタイルだ。

もちろん、バイキングなので好きなものだけ食べるのも良いし、1時間で買えるのもよし、延々と居座って食べ続けるのもよしである。逆に食べつくすというのは不可能に近い印象がある。

コース料理にすることで、プレイ時間を引き延ばすJRPGとは全く異なる思想だなと感じる。コース料理だと、面白くない展開が続くと苦痛だが、これなら好きなものだけ食えるのである。

またシナリオ以外でも、ゲーム内書籍が読めたり、NPCが語る伝承や、遺跡なんかを通じて膨大な背景ストーリーが楽しめる仕様になっている所なんかは割と恐ろしい。

遊びつくせないほど膨大なストーリーと選択肢を盛り込む事で、自由にストーリー生成ができないというコンピューターRPGの限界を物量で突破したこういうストロングスタイルは正直凄い。TRPGが創作の自由度を楽しめるのに対して、このスタイルでは消費の自由度が楽しめる。

結果的にロールプレイの自由度も確保されているというか、ロールプレイング(何を食べるか)の軸が無ければ、選択肢が多過ぎてすぐに飽食してしまうのである。なるほど、確かにこれはロールプレイング・ゲームだ。

とにかく面白いゲームなので、一度プレイして損は無いはずだ。クリスマスセールにでも買ってみて欲しい。


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# by cemeteryprime | 2017-12-09 11:48 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ジャスティスリーグ

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ストーリー…?ドラマ…?正義の在り方…?ヒーローとは…?そんな下らねーモンより、やべぇースーパーマンを観せてやるよ…。

そんなザック・スナイダー監督が贈る、DCエクステンデッド・ユニバースのスーパーマン映画第3弾!それが映画『ジャスティス・リーグ』である!

映画の感想としては…中々面白かった!というのが正直な所だ。といっても、第3弾ということもあって、ザックがやりたいことがようやく明確に見えてきたという要素と、ジョス・ウェドン(アベンジャーズの監督)によるテコ入れがあってそれなりに観れる映画になっていたからという要素が大きいんだろうけども。

以下、完全にネタバレ含みます!

思うにザックのDC映画がコケた理由は、みんなは当然の様にこうしたヒーロー映画にストーリーだとか、ドラマだとか、楽しさだとか、マニアの場合は正義のあり方とか、ヒーロー像だとかを求めたのに対して、ザックは単にスーパーマンのヤバみを描こうとしたというズレが大きかったのでは無かろうか。まぁ、誰もスーパーマンにそんなものを求めてなかったので確実にザックが悪いんだけども。

ザック・スナイダーの中ではパワーは尊い。パワーこそ正義。神はパワーである…みたいな公式が成立しているのでは無かろうか。だからこそ、ザックの中ではスーパーマンは尊くて、正義で、神なのであり、そうしたヤバさを映画で描こうとしてきたと思われるのだ。どちらかと言えばそれはヒーロー的な格好良さというよりは、怪獣的なクールさでもある。

今作では、新たにアクアマン、フラッシュ、サイボーグといった超人メンバーが加入してくる。それ故に、相対的にスーパーマンのヤバさが更に際立つという内容になっている。ちなみに、今作で描かれるスーパーマンのヤバさはこんな感じだ。


ヤバいポイントその1

死んだのに蘇る。

ヤバいポイントその2

高速が売りのフラッシュと大差ないレベルに高速で動ける。

ヤバいポイントその3

ジャスティス・リーグの面々が苦戦し、アマゾンとアトランティスの軍勢も余裕で蹴散らした強敵宇宙人を単体で軽くボコれる。



…う~ん、ヤバすぎぃ~!!


フラッシュが超加速中してる最中に、スーパーマンが同じ速度の世界に侵入してくるシーンは、完全にジョジョ第3部のディオVS承太郎という感じで、最高にゾワッとした。承太郎が侵入してくるんじゃなくて、圧倒的強者のディオが侵入してくる構図なので尚更ヤバさしかなくて良かったです。

ただ、今作だけ観て面白いのか?というと、単体映画としてはやっぱり微妙な気がするので、ヤバすぎるスーパーマン三部作というコンセプトを理解しつつ全部観るのが正しい気はする。

ただ前作を観ないと内容が判らないとかいうと、観ても分からん所は分からない、相変わらずDCファン以外を余裕で置いてけぼりにする内容なので、その辺は逆に気にしなくても良いとは思う。


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# by cemeteryprime | 2017-11-24 21:51 | 作品・感想 | Comments(0)

【クトルゥフ神話TRPG】ボディイメージと数値

クトルゥフ神話TRPGはダイスを振ってキャラクターを作る。色んなキャラクターをロールプレイングしてみた方が楽しいので、キャラメイクにこうしたランダム要素が採用されている。

とは言え、先にやってみたいキャラクターのイメージが何となくある場合もあるだろう。そんな人の為に、キャラクター身長と体格のイメージから数値を弾き出すテンプレートを作ってみた。

男性の筋肉隆々はプロレスラー並みの筋肉(アメコミ風)のイメージで、スリムは痩せた運動不足のホワイトカラーをイメージしている。女性の方の筋肉隆々は、ムキムキの女格闘家をベースにした。デブは、あきらかにこれはぽっちゃりを通り越してデブといえるくらいの肥満体のイメージしている(男性はBMI35、女性はBMI30で計算)。筋肉隆々に関しては、特に脂肪は加算していないので、脂肪の鎧をまとわせたい場合はSIZを上昇させていけばいい。


具体的な数値の計算方法としては現実のサンプルモデルの身長と体重のデータから目安のBMIを抽出して、各身長に適用してそこから重量(SIZ)を強引に弾き出した。関係無いけど、マーベル・アベンジャーズ事典にはキャラの身長と体重のデータも載っているんだけど、女性キャラは戦闘タイプのキャラでもだいたいモデル並みのBMIでした。

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# by cemeteryprime | 2017-11-18 17:13 | TRPG講座・考察 | Comments(0)

【TRPG】キャラクターと世界観

キャラクターの内面性を考える時、避けて通れないものがある。それはキャラクターの世界観である。

例えば、そのキャラクターが合理的で計算高いか夢見がちかの違いはどこから来るのだろうか。または、無責任でいい加減な性格と自分に厳しく努力家な性格の違いは何だろうか。これは単純に頭が良い悪いとかいった能力的な問題ではなく、生き方の問題である。IQが高いとユニークで自由奔放な性格になりやすく、IQが低いと面白みがなく閉鎖的な性格になるみたいな傾向はあるらしいが…。

内面性とストーリー

人の自我とは、一種のストーリーだという考え方がある。あらゆる考え方や趣味趣向と言ったものは、基本的には特に科学的な根拠の無い思い込み(ストーリー)に基づいている。そういう意味では、人の内面性というのはストーリーの集合体とも言える。

では、以前の記事で使ったキャラクター類型を使って具体的に説明してみよう。

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暴食の属性を持つキャラクターの場合であれば、恐らくは以下の様な思い込みを抱えているはずである。

  • 快楽は善であり、幸福とは快楽である。
  • 我慢は体に良く無い。
  • 一度きりの人生は楽しまなければ損である。
  • 退屈は悪である。つまらないモノに価値は無い。
  • 美味い食べ物は人を幸せにする。

このキャラクターの世界観はこうしたストーリーで構成されている。それ故に、言動に上記の様なネガティブな特徴がみられるという寸法だ。

では、こうしたストーリー(思い込み)は、どこから来たのだろうか。そして、なぜこのキャラクターは、こうしたストーリーを信じているのだろうか。こうした認知の歪みが生じた原因は幾つかパターンが考えられる。

思い込みが生じる原因

1つは教訓としてのストーリーである。人は恐ろしい目に遭ったり、失敗した際に、二度と同じ目に遭わない為の方法を考える。例えば、嫌な事があった時に美味いモノを食べたり、楽しい事をすることで綺麗に忘れて気分転換が出来たとする。すると、次にまた同じような状況になった時にも、同じ方法を試すはずである。

また、努力は報われると信じて辛く禁欲的な生活を続けたまま、遂に報われることなく後悔しながら死んだ人が身近にいたとしよう。そういう人を見ていれば、同じ目には遭いたくないと考えるので、楽しめるうちに楽しむべきであるという話が真実味を帯びてくる。

人前を意見で述べた際に、周囲から嘲笑された経験があれば、出しゃばるのは良く無いと考える様になるはずだ。一方で、賞賛を得た場合は、感じたことは素直に発言するのが良いと考える様になるだろう。

2つ目は成功体験から来るストーリーである。有名な故事に『株を守りてウサギを待つ』という話がある。偶然、切り株に激突してウサギが死んだのを目撃した農民が、待ってればまたウサギが無償で手に入るのではないかと期待して、禄に畑仕事もせずに毎日切り株の前で待機する様になる笑い話である。特定の色のネクタイをしていると商談が成功するみたいなジンクスもこの手のパターンに含まれるだろう。

それ以外にも、例えばそれをすることで人に褒められたという成功体験があると、その行為が好きになる。その行為は人を幸せにする良いモノであるというバイアスが掛かる。

3つ目は、見たくない事実から目を背ける為のストーリーがある。例えば、親に虐待されていたりする場合、これは糞みたいな家庭に生まれた(逃げ場がない)のでは無くて、何か自分に原因があるせいなので改善しようと考えたりする。あるいは、実は自分は本当はこの家の子供では無いのでは?といったストーリーを信じたりする。

この手のストーリーは悲しい色合いを帯びるか、パラノイア的な色合いを帯びる事が多い。世の中はユダヤ人が支配しているという陰謀論なんかはその際たる例で、実際その人物が禄でも無い人生を送っているのは本人に原因があるからだが、ユダヤ人の陰謀のせいにしてしまえば、自分を責めなくて済むのである。

まっとうな生活を送っていれば、犯罪の被害に遭わないという話も、真実というよりは不安を払拭する為に自分に言い聞かせたい話でしかない。確かにヤクザな生活を送っていれば犯罪に巻き込まれやすくなるというのは確かだが、まっとうな生活を送っていても巻き込まれる時は巻き込まれる。天災を天罰だと主張したがる人の心理もこれに似ている。

4つ目は、分からないという欠落を埋める為の嘘だ。人は疑問を疑問のままにしておくと、ストレスが生じる。真面目な人なら科学的な姿勢で辛抱強く真実を追求するが、普通の人は手っ取り早く分かりやすい答えに飛びつく。時には自分で適当な答えを捏造することもある。人は死んだら魂が天国や地獄に行くに違いないだとか、人や世界を造ったのは神様に違いないだとか、地震はナマズだとか雲だとかで予知できるに違いないだとか。

5つ目は願望が思い込みを生むケース。彼女は本当は俺の事が好きなのに、何かの事情があってそれを公言できないんだという思い込みは、ストーカーなんかによくある妄想である。死んだ弟は、まだどこかで生きているに違いない、誰かに誘拐されたにちがいない…みたいな悲しい思い込みもあるだろう。こうした思い込みがエスカレートとすると、妹の不可解な失踪はエイリアンの仕業にちがいない、ということはエイリアンは実在する、エイリアンの実在が証明されていないのは政府に隠蔽されているからに違いない、みたいな世界観が構築されていく。これはまぁ、Xファイルのモルダー捜査官の話なのだが。

…とまぁ、パターンとしてはこんな所だろうか。

思い込みを克服する

個人のストーリーにおける内面性の成長とは、基本的にこうした思い込みを克服する話になる。

思い込みのせいで幸せになれないケースは多い。例えば、自分は周囲の人間を不幸にしてしまうというストーリーを信じているキャラがいたとする。恐らく、過去に何人も大切な人を無くしたりしたんだろう。本当は孤独なのに、思い込みのせいで人を遠ざけてしまう。

男はマッチョに振舞わなければいけないと信じていたキャラがいたとする。父親がそうだったとか、マッチョに振舞わなければ苛められる環境で育ったとかそういう感じだ。そんなキャラが実際は繊細でゲイだったりすれば、人生は苦しいものになるだろう。

幸せになることを邪魔している思い込みを克服する話の場合は、成長ストーリーになるだろうが、単に価値観が変わるだけの話だったり、新しい価値観を学ぶ場合もあるだろう。無難が一番みたいな事なかれ主義なキャラが、攻撃は最大の防御みたいな価値観を学ぶ話だとか、

内面性の表現方法

…と、こうした理屈から考えると、キャラクターの内面性を表現するには、幾つかのそのキャラクターが信じているストーリーをリストアップしてやるのが、最も端的で分かりやすい形なのでは無かろうか。勿論、全てリストアップする訳にもいかないだろうから、代表的な思想だけを限定する形になる。

キャラクターの内面性を適当な5~7つくらいの思い込みの集合体として表現すれば、かなりロールプレイングがしやすいのでは無いかと思えるし、なぜそうした思い込みが発生したのか?という形で過去や現状の在り方をイメージしやすいのでは無かろうか。


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# by cemeteryprime | 2017-11-14 01:14 | TRPG講座・考察 | Comments(0)

【映画感想】イット

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イット観て来た。興行収入的には成功しているらしいし、前評判も良かったので割と期待していたのだが、実際の所はう~ん…という感じ。

やっぱりどうしても、2回目の実写化という事があって先のTV映画版(個人的に大好きな作品)と比較してしまうというのもあるのだが、それ以上にホラーとしてもダークファンタジーとしても、正直どうなのそれ?という所が多かった。

大雑把なあらすじ

ある雨の日、ビルの弟のジョージ―が排水溝に嵌って失踪する。(本当は、排水溝から出てきたピエロの化け物に喰われて死亡。)まだどこかで弟は生きているのでは?と諦められないビルは弟を探しに下水道を調べたがるが、さっさと諦めて前に進めと親父に怒られる。

その頃、やたらと子供たちの前にピエロのお化けが出没する。ピエロのお化けは、色んな悪夢を伴って出没するのだが大人たちには見えていない様子。ジョージ―もピエロのお化けと一緒に出没する。そして同時並行的に病的ないじめっこと対立し、それが切っ掛けではぐれ者の子供たちが合流して仲間になる。

その後、ジョージ―を探しに行きたいビルが、危険を省みずにピエロの巣穴へ潜ろうとして返り討ちにされ怪我人が出たりして、険悪なムードになったりするも、最終的に仲間の一人ベバリー(唯一の女の子)がペニーワイズに拉致されて失踪したことで結束してペニーワイズの巣穴へ向かう事を決意する。

結局、ビルはやっぱりとっくに死んでいたが、ベバリーは無事救出される。ついでにユダヤ人の少年がペニーワイズに顔を齧られたりする。怒った少年たちはペニーワイズをその辺にあった鈍器でタコ殴りにしてボコボコにする。ペニーワイズは怖がらせようとするが、怒りが恐怖を上回ったのであった。ボコられたペニーワイズは更に深い穴へと逃亡する。

ジョージ―の死に関するあれこれ

まず、冒頭のジョージ―が襲われる場面から駄目で、思いっきりペニーワイズが排水溝から出てきて、牙だらけの口でジョージ―の腕に噛みついてを食いちぎるシーンを普通に見せちゃっている。怪獣映画じゃないんだし、怪獣映画でも普通モンスターの姿を冒頭からハッキリとは見せないだろう。こういうノリを、グロテスクで最高!とか言ってる感想を見かけるが、どっちかというと露骨で最低というべきだろう。

一方、旧TV映画版の場合は、腕を引っ張られたジョージ―にキバを剥き出しに迫るペニーワイズのドアップが映し出されるだけで、恐らく腕を食いちぎられて死んだ事は暗示されるだけに留まっている。というのも、ジョージ―は本当はペニーワイズに殺されたんだけど、表面的には雨の日に排水溝に腕を突っ込んじゃったせいで、腕が巻き込まれて引きちぎれたという事故死だからだ。なのでちゃんとお葬式のシーンがあって、ビルもジョージ―がまだ生きているみたいな馬鹿な望みは持っていない。

更に旧版ではビルはお兄ちゃん大好きボーイなジョージ―に対してちょっとウザく感じて邪見に扱ってしまったという描写もある。1人で遊んでこいよと突き放すんだけど、後からちょっと後悔して優しく接して心配しながら送り出すビルの様子が描かれている。この下りがあるからビルは、1人で遊びに行かせたジョージ―が事故死してしまった事に余計に罪悪感を感じて苦しむのである。

一方、今作だとビルは単に風邪をひいているので雨の中外で船遊びするのにはついていけないというスタンスである。なんなら母親も在宅している。基本的に弟を溺愛する兄貴で、だからこそいつまでも弟を探し続ける話に繋がるのだが、そんな兄貴いるか?その割には、ジョージ―は船を無くしたらお兄ちゃんに殺されちゃうとか劇中で連呼していて、そのせいでペニーワイズの餌食になるし。そんな弟を溺愛してる兄ちゃんが、新聞紙で作った船を無くしたくらいで怒るか?溺愛し過ぎてヤンデレ兄貴だったとでも言うのだろうか。

まぁ、ジョージ―の「殺されちゃう~」のセリフは多分、その後にペニーワイズに殺される事の前フリでしかないんだろうけど、ただこうしたキャラクター描写がすげー雑なのは、その後も全体を通して同じ。単にその場のインパクトを優先した演出が先行して、心情とかは二の次である。ホラーというテーマ性から考えれば、ビルの弟に対する罪悪感が絡む旧版の演出の方が秀逸なのは言うまでも無かろう。

ペニーワイズの違い

ペニーワイズに関しては、明らかに旧版のティム・カリー版の方が優れているというのは、これは紛れもない事実だろう。ティム・カリー版のペニーワイズは、ジャック・ニコルソンのジョーカーみたいなもので、俳優の個性的な顔面力から来る独特の圧力と相まって唯一無二のキャラクターと化してしまっている。ちょいと不気味な雰囲気がある程度のイケメンのビル・スカルスガルドでは真似は出来まい。ただ、そうした演者力を差し引いても今作のペニーワイズはイマイチである。

今作のペニーワイズの一番駄目な所は単なるピエロのお化けになっている所だ。今でこそ、ピエロ恐怖症という言葉がメジャーになっているが(それも旧版でのティム・カリー版ペニーワイズの影響がデカい)、そもそもピエロが怖いのは単にピエロの恰好が不気味だからではない。

ピエロの怖さの本質は、陽気で楽しい人間のフリをした何かである所にある。表面的にはニコニコと笑っておどけて馬鹿な行動を取るけれど、それは演技であって本当は笑っていないし馬鹿でも無いし、メイクの下には誰がいるのか分からないという事をある程度大きくなった子供たちであれば気付くのである。

ペニーワイズの元ネタである殺人鬼のジョン・ゲイシーだって、別に子供を怖がらせる為にピエロの恰好をしていたのではない。パーティーなどで子供を楽しませる為にピエロの恰好をしていたのである。しかし、ジョン・ゲイシーの場合、間抜けなピエロの仮装の下には少年をレイプして殺す連続殺人鬼が潜んでいた。

可愛いキグルミが殺人鬼的に襲い掛かって来るみたいなキャラクターもこうした恐怖に基づいたモンスターだと言える。中に凶悪な人間が入っているかも知れないし、何ならペニーワイズの様に人間ですらないかもしれないのだ。だから、旧版のペニーワイズは、人間に化けたキツネやタヌキがついうっかり尻尾を出してしまう感じで、牙とか鉤爪だとかの怪物としての一部をポロリしてしまうのだ。ペニーワイズは、人間のフリをした化け物だから怖いのである。

旧版のペニーワイズが、造形的に如何にもアメリカンな陽気でずんぐりとしたカラフルな衣装のおじさんクラウンだったのに対して、今作のペニーワイズは、陰気でスラッとした青年でビクトリア風のまるで幽霊みたいな恰好をしている。明らかにピエロらしくないピエロで、怖がらせる為のピエロといういで立ちである。

怖がらせる為の如何にもキラークラウンで御座いますみたいなピエロキャラは、旧作のペニーワイズのインパクトから派生したピエロ恐怖症を前提としたフォロワーだと言える。ジョーカーのイメージも混ざっているのかもしれない。これならまだマクドナルドのドナルドの方が、造形的にアメリカンで人懐っこそうな分は良かったのでは無かろうか。

加えて、演技的にも今作のペニーワイズは出て来る度に毎回全力で子供たちを怖がらせようと必死な感じだ。ジョージ―を襲う際もどこか必至な感じで、基本的にあまり余裕やおふざけの匂いは感じ無い。ヒャハハハハ!という三流悪党がよくやる如何にも私は狂ってますみたいな笑い方もマイナスポイントである。

イットという作品のキモ

イットという作品の良さを端的に説明するには、明らかにイットの影響を色濃く受けている有名な2つの漫画を挙げるのが手っ取り早いだろう。『20世紀少年』と『ジョジョの奇妙な冒険:第4部』である。

20世紀少年』は、現代で出現したモンスターを倒す鍵が子供時代にあるという話で、古き良き懐かしい子供時代を思い出しながら、当時の仲間たちが再結集して戦うというプロットになっている。

イットも今作では子供時代編だけを切り取ってまとめた映画になっているが、原作は現代と子供時代を交互に描きながら、子供時代に倒しきれなかった怪物が27年後に復活してしまい、中年になった主人公たちがかつての仲間と集合して不自然に風化してしまった当時の記憶を呼び戻しながら、故郷へ戻って怪物を倒す話になっている。

古き良き最高の少年時代のノスタルジーに浸りつつ、中年が同窓会をしてあの頃の気持ちを取り戻しつつ、再び戦いに挑む。これがイットの大きな魅力の一つだ。

『ジョジョの奇妙な冒険:第4部』は、杜王町という街を主人公にした作品で、統計的に明らかに行方不明者や事件が多い町という設定はイットのデリーそのものである。(ついでに最初に登場するアクアネックレスは、下水溝から顔を出すペニーワイズ構図をやっていたりする。)

町で起こる不可解な事件の影には、スタンド能力という超能力が関係していて、最終的にスタンド能力を持った少年たち(高校生でオッサンも混じっているが)が集まって、町で人知れず人間を餌食にしていた怪物を見つけ出して倒すという話になっている。

町を舞台にした作品の魅力は、何といってもキャラクターたちの生活がしっかり描かれる点だろう。生活圏内での冒険という点が第4部特有の魅力になっているのは間違いない。自分たちの住む町だからこそ、モンスターを見過ごせないのだ。

自分たちが住む町が舞台で、自分たちだけが気付いたモンスターに立ち向かうという点では、今回のイット製作の原動力にもなったであろうストレンジャーシングスも同じだ。

こうした要素を踏まえて、今作のイットに一番足りなかったのは、やはり最高の少年時代感では無いだろうか。今作は怖い要素を露骨に前面に出し過ぎているせいで、糞みたいな町と禄でも無い少年時代が強調され過ぎている様に思う。

主人公達がみんなで楽しそうに遊ぶシーンは、採石場で水泳するシーンくらいだ。その上、その場面でも下着で泳ぐ同年代の女の子のエロスに性的に興奮みたいな子供たちの友情からは若干外れた生々しい要素が投入されていて、微妙にズレている感がある。

旧版の場合は、みんなでダムを作って遊ぶという共同作業が切っ掛けで少年少女たちが仲間になる様子だとか、みんなで映画を観たりだとか、明らかに楽しいデリーでの子供時代の1ページが描かれし、作中でも最高の夏の思い出だったと語られる。確かにデリーは糞みたいな町なのだが、作品のキモとして最高にノスタルジックな少年時代は描かねばならないのである。だからこそ、それこそジョジョ4部の様に、黄金の精神でペニーワイズに立ち向かう場面が成立するのである。

今作の場合は、みんなで不良に立ち向かう場面も、暴力的な臭いを強調し過ぎていて、一致団結して不良を撃退した爽やかな勝利の思い出というよりは、血生臭い闘争の思い出にしかなっていなかったりする。そのせいで、ペニーワイズの撃退も、おやじ狩りみたいにペニーワイズを適当な鈍器でボコボコにして倒す暴力的なモノになっている。

旧作の場合は明確に、子供たちは恐怖を払拭する信じる力(言ってみれば黄金の精神)でペニーワイズを撃退する。パチンコで銀の弾丸を打ち込んだり、喘息の薬(プラシーボの偽薬)だったり、吃音を強制する為の呪文が、ペニーワイズにダメージを与えるのである。だからこそ、子供たちにしか倒せないモンスターとしてペニーワイズが最高なのだ。

でも今作の場合は、暴力が過剰過ぎて、立ち向かう勇気で倒したというよりも、恐怖から過剰に暴力をふるった光景にしか見えないので、なんじゃそりゃとしか言いようが無い。子供たちにしか見えなくて、子供たちだからこそ倒せるという部分が一切無視されているのだ。

もしかして元は単体作品だった?

あと改めて旧版を観返していて気付いたのだが、今作はどうも大人編を作る事を考慮せずに作った節が強い。というのも、子供たちのキャラクター描写に混乱が見られるからだ。

旧版の場合は、子供たちが後にどういう大人に成長したかも平行して描かれる関係上、はっきりと子供時代からそうした要素の予兆というか素質みたいなものも分かりやすく描かれていた。その結果、キャラ立ちもはっきりしていたのだが、今作ではそれが無い。

例えば旧作だとビルは後に作家になるので、物語が好きで、仲間たちにストーリーを披露したりするシーンが。吃音を治す為に文章のフレーズを呪文の様に唱えるのも、作家というキャラに関係していると言えばしている。それに、想像力が豊かなキャラだったからこそ、モンスターを倒す為に立ち上がらなければいけないと仲間を率先するのである。今作では、そうした作家になる素養を示す場面は無く、下水道モデルを作ったりだとか、町の下水道の地図を調べたりだとか、どっちかというと建築家にでもなりそうな素養を見せる。

ちなみに、後に建築家になるのはおデブのベンである。旧作ではベンはダム作りで活躍する。仲間に誘われたのも、ダム作りの知識がったからだ。今作ではそもそもダム作りのシーンは無いので、単に勉強家キャラになっている。そのせいか、町の歴史なんかも調べていたりする。しかし、実は町の歴史に詳しいのは、原作だと黒人のマイクなのである。

マイクは学校の課題で町の歴史を調べていて、親の写真趣味の影響で町の古い写真を持っていたりする。そうした素養があって、後に図書館司書になって、1人町に残って町の歴史を見守り続けるのだが、今作では畜産農家の子供になっている。

といった感じで、中年篇での職業とかキャラクター性をあまり考慮していない改変が入っているのである。多分、元々は子供編で完結するつもりだったんじゃないのかなこれ。第二部は大丈夫なのだろうか…?

総論

端的に言うと、怖がらせようとし過ぎで、安直な恐怖と暴力に頼り過ぎな印象が強い。やっぱりホラーっていうのは、恐怖以外の部分が上手く描けていて初めて恐怖が光るというモノであって、怖がらせる事に徹すれば面白くなるというモノでもないなと再確認させられた。

原作者のスティーブン・キングには、スタンド・バイ・ミーという作品がある(ちなみにスタンド能力のスタンドはここから来ている。ジョジョは地味にキングの影響が大きい)。スタンド・バイ・ミーはホラーでは無く、純粋に少年時代の冒険を描いたノスタルジーを煽りまくるタイプの名作である。イットはホラー版のスタンド・バイ・ミーと呼ばれる事も多い。ノスタルジックな少年時代を描くだけでも最高だけど、恐怖とモンスターをスパイスにすることで余計にコントラストが利いて最高になっているという作品である。そういう意味でも、今作のバランスはあまり原作の魅力を理解していないと感じる。

正直、ストレンジャーシングスがヒットしたし、80年代を舞台にしてイット作るか!みたいなノリで作ったんじゃないのか?と思える。ストレンジャーシングスに出演していたマイク役の子供もメインキャストとして出てるんだけど、後にコメディアンになる無鉄砲で口が悪くて悪態ばっかりついてるクソガキ役で本人のキャラと全然会ってなさ過ぎで、キャスティングが全然上手くないので、本当に強引に便乗した様にしか思えないのだ。

スタイリッシュで如何にもヤバそうなペニーワイズを出したり、暴力とかグロとかの過激な表現を多めに盛り込んでR-15にしたりと、マーケティング要素的なキャッチーさは十分なんだけど、作品としては先の様にバランスが悪くてイマイチという。どう考えても大人も楽しめる子供向け夏休みホラーに最適な題材なのに、R-15にした上に今頃公開してんじゃねーぞと言いたい。


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# by cemeteryprime | 2017-11-10 23:27 | 作品・感想 | Comments(0)

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