blogを書天則。Twitter:@idea51


by cemeteryprime

プロフィールを見る

マイブーム

・クトゥルフ神話TRPG
・レゴ
・海外ドラマ

最新のコメント

最近の国産なら最も実際の..
by 太郎 at 01:24
アナログ(会話中心)で遊..
by cemeteryprime at 08:31
国産のTRPGでも、会話..
by 祟り屋 at 16:12
TRPG全般では、進行役..
by 祟り屋 at 16:07
TRPG全般では、進行役..
by 祟り屋 at 16:06
1行目の『クトゥルフ神話..
by cemeteryprime at 08:03
【クトゥルフ神話TRPG..
by さいたま at 14:37
はじめまして。非常に勉強..
by naochaland at 01:03
コメント、ありがとうござ..
by cemeteryprime at 21:52
楽しく読ませてもらってます
by 海に棲むもの at 11:50

最新の記事

【ゲーム感想】スカイリムSE
at 2017-12-09 11:48
【映画感想】ジャスティスリーグ
at 2017-11-24 21:51
【クトルゥフ神話TRPG】ボ..
at 2017-11-18 17:13
【TRPG】キャラクターと世界観
at 2017-11-14 01:14
【映画感想】イット
at 2017-11-10 23:27

タグ:映画 ( 52 ) タグの人気記事

【映画感想】ジャスティスリーグ

c0325386_21503469.jpg

ストーリー…?ドラマ…?正義の在り方…?ヒーローとは…?そんな下らねーモンより、やべぇースーパーマンを観せてやるよ…。

そんなザック・スナイダー監督が贈る、DCエクステンデッド・ユニバースのスーパーマン映画第3弾!それが映画『ジャスティス・リーグ』である!

映画の感想としては…中々面白かった!というのが正直な所だ。といっても、第3弾ということもあって、ザックがやりたいことがようやく明確に見えてきたという要素と、ジョス・ウェドン(アベンジャーズの監督)によるテコ入れがあってそれなりに観れる映画になっていたからという要素が大きいんだろうけども。

以下、完全にネタバレ含みます!

思うにザックのDC映画がコケた理由は、みんなは当然の様にこうしたヒーロー映画にストーリーだとか、ドラマだとか、楽しさだとか、マニアの場合は正義のあり方とか、ヒーロー像だとかを求めたのに対して、ザックは単にスーパーマンのヤバみを描こうとしたというズレが大きかったのでは無かろうか。まぁ、誰もスーパーマンにそんなものを求めてなかったので確実にザックが悪いんだけども。

ザック・スナイダーの中ではパワーは尊い。パワーこそ正義。神はパワーである…みたいな公式が成立しているのでは無かろうか。だからこそ、ザックの中ではスーパーマンは尊くて、正義で、神なのであり、そうしたヤバさを映画で描こうとしてきたと思われるのだ。どちらかと言えばそれはヒーロー的な格好良さというよりは、怪獣的なクールさでもある。

今作では、新たにアクアマン、フラッシュ、サイボーグといった超人メンバーが加入してくる。それ故に、相対的にスーパーマンのヤバさが更に際立つという内容になっている。ちなみに、今作で描かれるスーパーマンのヤバさはこんな感じだ。


ヤバいポイントその1

死んだのに蘇る。

ヤバいポイントその2

高速が売りのフラッシュと大差ないレベルに高速で動ける。

ヤバいポイントその3

ジャスティス・リーグの面々が苦戦し、アマゾンとアトランティスの軍勢も余裕で蹴散らした強敵宇宙人を単体で軽くボコれる。



…う~ん、ヤバすぎぃ~!!


フラッシュが超加速中してる最中に、スーパーマンが同じ速度の世界に侵入してくるシーンは、完全にジョジョ第3部のディオVS承太郎という感じで、最高にゾワッとした。承太郎が侵入してくるんじゃなくて、圧倒的強者のディオが侵入してくる構図なので尚更ヤバさしかなくて良かったです。

ただ、今作だけ観て面白いのか?というと、単体映画としてはやっぱり微妙な気がするので、ヤバすぎるスーパーマン三部作というコンセプトを理解しつつ全部観るのが正しい気はする。

ただ前作を観ないと内容が判らないとかいうと、観ても分からん所は分からない、相変わらずDCファン以外を余裕で置いてけぼりにする内容なので、その辺は逆に気にしなくても良いとは思う。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-11-24 21:51 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】イット

c0325386_23270795.jpg

イット観て来た。興行収入的には成功しているらしいし、前評判も良かったので割と期待していたのだが、実際の所はう~ん…という感じ。

やっぱりどうしても、2回目の実写化という事があって先のTV映画版(個人的に大好きな作品)と比較してしまうというのもあるのだが、それ以上にホラーとしてもダークファンタジーとしても、正直どうなのそれ?という所が多かった。

大雑把なあらすじ

ある雨の日、ビルの弟のジョージ―が排水溝に嵌って失踪する。(本当は、排水溝から出てきたピエロの化け物に喰われて死亡。)まだどこかで弟は生きているのでは?と諦められないビルは弟を探しに下水道を調べたがるが、さっさと諦めて前に進めと親父に怒られる。

その頃、やたらと子供たちの前にピエロのお化けが出没する。ピエロのお化けは、色んな悪夢を伴って出没するのだが大人たちには見えていない様子。ジョージ―もピエロのお化けと一緒に出没する。そして同時並行的に病的ないじめっこと対立し、それが切っ掛けではぐれ者の子供たちが合流して仲間になる。

その後、ジョージ―を探しに行きたいビルが、危険を省みずにピエロの巣穴へ潜ろうとして返り討ちにされ怪我人が出たりして、険悪なムードになったりするも、最終的に仲間の一人ベバリー(唯一の女の子)がペニーワイズに拉致されて失踪したことで結束してペニーワイズの巣穴へ向かう事を決意する。

結局、ビルはやっぱりとっくに死んでいたが、ベバリーは無事救出される。ついでにユダヤ人の少年がペニーワイズに顔を齧られたりする。怒った少年たちはペニーワイズをその辺にあった鈍器でタコ殴りにしてボコボコにする。ペニーワイズは怖がらせようとするが、怒りが恐怖を上回ったのであった。ボコられたペニーワイズは更に深い穴へと逃亡する。

ジョージ―の死に関するあれこれ

まず、冒頭のジョージ―が襲われる場面から駄目で、思いっきりペニーワイズが排水溝から出てきて、牙だらけの口でジョージ―の腕に噛みついてを食いちぎるシーンを普通に見せちゃっている。怪獣映画じゃないんだし、怪獣映画でも普通モンスターの姿を冒頭からハッキリとは見せないだろう。こういうノリを、グロテスクで最高!とか言ってる感想を見かけるが、どっちかというと露骨で最低というべきだろう。

一方、旧TV映画版の場合は、腕を引っ張られたジョージ―にキバを剥き出しに迫るペニーワイズのドアップが映し出されるだけで、恐らく腕を食いちぎられて死んだ事は暗示されるだけに留まっている。というのも、ジョージ―は本当はペニーワイズに殺されたんだけど、表面的には雨の日に排水溝に腕を突っ込んじゃったせいで、腕が巻き込まれて引きちぎれたという事故死だからだ。なのでちゃんとお葬式のシーンがあって、ビルもジョージ―がまだ生きているみたいな馬鹿な望みは持っていない。

更に旧版ではビルはお兄ちゃん大好きボーイなジョージ―に対してちょっとウザく感じて邪見に扱ってしまったという描写もある。1人で遊んでこいよと突き放すんだけど、後からちょっと後悔して優しく接して心配しながら送り出すビルの様子が描かれている。この下りがあるからビルは、1人で遊びに行かせたジョージ―が事故死してしまった事に余計に罪悪感を感じて苦しむのである。

一方、今作だとビルは単に風邪をひいているので雨の中外で船遊びするのにはついていけないというスタンスである。なんなら母親も在宅している。基本的に弟を溺愛する兄貴で、だからこそいつまでも弟を探し続ける話に繋がるのだが、そんな兄貴いるか?その割には、ジョージ―は船を無くしたらお兄ちゃんに殺されちゃうとか劇中で連呼していて、そのせいでペニーワイズの餌食になるし。そんな弟を溺愛してる兄ちゃんが、新聞紙で作った船を無くしたくらいで怒るか?溺愛し過ぎてヤンデレ兄貴だったとでも言うのだろうか。

まぁ、ジョージ―の「殺されちゃう~」のセリフは多分、その後にペニーワイズに殺される事の前フリでしかないんだろうけど、ただこうしたキャラクター描写がすげー雑なのは、その後も全体を通して同じ。単にその場のインパクトを優先した演出が先行して、心情とかは二の次である。ホラーというテーマ性から考えれば、ビルの弟に対する罪悪感が絡む旧版の演出の方が秀逸なのは言うまでも無かろう。

ペニーワイズの違い

ペニーワイズに関しては、明らかに旧版のティム・カリー版の方が優れているというのは、これは紛れもない事実だろう。ティム・カリー版のペニーワイズは、ジャック・ニコルソンのジョーカーみたいなもので、俳優の個性的な顔面力から来る独特の圧力と相まって唯一無二のキャラクターと化してしまっている。ちょいと不気味な雰囲気がある程度のイケメンのビル・スカルスガルドでは真似は出来まい。ただ、そうした演者力を差し引いても今作のペニーワイズはイマイチである。

今作のペニーワイズの一番駄目な所は単なるピエロのお化けになっている所だ。今でこそ、ピエロ恐怖症という言葉がメジャーになっているが(それも旧版でのティム・カリー版ペニーワイズの影響がデカい)、そもそもピエロが怖いのは単にピエロの恰好が不気味だからではない。

ピエロの怖さの本質は、陽気で楽しい人間のフリをした何かである所にある。表面的にはニコニコと笑っておどけて馬鹿な行動を取るけれど、それは演技であって本当は笑っていないし馬鹿でも無いし、メイクの下には誰がいるのか分からないという事をある程度大きくなった子供たちであれば気付くのである。

ペニーワイズの元ネタである殺人鬼のジョン・ゲイシーだって、別に子供を怖がらせる為にピエロの恰好をしていたのではない。パーティーなどで子供を楽しませる為にピエロの恰好をしていたのである。しかし、ジョン・ゲイシーの場合、間抜けなピエロの仮装の下には少年をレイプして殺す連続殺人鬼が潜んでいた。

可愛いキグルミが殺人鬼的に襲い掛かって来るみたいなキャラクターもこうした恐怖に基づいたモンスターだと言える。中に凶悪な人間が入っているかも知れないし、何ならペニーワイズの様に人間ですらないかもしれないのだ。だから、旧版のペニーワイズは、人間に化けたキツネやタヌキがついうっかり尻尾を出してしまう感じで、牙とか鉤爪だとかの怪物としての一部をポロリしてしまうのだ。ペニーワイズは、人間のフリをした化け物だから怖いのである。

旧版のペニーワイズが、造形的に如何にもアメリカンな陽気でずんぐりとしたカラフルな衣装のおじさんクラウンだったのに対して、今作のペニーワイズは、陰気でスラッとした青年でビクトリア風のまるで幽霊みたいな恰好をしている。明らかにピエロらしくないピエロで、怖がらせる為のピエロといういで立ちである。

怖がらせる為の如何にもキラークラウンで御座いますみたいなピエロキャラは、旧作のペニーワイズのインパクトから派生したピエロ恐怖症を前提としたフォロワーだと言える。ジョーカーのイメージも混ざっているのかもしれない。これならまだマクドナルドのドナルドの方が、造形的にアメリカンで人懐っこそうな分は良かったのでは無かろうか。

加えて、演技的にも今作のペニーワイズは出て来る度に毎回全力で子供たちを怖がらせようと必死な感じだ。ジョージ―を襲う際もどこか必至な感じで、基本的にあまり余裕やおふざけの匂いは感じ無い。ヒャハハハハ!という三流悪党がよくやる如何にも私は狂ってますみたいな笑い方もマイナスポイントである。

イットという作品のキモ

イットという作品の良さを端的に説明するには、明らかにイットの影響を色濃く受けている有名な2つの漫画を挙げるのが手っ取り早いだろう。『20世紀少年』と『ジョジョの奇妙な冒険:第4部』である。

20世紀少年』は、現代で出現したモンスターを倒す鍵が子供時代にあるという話で、古き良き懐かしい子供時代を思い出しながら、当時の仲間たちが再結集して戦うというプロットになっている。

イットも今作では子供時代編だけを切り取ってまとめた映画になっているが、原作は現代と子供時代を交互に描きながら、子供時代に倒しきれなかった怪物が27年後に復活してしまい、中年になった主人公たちがかつての仲間と集合して不自然に風化してしまった当時の記憶を呼び戻しながら、故郷へ戻って怪物を倒す話になっている。

古き良き最高の少年時代のノスタルジーに浸りつつ、中年が同窓会をしてあの頃の気持ちを取り戻しつつ、再び戦いに挑む。これがイットの大きな魅力の一つだ。

『ジョジョの奇妙な冒険:第4部』は、杜王町という街を主人公にした作品で、統計的に明らかに行方不明者や事件が多い町という設定はイットのデリーそのものである。(ついでに最初に登場するアクアネックレスは、下水溝から顔を出すペニーワイズ構図をやっていたりする。)

町で起こる不可解な事件の影には、スタンド能力という超能力が関係していて、最終的にスタンド能力を持った少年たち(高校生でオッサンも混じっているが)が集まって、町で人知れず人間を餌食にしていた怪物を見つけ出して倒すという話になっている。

町を舞台にした作品の魅力は、何といってもキャラクターたちの生活がしっかり描かれる点だろう。生活圏内での冒険という点が第4部特有の魅力になっているのは間違いない。自分たちの住む町だからこそ、モンスターを見過ごせないのだ。

自分たちが住む町が舞台で、自分たちだけが気付いたモンスターに立ち向かうという点では、今回のイット製作の原動力にもなったであろうストレンジャーシングスも同じだ。

こうした要素を踏まえて、今作のイットに一番足りなかったのは、やはり最高の少年時代感では無いだろうか。今作は怖い要素を露骨に前面に出し過ぎているせいで、糞みたいな町と禄でも無い少年時代が強調され過ぎている様に思う。

主人公達がみんなで楽しそうに遊ぶシーンは、採石場で水泳するシーンくらいだ。その上、その場面でも下着で泳ぐ同年代の女の子のエロスに性的に興奮みたいな子供たちの友情からは若干外れた生々しい要素が投入されていて、微妙にズレている感がある。

旧版の場合は、みんなでダムを作って遊ぶという共同作業が切っ掛けで少年少女たちが仲間になる様子だとか、みんなで映画を観たりだとか、明らかに楽しいデリーでの子供時代の1ページが描かれし、作中でも最高の夏の思い出だったと語られる。確かにデリーは糞みたいな町なのだが、作品のキモとして最高にノスタルジックな少年時代は描かねばならないのである。だからこそ、それこそジョジョ4部の様に、黄金の精神でペニーワイズに立ち向かう場面が成立するのである。

今作の場合は、みんなで不良に立ち向かう場面も、暴力的な臭いを強調し過ぎていて、一致団結して不良を撃退した爽やかな勝利の思い出というよりは、血生臭い闘争の思い出にしかなっていなかったりする。そのせいで、ペニーワイズの撃退も、おやじ狩りみたいにペニーワイズを適当な鈍器でボコボコにして倒す暴力的なモノになっている。

旧作の場合は明確に、子供たちは恐怖を払拭する信じる力(言ってみれば黄金の精神)でペニーワイズを撃退する。パチンコで銀の弾丸を打ち込んだり、喘息の薬(プラシーボの偽薬)だったり、吃音を強制する為の呪文が、ペニーワイズにダメージを与えるのである。だからこそ、子供たちにしか倒せないモンスターとしてペニーワイズが最高なのだ。

でも今作の場合は、暴力が過剰過ぎて、立ち向かう勇気で倒したというよりも、恐怖から過剰に暴力をふるった光景にしか見えないので、なんじゃそりゃとしか言いようが無い。子供たちにしか見えなくて、子供たちだからこそ倒せるという部分が一切無視されているのだ。

もしかして元は単体作品だった?

あと改めて旧版を観返していて気付いたのだが、今作はどうも大人編を作る事を考慮せずに作った節が強い。というのも、子供たちのキャラクター描写に混乱が見られるからだ。

旧版の場合は、子供たちが後にどういう大人に成長したかも平行して描かれる関係上、はっきりと子供時代からそうした要素の予兆というか素質みたいなものも分かりやすく描かれていた。その結果、キャラ立ちもはっきりしていたのだが、今作ではそれが無い。

例えば旧作だとビルは後に作家になるので、物語が好きで、仲間たちにストーリーを披露したりするシーンが。吃音を治す為に文章のフレーズを呪文の様に唱えるのも、作家というキャラに関係していると言えばしている。それに、想像力が豊かなキャラだったからこそ、モンスターを倒す為に立ち上がらなければいけないと仲間を率先するのである。今作では、そうした作家になる素養を示す場面は無く、下水道モデルを作ったりだとか、町の下水道の地図を調べたりだとか、どっちかというと建築家にでもなりそうな素養を見せる。

ちなみに、後に建築家になるのはおデブのベンである。旧作ではベンはダム作りで活躍する。仲間に誘われたのも、ダム作りの知識がったからだ。今作ではそもそもダム作りのシーンは無いので、単に勉強家キャラになっている。そのせいか、町の歴史なんかも調べていたりする。しかし、実は町の歴史に詳しいのは、原作だと黒人のマイクなのである。

マイクは学校の課題で町の歴史を調べていて、親の写真趣味の影響で町の古い写真を持っていたりする。そうした素養があって、後に図書館司書になって、1人町に残って町の歴史を見守り続けるのだが、今作では畜産農家の子供になっている。

といった感じで、中年篇での職業とかキャラクター性をあまり考慮していない改変が入っているのである。多分、元々は子供編で完結するつもりだったんじゃないのかなこれ。第二部は大丈夫なのだろうか…?

総論

端的に言うと、怖がらせようとし過ぎで、安直な恐怖と暴力に頼り過ぎな印象が強い。やっぱりホラーっていうのは、恐怖以外の部分が上手く描けていて初めて恐怖が光るというモノであって、怖がらせる事に徹すれば面白くなるというモノでもないなと再確認させられた。

原作者のスティーブン・キングには、スタンド・バイ・ミーという作品がある(ちなみにスタンド能力のスタンドはここから来ている。ジョジョは地味にキングの影響が大きい)。スタンド・バイ・ミーはホラーでは無く、純粋に少年時代の冒険を描いたノスタルジーを煽りまくるタイプの名作である。イットはホラー版のスタンド・バイ・ミーと呼ばれる事も多い。ノスタルジックな少年時代を描くだけでも最高だけど、恐怖とモンスターをスパイスにすることで余計にコントラストが利いて最高になっているという作品である。そういう意味でも、今作のバランスはあまり原作の魅力を理解していないと感じる。

正直、ストレンジャーシングスがヒットしたし、80年代を舞台にしてイット作るか!みたいなノリで作ったんじゃないのか?と思える。ストレンジャーシングスに出演していたマイク役の子供もメインキャストとして出てるんだけど、後にコメディアンになる無鉄砲で口が悪くて悪態ばっかりついてるクソガキ役で本人のキャラと全然会ってなさ過ぎで、キャスティングが全然上手くないので、本当に強引に便乗した様にしか思えないのだ。

スタイリッシュで如何にもヤバそうなペニーワイズを出したり、暴力とかグロとかの過激な表現を多めに盛り込んでR-15にしたりと、マーケティング要素的なキャッチーさは十分なんだけど、作品としては先の様にバランスが悪くてイマイチという。どう考えても大人も楽しめる子供向け夏休みホラーに最適な題材なのに、R-15にした上に今頃公開してんじゃねーぞと言いたい。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-11-10 23:27 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】デスノート

c0325386_00212648.jpg

ネットフリックスのオリジナル映画として作られたデスノートのリメイク作品。

あらすじ

主人公のライト・ターナーは刑事の父親と二人暮らしの高校生。母親を犯罪者に殺されているが、犯人は陪審員を買収して無罪を勝ち取ったという過去を持っている。それ故に逮捕しながらも犯人を捌けなかった警察と父親を軽蔑していて、犯罪者が野放しになる法制度も信じていない節がある。

ライトはそれなりに頭は良いのだが、社会への反骨精神からか宿題代行をやっている。ある日、ライトは嫌がらせをしている粗暴な不良を咎めた結果、ボコられてしまう。そしてボコられた被害者であるにも関わらず、校長は面倒臭そうな校内暴力をスルー。ライトの持ち物から発覚した宿題代行だけを咎めて来る始末。取り締まり易そうな不正だけを突っつき、真の悪党が野放しになるのは、社会でも学校でも同じだった。

そんなライトがある日、デスノートを拾う。宿題代行の件で居残りさせられていたライトの前に、死神リュークが姿を現す。嘘か本当か、試しにライトは、件の不良生徒の名前をデスノートに記入する。死因は首チョンパ。すると、まるでファイナル・ディスティネーションが如く、不幸な偶然の連続が発生し、死のピタゴラスイッチで不良生徒の首がチョンパされるのであった。

デスノートの力を確信したライトは、ノートを使って母親を殺したマフィアを殺害する。そしてデスノートを使って犯罪者を裁いていくことを思いつく。

感想

漫画版のデスノートは、若者が恐ろしい超能力を手に入れて暴走し最終的に破滅するピカレスクストーリーで、ライバルである正義の探偵のLとの頭脳バトルがメインの作品であった。正体がバレるかバレないかという駆け引きは、長期連載向きではないものの、緊張感があって週刊連載向きの良いギミックだったなと思う。

一方、今回のリメイク版デスノートは初めから映画として作られたコンテンツである。なのでLとの推理合戦を楽しむ作品というよりは、デスノートを通じて変化する人間たちのストーリーを描く作品になっている。

それ故に一番の大きな違いとして、ライトもLもしっかり人間として描かれているという点がある。身内であるワタリを殺されて感情的になるLは、こんなのLじゃないやい!と批判されているのをネットなんかでは見かけるが、この違いはバトル的な攻防を見せる作品と、キャラのドラマを見せる作品の違いとしか言いようが無いだろう。

映画映えするデスノート

今作の一番の魅力は何といっても、デスノートにファイナル・ディスティネーション要素が加わった事では無いだろうか。死のピタゴラスイッチと形容される事の多いこの演出は、デスノートの様な不可解な力が働いて人を死に至らしめる力を映像で表現する手法としてはピッタリだ。

もしかしたら、このファイナル・ディスティネーション的な死神演出をデスノートでやろうという部分にこそ映画化の勝算があったんじゃないかとも思える。

結論

とにかく、キャラの描き方や結末も含めて、とても面白かった。なかなかの秀作という感じ。是非観てみて欲しい。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-08-30 00:25 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ワンダーウーマン

c0325386_13195321.jpg

例の如く、死ぬほどネタバレ。

あらすじ

主人公のダイアナはギリシャ神話の時代から続いて来た女だけのアマゾン族が暮らす島の王女だ。島には、古代ギリシャの神々を滅ぼし共倒れになった戦争の神アレスがいつか復活した際は、平和の使者であるアマゾン族が倒すという伝承があり、ダイアナはそれを信じていた。


時代は第一次大戦の最中、ドイツ兵に追われたアメリカ人スパイのスティーブが島に漂着する。追撃して来たドイツ兵との戦闘でアマゾン族が数名死亡。ドイツ軍が開発した新型の大量破壊兵器の話を聞いたダイアナは戦争の神アレスの復活を確信する。アマゾン族の役目を全うする為ダイアナは、アレスを倒して戦争を終結させるべくスティーブと共に島を出るが…。


感想

かなりフェミニズム的な文脈でも宣伝されたり議論されていた映画なので、そういう映画なのかなと思って観に行ったのだが、案外そうでもなかった。確かにワンダーウーマンというキャラ自体は、そういうフェミニズム的な文脈で生まれたキャラでなんだが、この作品に関してはこれまで過去にあった戦う女性の映画と比べて特筆すべき何かがあったかというと特にはなかったと言わざるを得ない。女性が主役のスーパーヒーロー映画というだけだ。


ストーリーに関して

自然豊かで女性しかいない社会で育った戦う女戦士のダイアナが、スモッグまみれで女性の社会的地位が低い当時のロンドンにやって来る下りは、所謂ターザンが都会へ来るみたいな話でそれなりに面白かった。ただ、それ以降の展開はあまり主人公が女性である意味がないような気もした。


監督もインタビューで『第一次世界大戦当時の女性差別のシーンはあれど、主人公の性がどうこうというのが主題の作品ではありません』と話している。ワンダーウーマンというキャラ自体はフェミニズムの文脈で作られたキャラであり、フェミニズム要素への過度な期待や論争へ配慮したのかもしれないが、それにしたってあまりにも主人公が女性である点に意味がないのはいかがなものか。映画公開に向けてのマーケティングなどでもそういった論争が起こったりしていて期待していただけに、割と肩透かしを食らった形だ。


マル博士に関して

この作品にはドイツ軍で新型毒ガス兵器を開発している悪の科学者としてマル博士という女性のヴィランが出て来るのだが、このキャラの扱いが勿体なかった。

マル博士も、女性なのに前線で戦っている軍人であり、戦局を左右する最終兵器を作っていた、言ってみればスーパーウーマンである。本来なら正義のスーパーウーマンの対極としての悪のスーパーウーマンであったのだが、前述の様にこの映画の場合は主人公が女性である意味が薄いので、単なる悪に仕えるマッドサイエンティスト以上でも以下でも無い扱いをされていた。


例えば、ガスマスクを付けた性別不明のキャラにしておいて、クライマックスでマスクが外れて女性であったことが発覚して、まさか女性がこんな残虐な兵器を開発していたのかとダイアナが驚くみたいなシーンを入れていても良かったんじゃないのかとか。他にも、スティーブとのパーティー会場での接触シーンで、マル博士の正体を知らないスティーブが、美人の女性なので秘書かなんかだろうと見くびって、色仕掛けでマル博士の情報を引き出そうとして失敗するシーンなんかがあっても良かった。


アレスに関して

この映画のもう一つの良く無い点はアレスだ。軍神アレスが、蛮族系というよりは、こじらせた文系みたいなキャラだったのは意外性があって面白かったが、この映画の場合、アレスは登場させない方が良かったのでは無かろうか。


監督はインタビューで『本作は典型的な正義のヒーローが戦争という善悪がグレーな場所で正義をどうやって貫くのかを問われるのが大きな要素』と語っている。実際途中まではテーマに沿った形で素晴らしい。


戦争の原因は軍神アレスで、アレスさえ倒せば操られていた人間たちは目が覚めて平和が訪れるという夢物語を信じたダイアナが戦地に突撃していく話になっていて、スティーブからそうじゃないんだよという話をされつつも聞き入れない。スティーブは、戦争は誰か一人の悪者が起こすんじゃなくて、みんなの責任で起こるという良い話もする。最後にダイアナは、邪悪な大量殺戮を企むドイツ軍の将校をぶち殺すのだが、それでも戦争は止まらず、愕然とする。


そこまでは良いのだが、なんとその後に結局アレスが登場してしまう。結局アレスは戦争を劇化させる為に人間を操っていたのである。そしてダイアナとアレスが対決する。このそれまでのテーマをぶち壊す展開は、馬鹿じゃねーのかなと思う。確かに、ヒーロー映画だし最後は超人同士の対決で締めようというのが分からなくもないが、これだと戦争は一人の悪人が引き起こしているんじゃないという、それまでの戦争と正義というテーマが台無しだ。一応、それでも悪いのは人間だとアレスは言い訳がましく説明はするのだが、だから何だよという感じである。


アレスはキャラ造形的にも色々微妙で、人間の危険性に気付いていたが故に神に造反したルシファー的な扱いになっている。エンターテイメント性を考えるなら、悪人はとことん悪い奴にすべきだったと思う。戦争を引き起こすことで、戦争の神であるアレスは勝利を祈る人間からの信仰で力が増すとかそういうストレートなクズにしとけば良かった。


もしくはアレスを単に人間の本質を露見させたい文系キャラにしておきたいなら、舞台が第一次大戦なので、アレスの関与はあくまで戦争のトリガーになったサラエボ事件に関与したとかで、確かに戦争の切っ掛けは作ったがここまで酷い戦争に発展したのは人間自身の性による自業自得とかそういうスタンスで行けば良かったのにと思う。

クライマックスに関して

ダイアナが女性ヒーローであるという点を活かすなら、例えば「これが漢の死に様じゃい!」みたいな感じで、毒ガスを積んだ爆撃機もろともヒロイックに自爆しようとするスティーヴを止めて、仲間たちと一緒になんとか他の解決方法を見つけるだとか、同じ女性であるマル博士をなんとか説得して無効化する方法を聞き出すとか、そういう男のヒーローじゃないからこそな、決着の付け方があっても良かったんじゃないのかなと思う。


そして、最後は生き残った仲間たちと酒場で打ち上げをする訳だ。何なら、本当はさっさと戦争を止めたかったドイツ兵なんかも一緒に。音楽はもちろんスコットランド人の狙撃手が担当する。


DC映画は暗いムードで失敗してきたので、ここらでこういうハッピーエンドをぶち込んでも良かったのでは無かろうか。


色々不満は述べたが、それもこれもこの映画はもっともっと面白くなれたはずなのに惜しいなという想いからだ。正直最高傑作だとは思わないが、面白い映画だし、数少ない女性が主人公のアメコミヒーロー映画なので、是非観に行ってほしい。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-08-26 13:23 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】スパイダーマン・ホームカミング

c0325386_01165965.jpg

スパイダーマン・ホームカミングを観て来ました。取りあえず最高なので、またスパイダーマンの映画かと様子見をしているならさっさと観に行くことをお勧めします。

あらすじ

特殊なクモに噛まれてスーパーパワーを身に付けた15歳の少年、ピーター・パーカーはスパイダーマンと名乗り、近所をパトロールして猫を助けたり、ひったくりを捕まえたりしていた。

そんなピーターだったが、ある日、世界的な大富豪でスーパーヒーローのアイアンマンことトニー・スタークにスカウトされ、キャプテンアメリカ達と対決する。(キャプテンアメリカ/シビルウォー)

トニー・スタークにスカウトされカッコいいコスチュームまでプレゼントされたピーターは、自分がアベンジャーズに正式加入し、世界的なスーパーヒーローの一員になれると勝手に期待して舞い上がってしまう。

そしてピーターは、アベンジャーズのトニー・スタークとコネも出来たし、将来はアベンジャーズの一員として世界を救うスーパーヒーローになるから学校なんてどうでもいいんじゃい!と、部活はやるめるわ、補修はサボるわと、将来はYoutuberになるから勉強なんてしねー!と言い張る中学生の様な状態に…。

しかし、トニー・スタークは、ピーターの才能は見込んだものの、あくまで子供扱い。アベンジャーズなんてヤクザな世界に首を突っ込まずに、ヒーローごっこがしたいなら勝手に近所のパトロールでもしていなさいと放置プレイをかます。

そんな中、ピーターはご近所で何やら普通では無いヤバい事件に遭遇する。何とかトニー・スタークに一人前のヒーローとして認めてもらい、アベンジャーズ加入を目指すピーターは、敢えて1人で危険な敵を追いかけるが…。という話。

今作の特徴

スパイダーマン・ホームカミングの特徴は、なんといってもMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)作品であるという点です。

独立したスーパーヒーロー映画として作られた過去のスパイダーマン作品と異なり、アイアンマンやキャプテンアメリカといった他のヒーロー超人が既に存在する世界が舞台になっています。それ故に、ヒーローとはどうあるべきかといった要素だとか、ヒーローとしての二重生活だとか、スーパーヒーローとしての孤独だとか、ヒーローと暴力だとか、他のヒーロー映画で散々語られた様な、今更な要素はバッサリとカットされています。

そして、他のMCU作品と差別化する形で、まだティーンエイジャーであるという点が特に強調され作品になっているのが特徴です。

これまでのスパイダーマン映画は独立作品であるという事情から、基本的に1作目の時点で大人への成長が描かれていましたが、今作ではティーンエイジャーという要素が軸になっている為、ハリーポッターほどでは無いにせよ、シリーズを通して緩やかにピーターを成長させていこうというコンセプトが見て取れます。

なので旧作のピーターが子供以上大人未満な悩める思春期の高校生というイメージだったのに対して、今作のピーターは、早く大人になりたいと背伸びをする、どちらかと言えばまだまだ中学生っぽい感じの少年として描写されています。また、悶々とした高校生では無く、背伸びしたがる中学生という感じなので、ちゃんと親友もいるし、クラブ活動の仲間もいるし、特にいじめられっ子という訳でも無いし、明るい学生生活を前面に出した作品になっていて、その辺が旧作と大きくイメージが異なっています。

過去作との違いに関するあれこれ

旧作からのスパイダーマンのファンとして気になる一番の改変は、やはり、ベンおじさんの死亡イベントに関する影が無くなっている点でしょう。

これまでのスパイダーマンでは、スーパーパワーを身に付けたピーターが最初は私利私欲の為にパワーを使用して調子に乗っていた所、罰が当たってベンおじさんが死んでしまい、社会の為にパワーを使う事を決意し、悪と戦うヒーローになるという流れがお約束でした。

こうした展開は、普通はスーパーパワーを手に入れても、自分の生活を犠牲にしながら悪と戦ったりはしないだろう、という当然の疑問へのアンサーとして機能していたと思うのですが、MCU作品である今作の場合は、既にスーツを着てスーパーパワーで悪と戦うヒーローたちがアベンジャーズとして存在し、ある種のスーパースターになっているので、パワーを手に入れた少年がアベンジャーズに憧れてヒーローになろうとするという展開は、特に違和感なく成立できてしまうという事情があります。

また、ティーンエイジャーを主人公にしたヒーローシリーズとして継続していく場合、先のベンおじさんの死の様なあまりにも重すぎるカルマを背負わせると、全体的なトーンが暗くなりすぎるという事情もあり、大きく改変されたのではなかろうかと思います。

スパイダーマンのファンの中には、こうした重たいカルマを背負っていない点や、相手の人生を背負う様な重たい葛藤が作中に無い点が物足りないという人もいるみたいですが、そういった要素は少年を大人に成長させてしまう要素でもあるので、シリーズコンセプト的に敢えて軽めになっているのかなと思います。

トニー・スタークの新しい役割

今作では、ベンおじさんの影が薄れた代わりに、トニー・スタークがピーターのある種、精神的な父親の役割を担っています。

トニーはピーターにとって、憧れの存在であり、彼に認められるために頑張ります。一方、トニーは同じく早くに両親を亡くしたという境遇もあってか、ピーターに過去の自分を重ねており、早く大人になることを強いられた自分の様にはさせまいと、敢えて子供のままでいさせたいという親心を見せます。

トニー・スタークのストーリーは、アイアンマン3部作で基本的に語り終えている感じでしたが、新たにお父さんとしての役割を得たことで、また新たなトニー・スタークのストーリーが展開されるのではないでしょうか。最初のアベンジャーズは一応キャプテンアメリカという事になっていますが、MCU作品としての最初の一人はアイアンマンなので、そのアイアンマンが新しい世代のスパイダーマンの父親役に収まったのは割と象徴的でもあるなと感じさせます。

ヴァルチャーについて

敢えてここまで触れてきていませんでしたが、今作の悪役であるヴァルチャーはかなり魅力的なヴィランでした。

まず、最初のポイントはヴァルチャーがまっとうな犯罪者である点です。旧作スパイダーマンのヴィランは事故的に狂気に囚われてしまったタイプのヴィランばかりでした。しかしヴァルチャーの場合は、ミュータント化やマッド化はしておらず、完全に一人の人間として自分の意思で戦う犯罪者です。それ故にキャラクターとして、ヴィランとしてではなく、人間としても魅力的なのがポイントです。(補足するなら、ハゲタカをイメージさせる空中戦闘も最高でヴィランとしてももちろん魅力的です。)


ヴァルチャーこと、エイドリアン・トゥームスは原作では発明家から犯罪者に転身した性格の悪い糞ジジイでしたが、今作では政府と大企業に仕事を奪われた怒れる地元の中小企業の社長になっています。政府と大企業が結託して仕事を奪うなら、こっちも生活が掛かっているんだから家族と従業員を守る為にやってやる!と従業員を率いて犯罪に走った、ある意味熱いキャラです。

こうした中小企業が仕事を奪われ政府の規制や大企業優遇にブチ切れている状況は、割とアメリカの現状らしく、そうした要素が反映されているみたいです。ちなみに、トゥームスの仕事を奪った大企業はスターク社であり、相変わらずトニー・スタークはアイアンマンとして活躍する一方で、大企業の象徴としてヘイトを稼いでいます。

感想

MCU版スパイダーマンは、ディズニー作品ではなく、これまで通りのソニー作品ということで、前作のアメイジング・スパイダーマンがウンコだったという事もあって、割と不安もあったのですが、観てみたら余裕でめちゃくちゃ面白かったです。

常に孤独がつきまとい、メイおばさんとヒロインくらいしかまともな人間関係が無かった旧作と比べて、少年が周囲の人たちに支えられながら成長していく少年漫画の王道の様な雰囲気のシリーズになりそうなので、3作、4作とできるだけシリーズが続いて欲しい所です。

あと、トニー・スタークとの疑似父息子関係の行方だとか、親友ネッドとの関係がその内彼女が出来たら亀裂が入ったりしないかなとか、新しいメイおばさんは若くて美人なのでそのうち再婚イベントが発生しそうとか、そういうヴィラン以外のドラマ要素に期待できるようになったのはシリーズとして大きな収穫だったんじゃないかなと思います。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-08-18 01:43 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ザ・マミー 呪われた砂漠の女王

c0325386_18235870.jpg

ザ・マミー、観て来ました。感想としてはトム・クルーズ映画としては最高だけども…という感じ。


溢れるトム・クルーズ要素

正直、トム・クルーズは最近の方がノリに乗っている。オフビートなギャグ。体を張った無茶なアクション。そんなトム・クルーズの十八番が十二分に味わえる仕様になっている。


ミッション・インポッシブルのローグネイションでは、トム・クルーズが水中で6分間も息を止める無茶な演技を見せてくれたが、今作でもそれを彷彿とされる水中戦シーンが登場する。というか、ミイラ映画で何で水中戦なんだよ?という感じだ。完全にトム・クルーズ的アクションの見せ場として水中戦をブッこんだ感じだろう。墜落する飛行機内でのアクションなんかも、トム・クルーズらしい見せ場の一つだ。


…という感じで、確かにトム・クルーズ映画としては嬉しいシーンだらけなのだが、ザ・マミーというか、明らかにザ・トム・クルーズという映画なのである。


微妙すぎるアマネット王女のキャラ

残念だったのが敵キャラであるミイラのアマネット王女だ。武芸も出来る男勝りの王女で王位継承者として目されていたのだが、王にやっとこさ息子が生まれるとあっさりお払い箱に。キレた王女は、邪神セトの崇拝者となり、その弟や王を殺して王になろうとするが、神官たちにあっさり阻まれる。


ここだけ切り取ると、優秀なのに女だったせいで王になれなかった時代の犠牲者的なキャラクターを見いだせるのだが、なぜか蘇ったアマネット王女は自分を蘇らせたトム・クルーズに執心して、自分のものにしようとした挙句に、トム・クルーズに騙され滅びるのである。


ハムナプトラのイムホテップなんかの場合は、そもそも禁断の恋が原因でぶっ殺された神官が、現代で恋人と瓜二つの女性と再会するという話だったので、女の尻を追いかけるのはキャラ的に分かるのだが、アマネット王女の場合は明らかに生前は男の尻を追いかけて身を滅ぼすキャラじゃなかったので違和感しか無かった。


乃木坂46の『女は一人じゃ眠れない』という歌が、ワンダーウーマンのイメージソングに採用されて炎上していたが、この映画のイメージソングにしておけばよかったのでは?という感じである。


奪う男、奪われる女

アマネット王女の謎のキャラクターチェンジはともかく、ある意味でアマネット王女は時代の犠牲者だった。そんなアマネット王女が、現代に蘇ってどうなるかというと、碌な目に遭わない。シワシワのモンスターとして蘇り、確かに幾らか人を殺してモンスター活動もするのだが、惨めに鎖に繋がれ拘禁されてしまうのである。もちろん最終的に脱走して暴れるのだが、結局はトム・クルーズの甘い囁きに騙されて身を滅ぼす結果となる何とも救いの無い内容であると言わざるを得ない。


また、主人公であるトム・クルーズの描き方もかなり際どい。直接描かれはしないが、主人公は冒頭でヒロインである博士を口説いてセックスして宝の地図を盗み出している。それがある意味伏線となって、最後にまたアマネット王女からアーティファクトを盗む。アマネット王女は悪人なのでそれみたかと言いたいのかもしれないが、基本的に主人公は最初から最後まで女を騙して何かを奪う糞野郎なのである。


モンスターは主人公の方だった?

はっきりいってあからさまに男尊女卑的なニュアンスがあり問題があるように見えるが、好意的に解釈することも出来る。それは真のモンスターが主人公だったと解釈することも出来るからだ。なぜならラストに主人公がモンスターになる、まさにミイラとりがミイラになるオチになっているからだ。なので、ヒーロー映画において、主人公が真のヒーローになって終わるオチの真逆を描いたパロディとして受け取ることも出来る。なぜならこれは、モンスター版のアベンジャーズともいうべきダークユニバースというシリーズ作品の第一作でもあるのだ。


先にも述べた様に、主人公は女から何かを盗む男である。それに、明らかに危険やスリルを楽しむちょっとイカれた人物である点もはっきり描かれている。相棒っぽい仲間を撃ち殺す場面は半ばギャグとして面白シーンとして描かれたし、最後にアンデッド従者にして相棒を蘇生させて引き連れていたのも、よくよく考えると狂った所業である。


チョロっと出演していたジキルとハイドのラッセル・クロウからもその片鱗は感じることは出来る。普通ジキルとハイドと言えば、善人と悪人の多重人格者という感じだが、ラッセル・クロウのジキルとハイドは変身すると多少顔色が悪くなるくらいで、ジキル博士の時もかなりイカれた人物であるように見えたからだ。ダークユニバースは、リーグオブレジェンドの様なモンスター的な属性を持ったヒーローが集合する映画では無く、真の意味で邪悪なモンスターが終結する映画なのかもしれない。


ここが変だよザ・マミー

まず気になるのは、なんでミイラの発掘にイラクに行くんだという点だ。一応、古代エジプト人が世界の果てとしてイラクまで頑張って棺を封印しにいったという話にはなっていたが、イラクとイギリスで展開されるエジプトのミイラの話って何だよとしか言いようが無い。


1つ思い当たるのは、舞台をイラクにして遺跡を破壊するタリバンだか何だかを配置することで、遺跡を盗掘した感を軽減するという目的である。もし前述の推測の様に、実は主人公こそがモンスターでしたという構図を本気でやりたいなら、トム・クルーズが部隊を率いる立場で明確に盗掘行為をすべきだったと思う。ミイラにはどうしてもイギリスによるエジプトからの盗掘行為という黒歴史が付きまとう。それを回避する為に舞台をイラクにするという歪なことをしたのであれば、アマネット王女が結局は男性に奪われる女性として描かれる状況と相まって、現代映画としては色々問題を抱えていると言わざるを得ない。


あと、セト神を召喚するアーティファクトが何で十字軍によってイギリスまで持ち帰られたのかという点。これに関しては、単に舞台をイギリスにする都合と、復活したアマネット王女が手に入れるとヤバいパワーアップアイテムとして設定する都合で作られたギミックだと思うが、はっきり言って不自然すぎてヤバい。

アーティファクト回りの設定としては、結局アマネット王女がアーティファクトをどうしたらアウトで、どうやるのが正解なのかという点がかなりフワッとしていたのも個人的にはマイナスポイントだった。


さらに云うなら、飛行機事故から無傷で生還?したトム・クルーズはどういう状態だったのかも全然分からなかったのもマイナスだった。あの時点で不死者になってたのか、1回だけ蘇生させてもらっただけなのか、アンブレイカブルになっていたのか、どうなんだという。そこの描き方次第ではもっとモンスター物として面白くなったんじゃないの?という。


総括

ユニバーサル映画のモンスターを復活させるダークユニバースの第一弾としては、かなり先行きが不安になる作品である。


トム・クルーズ愛は感じるが、モンスター愛はあまり感じられない映画だからだ。続編が作られて主人公と共闘までするくらいに愛されキャラだったイムホテップと比べると、はっきり言ってアマネット王女はキャラも良く分からないし、魅力は無い。高評価しているのは演じているソフィア・ブテラのファンくらいでは無かろうか。


酷評気味だが、トム・クルーズ映画が好きという人には普通にオススメ出来る作品なので、見て損するタイプの映画では無いので、時間があれば是非観に行ってみるべきだろう。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-08-04 19:22 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ハクソーリッジ

ハクソーリッジを観て来た。厳格なキリスト教徒の青年が、衛生兵として従軍し、周囲から非難され臆病者と罵られながらも武器も持たず人を殺さずを貫いて、誰よりも勇敢に戦場を駆け回り大勢の命を救ったという実話を元にしたストーリーである。

あらすじレベルで要約すると戦争下においても宗教的な美徳を守ったという美談にも聞こえるが、映画では「宗教の教えに従い人を殺したくないなら、そもそもなぜ従軍したのか?」という部分にも焦点を当てていて、人間描写が面白かった。あと誰かしらが爆撃やら銃撃で常に肉片をまき散らしているレベルの戦場描写がエグかった。

以下、完全なるネタバレ感想。

デズモンドのトラウマ

主人公のデズモンド・ドスは徴兵された訳では無く志願した兵士である。それも周囲の反対を押し切っての従軍だ。母親や婚約者が反対するのは当然として、父親に関しては第一次大戦のPTSDで長年苦しんでいて、一緒に従軍した友達が目の前で死んで一人生き残ったことを後悔しているような人物である。そうした話を主人公にもするのだが、それでも主人公は従軍するのである。

また主人公は軍で自分の信念に基づく主張(非暴力主義&ライフルを触りたくない)を貫こうとしてイジメに遭うのだが、周囲の軍人達が主人公をイジメる理由は暴力を強制する為ではない。自分から除隊させる為だ。暴力が嫌なら戦場に来るべきでは無いし、個人の信念で非暴力主義を貫いて武装すらしない奴が部隊に居たら普通に考えて自分たちまで危険だからだ。

軍人達も、みんながデズモンドは戦場に来るべきではないと次々に上官も出てきて説得するのだが、デズモンドは頑なに自分の信念を貫きつつ戦場に行くことに拘る。結果、同僚に苛められる事になるのである。

トラウマと贖罪

デズモンド・ドスの信念や頑なに戦場に行こうとした理由は、過去のトラウマにあった。デズモンドは幼少期に喧嘩でレンガを使用し、兄弟を殺しかけたことがあった。兄弟を殺してしまったのでは無いかという恐怖に怯え、真っ青になるデズモンドの視線の先にはアベルを殺すカインの図画という分かりやすい演出も挟まれる。結局、兄弟は死ななかったが、デズモンドの心には殺人の罪に対する恐怖が刻み込まれ、信心深い青年へと育つ。

そして戦場にて、かつて家庭内暴力で母親を殴る父親を銃で殺害しかけたというエピソードもデズモンドの口から語られる。撃ちはしなかったが、心の中では父親を射殺した。それ以来、銃は触らないようにしていると告白する。

確かに、主人公のデズモンドは、厳格な宗派のキリスト教徒なのだが、人殺しの拒否や、銃を触らないという行動は、宗教的な教義に基づく行動というよりはデズモンドの個人的なトラウマに基づくものであったと、少なくとも映画では描写されている。

そして、従軍の理由もそうした過去の罪悪感から来ている。デズモンドは、恐らく罪を犯した自分を嫌っていた。それ故に厳格なルールを自分に課し、さらに周囲の反対を押し切って危険な戦場へと向かった。そして、他人を助ける為にというよりは、自分自身を救う為に、命がけで戦場で多くの人を救うのであった。

PTSDの父親

デズモンドの父親は、第一次世界大戦のPTSDで家庭内暴力親父と化している。デズモンドと兄弟が幼少期に殺し合い一歩手前の喧嘩をするくらいに荒れていたのも、おそらく父親の暴力のせいだろう。

父親は、生き残った自分が許せず、自暴自棄になっている。自分が愛せないので、妻も息子も愛せないのだ。デズモンドとその兄弟も志願して従軍したのだが、おそらくはこの父親への復讐の意味合いもあったのだろう。

父親はとある場面で、デズモンドが戦場に行く手助けをするのだが、恐らく父親はデズモンドが戦場に行くことで自分を救済しようとしているという事に何となく気付いたのでは無いだろうか。この場面はかなりグッと来るシーンである。

沈黙との比較

主演のアンドリュー・ガーフィールドはついこの間、同じように熱心なキリスト教徒の役をやっていた。

沈黙の場合は、キリストは、踏み絵を踏んじゃう様な心の弱いキリスト教徒こそ、より救うべき存在では無かろうかみたいな、割と神学的な話であった。

一方の、ハクソーリッジは過去の罪悪感から自分の心を救おうとする話であった。自ら危険に飛び込み、他人を救うことで、自分の心を救おうとする行為は、いささか倒錯しているものの、確かに宗教的である。

沈黙は心の強い人ほど狂信的な行動が取れる(踏み絵を拒んで殉教できる)というスタンスであり、穿った見方をすれば俺たちは弱いんだ、強いやつらこそむしろ異常みたいな描き方だったが、ハクソーリッジの場合は罪悪感の強い人ほど、自らを救済する為に狂信的な行動が出来るという話であり、狂信者には狂信者の理由があるという描き方だったので、割と共感しやすいとは思った。

主人公とトラウマ

ストーリーの主人公というのは、大抵の場合、普通の人には出来ない事をやってのける。何故にそんな異常な行動が出来るんだという部分のリアリティに、過去のトラウマを引っ張って来ることが多い。

デズモンドもそうだが、自ら危険に飛び込む様なヒーローは何かしらの罪悪感から自らを罰したいという願望を抱えている事が多い。自分が嫌いだから、酒浸りになったり、麻薬に走ったり、暴力に走ったりと長生きしたくなさそうな日常を送る。

監督のメルギブソンはそういう死にたがりなキャラを演じた事も多いし、本人もバイオレントかつキリスト教原理主義なおじさんなので、そうした自分を罰したいイズムとマゾヒズム的な救済をデズモンドや主人公の親父を通じて上手く表現できるのでは無いかなとか思った。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-06-29 22:28 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ローガン

ヒュー・ジャックマン版ウルヴァリンの最終作『ローガン』、早速観て来た。以下、ネタバレしまくりな感想。

あらすじ

年老いて身体に色々ガタが来たローガンが、未だに続いていたウェポンX計画で自分のDNAを使って勝手に作られていた少女版ウルヴァリンのローラを託され連れてカナダ国境を目指して逃避行する話。

感想

実験室育ちで常識が無く狂暴な少女ローラと、認知症になっちゃってお薬を飲んでないと能力が暴走してヤバい元プロフェッサーXことエグゼビア老人という、2つの爆弾を抱えての逃避行が面白い。

ローラは、チビで狂暴で手だけじゃなく足にまで爪がついてる殺人マシーンで少女ながらも正しくウルヴァリンという感じで最高だし、エグゼビアはお薬ちゃんと飲んだ?状態で、ローガンにトイレに連れてってもらったりとかで完全に要介護老人になってて最高。

ただ、肝心のローガンの話が正直ちょっと微妙というか、低空飛行すぎて趣味じゃない感じ。どうぜ引退作として最後に死ぬにしても、オールドマンローガンの耐えて耐えて耐えて・・・最後に大殺戮っていうプロットは使って欲しかったなと個人的には思う。

ローガンが弱ってヨタヨタしているので、相対的に敵も中途半端。単なる傭兵集団なドナルド・ピアース率いるリーヴァーズと、ウェポンX計画残党の科学者と、あとターミネーター的な傀儡兵士(ネタバレ防止でここは一応伏せておこう)。最終的におじいちゃんが老体に鞭打って頑張るだけの話になっちゃって悲痛というか、しょっぱい話になってしまったのが残念でした。

どうせ引退作なら、ウルヴァリンやっぱりカッコいい!最高!もっとお前の活躍を観たかったよ!みたいな終わり方をして欲しかったな。

思うに、ボケ爺と狂暴なガキを連れての逃避行という所までは上手く行っていたんだよな。

後半、急にローラが急に喋り出すのとか、は?って感じで、そこから尻すぼみ的に消化試合になっていく。喋りもできない野生動物っぽさは演技やったんかいワレ!

妄想

個人的な願望としては、ローラは孤独で野生動物めいたX-MENと会う前のウルヴァリンであってほしかった。助けてくれた看護師の人とか、エグゼビアお爺ちゃんの介護とかを通じて、人間らしさを学んでいって、ローガンも自分も仲間に救われたからローラも絶対に仲間の元に届けなきゃみたいな話にしてれば、もうちょっとうまい具合に良い話になったのでは無かろうか。

そういう意味で、ラスボスはウルヴァリンのダークサイドというか、こういう大人になっちゃ駄目だよ例としてセイバートゥース辺りを持ってきて欲しかったな。で、最後は仲間の為にバーサーカーになるんだよ精神をローガンがローラに示して、ローラが2代目ウルヴァリンになって仲間と一緒に旅立っていく的な。

ローラは施設では怖がられてたというか、ちょっと浮いてて馴染めないんだけど、クライマックスでの戦闘を通じて子供たちの信頼される仲間になる。そんな話が良かった。

結論としては、折角ローラという娘が出てきてるのに、父と子みたいなテーマが希薄で単に老兵ローガンの死に様みたいなしょっぱいドラマで着地しちゃったのか、この映画の微妙なポイントじゃなかろうか。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーvol.2のヨンドゥという最高のお父さんの死に様を観ちゃったせいで辛口になったかもしらんが、おおむねそんな感じ。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-06-01 15:13 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】SING

c0325386_17310016.jpg

万人にお勧めできるタイプの最高の音楽映画。

とにかくタイトルの通り、歌についての映画である。新旧のヒットソングが登場しまくるのも楽しいし、歌の持つドラマやカタルシスが最高に引き出されている。ズートピアもそうだったけど、動物キャラを使う事によって、ドラマ性も身体表現もデフォルメが利いていて素晴らしい。

あらすじとしては、潰れかけた劇場のオーナーが最後の興行として賞金が出る素人のど自慢大会を開催する。そこに集まった人たちの群像劇である。

ブタのロジータは、子育てに翻弄される歌好きの専業主婦で、彼女のストーリーの主なテーマは抑圧からの解放である。ブタだから死ぬほど子沢山というのが笑える。のど自慢大会に出る為の練習時間を作る為に、日々の家事をからくり仕掛けでオートメーション化するんだけども、子供も旦那もまるで気が付かないという皮肉な描写が活かす。ラストは、日々のルーティンに埋もれて留守にしていても気付かれなかった専業主婦のメスブタ(文字通り)が活き活きとして歌う姿を見せつけ、子供たちも旦那も今まで観た事がなかったロジータの姿に熱狂する。

ゴリラのジョニーは、ギャング団のボスの息子で犯罪稼業の跡継ぎになることを求められている青年である。ジョニーの話も、抑圧からの解放だ。ジョニーは本当は歌手になりたいのだが、親父はそんなことをを許さない。本当は別の事がしたいアメフト部のスター選手の話みたいな感じである。こっそりのど自慢大会の練習をしていたことが最悪の形でバレて勘当同然になるんだけども、ラストで素晴らしい歌を披露するジョニーの姿を見て、親父の心が動く。ゴリラならではの躍動感溢れる和解シーンが最高だ。

ヤマアラシのアッシュは、彼氏とロックバンドを組んでいる女の子。今まではロック歌手を気取る彼氏に合わせる形で自分を抑えていたが、のど自慢大会が原因で彼氏と別れ、傷心を糧に、最高のロック歌手へと変貌する。ロックな精神が、実際にトゲとして周囲の人に刺さりまくる描写が面白い。

ネズミのマイクは、人間的には糞野郎なミュージシャンである。別にのど自慢大会をきっかけに成長したりはしないが、ラストにそれまでの糞野郎っぷりを吹っ飛ばす才能を見せつけてくれる。悪人タイプの主人公は、何かしら尊敬すべき美徳を1つは持っているが、マイクの場合はそれが音楽なのだ。

ゾウのミーナは、歌の才能があるが、内気でみんなの前で歌えない女の子。ミーナの話は、言ってみれば自分の殻から周囲の人々によって引っ張り出される話である。ラストでオオトリを飾り、パワフルな歌声を披露する。

歌に関する幾つものドラマが、のど自慢大会というイベントを通じて1本に収束していく。ドラマも面白ければ、歌も最高。いうことなしの1本である。

ちなみに、借金に追われて潰れかけの劇場支配人のコアラのバスター・ムーンの話も好きだ。金持ちの息子で何もして無さそうなボンクラな羊のエディとのポンコツ相棒コンビで頑張る部分が楽しい。あと、期待されていなかった人たちが最高のステージを作り出して、町中を熱狂させるという全体的なストーリーもシンプルに最高である。


[PR]
by cemeteryprime | 2017-04-05 18:29 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち

c0325386_17405481.jpg
観て来た。最高に楽しい映画でした。奇妙で、不気味で、楽しくて、幻想的。ファンタジー映画はやっぱりこういう、魔法に掛けられた気分を体感できる作品でなくっちゃいけないなと改めて思った。

ストーリーがどうこうとか、ビジュアルがどうこうというより、とにかく豊かなイマジネーションをぶつけて楽しい気分にさせてくれる映画なので、観に行くべし。お勧めです。

大雑把なあらすじとしては、おじいちゃんがある日、奇怪な死に方をする(目玉をくりぬかれて死ぬ)。その死に方や、事件現場で目撃した怪物の存在などから、おじいちゃんがかつて怪物と戦っていたという話やその他諸々の信じられないような不思議な話の真相を確かめたくなった主人公は、おじいちゃんが子供の頃にいたという、変わった子供たちが集められた養護施設に向かう。そこは異能を持った子供たちを保護するシェルターであった。そして、そこにサミュエル・L・ジャクソン率いる悪の異能者軍団が攻め込んでくる・・・。みたいな感じ。

個人的な見どころとしては、ホローっていう怪物が、完全にスペクトラル・ハンターな所(クトゥルフ神話TRPGネタ)。これを観たら、シナリオにスペクトラル・ハンターを出したくて仕方が無くなるはず。あと、TRPGで別に中世が舞台って訳でも無いのにクロスボウの射程を大型、中型、小型に分けて細かく載ってたりするシステムがあるけど、クロスボウとか使う場面なんかあるのかよと思ってたけど、この映画観たら、クロスボウって素敵!って思えた。

[PR]
by cemeteryprime | 2017-02-07 20:40 | 作品・感想 | Comments(0)

カテゴリ

作品・感想
雑記
日記
TRPG講座・考察

タグ

(123)
(52)
(35)
(35)
(27)
(27)
(24)
(22)
(21)
(17)
(11)
(10)
(9)
(8)
(8)
(6)
(5)
(5)
(4)
(3)

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 09月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月