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【映画感想】シェイプ・オブ・ウォーター:補講

シェイプ・オブ・ウォーターについての追加記事。


ストリックランドを考える

シェイプ・オブ・ウォーターは、半魚人との異類婚姻譚的な部分ばかりが注目されがちである。実際の所、最終的なテーマとしてはそこが肝心なのだが、それよりも個人的にもっと注目した方が良いというのは悪役のストリックランドである。

個人的に私がこの映画で一番衝撃を受けたのは、ストリックランドの描かれ方である。まず、権力への執着と車への愛着という性質が、共にディスコミュニケーションへの欲望という文脈上に存在することを見せつけた。権力は交渉では無く命令を可能にしてコミュニケーションのコストを減らせるし、物に愛情を注ぐという行為の間は人に愛情を注いでいないのである。

権力への執着についてはピンと来ないかもしれないが、ストリックランドの物に執着する、会話が嫌い、口煩い女が嫌い、という性質は何かを想起させる。そう、所謂オタクである。ストリックランドは、オタクが持つ負の部分でもあるのだ。

ストリックランドとオタク、日本人

だから、シェイプ・オブ・ウォーターを観た時、まずこの部分に衝撃を受けた。何故なら私もまたいわゆるオタク的な人種だからだ。この作品内において諸悪の根源として描かれるディスコミュニケーションへの欲望を、オタクは強く持っている人種であるという話でもある。そしてこの作品の監督であるギレルモ・デル・トロもまたオタクである。己の内なる悪を、ストリックランドに投影してもいる訳である。

ついでにもう1つ指摘しておきたいのは、ストリックランドは所謂アメリカ人というよりは、日本人に近いという点である。単に官僚的な人物であるとも言えるが、日本は世界的に見て官僚制に特に親和性の高い民族でもあり、まぁ同じ話である。ストリックランドがアメリカ人というよりは日本人的で、更に言えばオタク的であるという指摘は、1つの恐ろしい事実を浮かび上がらせる。

日本国内においては、オタクと非オタクは対立軸的に語られる事が多いが、実は海外と比較して日本人的特徴としての傾向を更に強めるとオタクになるという話でもある。

個人的に、クールジャパンやオタク的想像力が世界に刺さった理由というのは、強烈なフェティシズムでは無いかと考えている。徹底的な物への耽溺である。これはディスコミュニケーションへの欲望と密接にリンクしている。現在、世界各国で社会が民主主義の名の下にバラバラに分裂しつつある状況と、実はこのディスコミュニケーションへの欲望はマッチする。日本人はオタク的想像力が世界に広がっている事を無邪気に喜んでいるが、実は危険な兆候でもあるという話なのだ。何故なら、ストリックランド的な人物が増えているという話でもあるからだ。

だからこそ、シェイプ・オブ・ウォーターを観た日本人、それも特にオタクの場合は、自分の中のストリックランド性について真剣に向き合うべきなのである。

ストリックランド問題

そして、それ故に日本人はストリックランドと向き合えないという問題もある。Twitterを観ていて気付いたのだが、日本人にはどうもストリックランドに同調し過ぎてしまうが故に、彼が悪役として描かれる事に納得できないという人までいるのだ。ストリックランドは自分なりに正しいと思ったことを、苦しみながら努力して貫いているだけじゃないかと。

映画を観れば分かるが、ストリックランドの話は1つの悲劇として描かれている。真剣にやった結果、大惨事をもたらす結果になったという話は珍しくない。本人に悪気は無かったのでセーフだと庇うこと自体は否定しないが、セーフだからこれからも今まで通りやれば良いという話になると、再び大惨事が引き起こされることは冷静に考えれば分かる話であう。ストリックランド的な在り方がもたらした大惨事は、ストリックランド的な在り方を肯定している間は繰り返されるのである。

映画において、ストリックランドは問題を起こして責任を押し付けられる。ストリックランドは、組織の正しさに従って努力して来たのに何故だ!?と慟哭する。実は組織の問題なのだが、ストリックランド個人の問題として片付ける事で、組織の在り方を変えなくて済むのである。そして、変えなくて済むのでストリックランド以外の全員が喜んでこの決定に従うのである。

ただ、こうした要素は日常的に蔓延している。ニュースを見れば日常的に色んな場所でストリックランド的な話が繰り返される事に気付ける。問題を再発させないよりも、変わりたくないを優先してしまうのである。

半魚人問題

まずは異なる相手との共通点を探す所から始めようというのが、この映画の半魚人を巡る話のメインテーマである。共通点を見つけ、コミュニケーションをとる。ディスコミュニケーションへの欲望と対立する概念の愛を、この映画ではそういう形で表現している。

半魚人はどうだか知らないが、実際、相手が人間の場合は、異なる部分よりも自分と共通する部分の方が多い。シェイプ・オブ・ウォーターが特に素晴らしい所は、自分と違う相手を受け入れろだとか、違う部分を愛するべきだという様な押しつけがましい事は言っていない点だ。よく見れば、共通点の方が多いはずだという事実だけを述べているので、普遍性があるのだ。

デル・トロはインタビューか何かで、何かを正しいと決めつけたら、それ以外を間違っていると否定することになるとみたいな事を言っていたが、極論を言えば、人間は全員が全員バラバラである。なので違いを探そうと思えばきりが無い。だからこそ、共通点に目を向けず、違う部分だけを見て、違う点を責めるという思想自体が、本質的に有害であるという話になるのだ。この思想は原理原則的に人をバラバラするのである。実際、現代社会はそういう危機に直面している訳だが…。

シェイプ・オブ・ウォーターを観た人間は、これは半魚人だけに適用されるべき話では無いという事をもっと真剣に考えるべきだろう。なにより注意すべきなのは、人は他人を属性や肩書きで捉える時、共通点には目を向けないという問題である。

例えば、男が女を語る時(逆も同じく)、共通点には触れない。違っている点だけを挙げて、それが正しいか間違っているか、許容範囲かどうかを語る。8割がた共通していても、2割の差異について語るのである。ハッキリ言ってこれはある種の盲目である。

そして何より問題なのが、何かしらの問題が起こった時に、その原因は違いから来るものだと断定しがちになる所だ。違いから来てる場合もあるだろうけども、共通部分から来る問題だった時が深刻で、問題が解決できなくなるのである。ここで、半魚人問題はストリックランド問題と合流する。つまり、自分たちを庇う気持ちが、問題の解決を避けるのである。

芸術作品の力

シェイプ・オブ・ウォーターは、アカデミー賞を確か4つくらい受賞していて、作品賞にも選ばれた。これを称して、オタク的な作品がアカデミー賞というメインカルチャーにおいて認められたと喜ぶ風潮がネットで観られたが、これまでの話を振り返って改めて考えて欲しい。

この作品において、ストリックランド(オタク的想像力)はどう描かれていただろうか?確かに、クリーチャー映画が賞を取った事は確かだし、美術面にもオタク的な拘りが散りばめられてはいるが、メインテーマとしては、オタク的な想像力に対して警鐘を鳴らしている作品でもある。

デル・トロは、入り口自体は何でも良くて(デル・トロの場合はオタクコンテンツだった)、深く考える事が重要だと言っている。これは真実で、確かに対象を深く観察すれば、まずは違いに目が行くんだけど、最終的には共通部分が見えてくるという話でもある。故に、入り口は何でもいいけど、人が作ったものに興味を持てば、最終的には人に、更には人の共通性や本質に到達できるという話で、明らかにデル・トロはそうした境地に到達できたことを、この映画を通じて示してくれている。

なのでそういう意味において、最初は人から目を背けるオタク的な在り方をしていても良い。でも、それを突き詰めると、人を見ることに繋がり、更には人の共通点について考えるようになるという話なんだけど、問題は果たしてこの映画を観た観客にそれがどこまで通じるのだろうかという点である。

Twitterで最近悲しいなと思ったのが、シェイプ・オブ・ウォーターを誰よりも理解してそうな映画評論家の人が、話題が政治になった途端にそういう見方が出来なくなってしまっているのを見た時だ。ストリックランドは社会的弱者に対してああいう振舞い方をしているのが問題なのではなく、ストリックランド的な在り方そのものが問題であるのに、どうも強者には(自分より強い権力を持つ相手には)ストリックランド的な振舞いをしても良いと考えてしまう人は多い様だ。反〇〇みたいな姿勢は、それこそ違う部分(タグ)しか観てないストリックランド的な考え方であり、彼らに問題の解決は出来ないだろう。

最近、ハリウッド映画は、こうしたモラルについてのメッセージ性が高い作品を送り出す傾向が強くなっている。政治的だ何だと言われたりもしているが、モラルについて語って何が悪いという話でもある。

思うにこれは、みんなが信じられる、みんなを繋がる大きな物語の欠落を、映画で補おうじゃないかという意志の表れだろう。何故なら、現実問題として社会の分裂が激しくなって来ているからだ。多様性を大切にしようという風潮は、裏を返せばバラバラになって来ているからこそでもある。ただ、そうした話は単に言って聞かせても相手に届かない。だからこそ、ハリウッドは面白い美しい芸術作品として、そうしたメッセージを発信する手段に出ている。

ただ、先にも述べた様に、シェイプ・オブ・ウォーターくらいの傑作でも、その意図まではきちんと伝わっている様には思えない節がある。幾ら楽しくても、メッセージについて考えてもらえなければ同じである。

同じオタク仲間であるデル・トロが趣味丸出しで作った映画が、評価された!嬉しい!異類婚姻譚だ、嬉しい!みたいなタグレベルの認識で、止まっているのは違うんじゃなかろうかと私は思う。勿体ないよと。なので、こうして補講という形で、長文を書いてみた。シェイプ・オブ・ウォーターについて考えるきっかけになれば幸いである。


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by cemeteryprime | 2018-03-14 13:30 | 作品・感想 | Comments(0)

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