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【雑記】物神崇拝と日本の国民性

映画『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て改めて考えさせられたのは、日本文化や気質の大きな特徴として、フェティシズム傾向の強さがあるのではないかという点である。これはオタク性と言い換える事も出来る。

フェティシズム(物神崇拝)

フェティシズムとは、文化人類学的にはパワーが宿った偶像や護符といったアイテムを崇拝する文化である。心理学的にはアイテムや動物や人の特定部位のみ、といった人間以外のモノを強い愛情や性欲の対象にする傾向をこう呼ぶ。

こうした態度をフェティシズムと呼び、ある種の倒錯と捉えるのは、人として…というか生き物として本来あるべき姿は、まずは自分を。次に家族や恋人を。更には隣人、延いては同じ人間として全ての他人を…愛するべきだろうという思想が前提としてあるからだろう。なので、そうしたものを蔑ろにして物(や概念)に優先的に愛情を注ぐ姿勢は倒錯的であるという訳である。

知性とフェティシズム

しかしながら、恐らくフェティシズムは人間の本質的な属性でもある。思うに動物は知性が向上し、思考回路が複雑になると、好きと嫌いを同居させる様になり、複雑な葛藤を抱える様になる。

先に述べた人が生き物として本来備えるべき愛情とは真逆の自己嫌悪、同族嫌悪というモノが芽生えはじめると、自分や他人から目を逸らしたい、別のモノに愛情を注ぎたいという欲求が芽生える。

こうした思考回路の複雑に伴ってフェティシズム傾向が生まれ、モノに執着し、モノで遊び、モノを作る様になり、やがては文化を発達させる様になった。…という文脈を勝手に想定しているのだが、そこまで的外れでは無いだろう。

フェティシズムは、人以外を愛するという行為でもある為、度が過ぎると退廃的であり反社会的であると非難を受ける。他人に対して心を閉ざし、物に強く執着する姿勢はオタク的と呼べるが、相対的にフェティシズム傾向が過ぎているという話でもある。

フェティシズムの悪い部分

映画『シェイプ・オブ・ウォーター』の悪役、ストリックランドにはそうしたフェティシズム傾向(オタク性)の負の部分が集約されていた。権力への執着、物への強い執着、大人しい都合の良い女への偏愛という気質である。これらは全てディスコミュニケーションへの欲望として説明することも出来る。

権力を求める姿勢は、オタク性とは真逆に思えるが、権力はコミュニケーションの面倒臭い部分を省略する為のシステムでもある。デカい事をするには、人手がいるが、人が増えるとコミュニケーションのコストも増える。しかし権力があれば命令権によって、ある意味で他人を道具として扱えるのでコミュニケーションのコストは下がる。技術系のオタクは権力ではなく、機械的なシステムでコミュニケーションの面倒臭さを改善しようとするが、方向性は同じである。

日本の独自性

フェティシズム傾向は人の本質であるとも言えるし、シェイプ・オブ・ウォーターが警鐘を鳴らしている様に、世界的にもそうした要素は強くなる一方なのだが、それを踏まえてもなお、日本は特にこの傾向が国民性として強いと思われる。日本のオタク文化が世界を席巻みたいな話は、自国万歳イズムも多少は入っているだろうが、ある程度は真実で、ただしオタク性にはネガティブな要素もある以上、もうちょっと深刻に考えた方が良いのも事実だろう。

日本において、こうした特性が特に強まったのは、目を逸らす能力の高さが原因では無かろうかと思える。フェティシズムの発達は、目を逸らす能力の高さと密接に関係している。目の前のモノを視ない能力は、存在しないモノを視る能力(=想像力)に繋がる。想像力は、モノを作ったり、愛でたりする上て不可欠な能力である。

日本において、なぜこうした目を逸らす能力が発達したのかと言えば、それは地震大国であることが影響しているのではないかと考えられる。地震の脅威は、基本的には人間にはどうしようもないし、日本中どこに行っても地震からは逃れられない。確実にあるけど避けられない脅威と付き合うには、目を逸らすしかないという理屈である。

更に付け加えるなら、異民族や他文明との衝突という脅威に日常的に晒されていなかったという事情も関係していると思われる。異民族という脅威は、人が何とか出来るタイプの脅威なので、目を逸らしている場合ではない切羽詰まった事情になる。加えて異民族という敵を知る事も、立ち向かう為に団結することも、人から目を逸らさないという文化に繋がる。

日本の場合は島国で比較的そうした脅威が薄く、その結果、民族大移動的なイベントとも縁が無かったので、比重として目を逸らす文化の方が強くなり、フェティシズムが高度に発達する土壌が出来たのでは無かろうか。単なる推測だけども。

日本文化の本質的な矛盾

その文化の本質を知る為には、その文化が抱える矛盾を知るのが手っ取り早いという言葉がある。誰の言葉だったか忘れたが。

先に述べたフェティシズム強めの文化があるとい前提で、日本の大衆文化の在り方を理解する為の矛盾は以下の2つの傾向だと考える。

A:気に入ったモノがあると、脱構築とN次創作とキャラ萌えとフェティシズムで徹底的に奇形化させて、消費する傾向。

B:血筋の純粋さや、伝統的な正当性、天然性、純粋無垢性、シンプルさを求める傾向。

この2つの相反する対極的な嗜好は、特に大衆的な文化に明確に出ている。

Aは言ってみればフェティシズムの極北といった性質である。モノには形やルールが必要になり、モノを愛するという事はそうした形やルールを愛する事にも繋がるが、日本人の場合はそれを徹底的に破壊し変形させる事を好むのである。

日本の神様や歴史上の偉人を単なるキャラクターとして魔改造しまくる傾向なんかは、分かりやすいAの事例だろう。これは外国から抗議を受けてニュースになる事も多い。別にそういう魔改造をするのは日本だけでは無いだろうが、特に敵意がある訳でもなく、ここまでカジュアルかつ極端にそういうことをやるのはやっぱり日本くらいでは無かろうか。

この傾向は最終的にはオリジナリティの否定や物の価値の否定にも繋がる。日本には昔から芸術作品が安価で大衆に消費されてきた文化があり、また創作において二次創作どころか三次、四次といったN次創作を加速させる文化も存在している。映画『リメンバーミー』において、モノの価値はそれが生まれるまでに尽力してきた人々へのリスペクトで担保されているというメッセージがあったが、フェティシズムの極北であるということは、そうしたリスペクトの激しい欠落も意味している。

BAに対する反動的な傾向だと解釈できる。日本の場合は、Aが極端に強いので、反動としてのBも極端に強い。大雑把に言えば、保守的な傾向と一括りに出来るかもしれないが、世界の一般的な保守的な傾向というものは、フェティシズム以上に、自己愛や家族愛や人類愛を強調する要素がある。しかし、日本の場合はそういったものも薄い。

ピュア崇拝の顕著な例は、何といっても生食文化だろう。生で食べるのが一番だと言わんばかりに、卵だったり魚だったり肉までも生で食おうとするし、野菜なんかも畑で取れたてを生で齧るのがベストだみたいな描写がテレビではお馴染みである。何でも食べる中国人ですら、最近まで生食はゲテモノ扱いだったことを考えると、生で食べたる思想自体が特殊であると言わざるを得ない。

まとめ

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人が動物と差別化出来た理由は、フェティシズムに目覚めたからである。フェティシズムに目覚めた事で、人はホモ・ファーベルでありホモ・ルーデンスでもある存在と化した。

フェティシズムと対を成すのは、ヒューマニズムである。ヒューマニズムは自分や同類への愛である。この葛藤は、人がモノを視る時、人は視ていないというシンプルな構図で表現できる。

日本は世界と比較して、フェティシズムの比重が高い。キリスト教やイスラム教などの世界宗教にはヒューマニズムが強く盛り込まれている。日本人は無宗教だと自認している人が多いが、実態としてはフェティシズムが強く、ヒューマニズム意識が低いので、ヒューマニズム=宗教性だとするなら、確かに無宗教に近い。フェティシズムが強いので、外国の文化や宗教も、目新しいモノとして積極的に形だけ取り込む傾向がある。

そして、フェティシズムが強い日本文化の特徴は、極端な脱構築イズムと極端なピュア崇拝という、相反する性質の同居である。基本的にクールジャパンとして日本が世界に発信しているものは、このどちらかの強い影響下になる。

脱構築イズムの例としては、行き過ぎたキャラ文化や、N次創作文化、そしてその極北としてのモノのオリジナリティや価値の軽視が挙げられる。日本の漫画と漫画村はどちらもこうした脱構築イズムの文脈に存在しているのがある意味で面白い。またキャラクターだったら何しても良いだろという日本的な思想は、神様や歴史上の偉人を魔改造したり、二次元女性を滅茶苦茶に凌辱したりで、色んな方面から非難を受けている。

ピュア崇拝の具体例は、シンプルを求める禅だったり、生食文化だったりがそうである。また日本の政治家は圧倒的に世襲が多いのも、こうした血統主義で理解できる。漫画の主人公も、結局は血統かよという展開が多いが、日本人は割と血統が好きなのである。天皇制なんかは血統主義の最たる例だろう。アイドル文化も、生身の人間をキャラクターの様に扱うフェティシズムに、恋愛禁止なんかのピュア崇拝が絡む文化だ。

こうしてフェティシズムに着目する形で、改めて日本文化の在り方を俯瞰してみたのだが、割といい線いっているのではなかろうか。クールジャパンという形で肯定的な部分だけ強調されているが、負の部分も多いよなと改めて思う。


by cemeteryprime | 2018-04-03 18:58 | 雑記 | Comments(0)

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