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カテゴリ:作品・感想( 187 )

【映画感想】アベンジャーズ/エンドゲーム(ネタバレ)

先週くらいからネタバレが解禁されたみたいなので、改めて感想記事を書こう。

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結論

言わずとしれた、アベンジャーズ最終章。面白かった。観た直後は色々と思う所があり、割と真顔になったが…。面白かったが、傑作とは言えない理由は、後述。

あらすじ/概要

サノスの指パッチン(インフィニティ・ストーンのパワー)で全宇宙の人口が半分に。どうしても前に進めないアベンジャーズのメンバーは時間を遡り、インフィニティ・ストーンを入手して全てを元に戻そうとする。

面白さ

『アベンジャーズ』というタイトルシリーズの基本はお祭り映画である。あのキャラとあのキャラの絡みがみたい!共闘してる姿が観たい!というファンの願望を叶える為の作品がアベンジャーズ・シリーズなのだ。

そういう意味では今作は、そうしたファンの願望に200%応える内容だったと言える。もう最終回だし、総集編的にまだ見せて無かった映像も見せまっせ!というサービス精神が全編に渡って溢れている。SNSなんかでも、ありがとー!というファンの感想で溢れていた。

面白く無さ

それは兎も角、今作の内容に不満を持ったファンもいた。それはストーリー的なアンサーを期待していたファンである。ファンサービスは200点満点だが、これまで連載してきた作品のオチ的なストーリーとしてはどうかというと、ハッキリ言って何の答えも出ていないと言わざるを得ない。

200%のファンサービスと何となくエモい流れで誤魔化されがちになるが、スーパー兵器を使ってサノス軍を皆殺しにして戦争に勝利しました…!というのは、基本的にヒーローの勝ち方では無いのである。

つまりサノスとの戦いは、戦績的には一勝一敗のイーブンという所で、最終的に試合には勝ったが勝負には負けたというのが正確な所では無いかと思っている。それが答えだとも言えるが。

未解決的な理由

この理由は恐らくシンプルで、アベンジャーズというシリーズは終わってもMCUは終わっていないからだろう。もっと言うなら、第一期アベンジャーズが終わったという感じである。

ブラックパンサーやキャプテン・マーベルやドクター・ストレンジといった新規の主力級キャラに関しては、そもそも“アベンジャーズ”入りはしていないのである。

今回、キャップとトニー・スタークという対になるアベンジャーズの2本柱が退場した訳だが、実はそれぞれ第二次世界大戦期のアメリカ、それ以降のアメリカ(ベトナム戦争~アフガン戦争)を象徴する様なキャラクターになっている。特にトニー・スタークに関しては、アメリカの二面性を象徴をするキャラクターであり、ヒーローをやる一方で、自ら恐ろしい敵を生み出すキャラクターになっていた。

それを踏まえると、今作でのあの結末は、要するに旧世代の限界を示す内容だったと思っている。旧世代ではサノスは超えられなかった。しかしながら、新世代が育ってきているのでそこまで悲観はしなくても良い。エンドゲームの正体は、そんなビターエンドだったのだ。

その先の答えに関するヒント

まずはキャプテン・マーベルである。キャプテン・マーベルは、戦争に勝つヒーローでは無く、止めるヒーローとしての在り方を模索していた。真にパーフェクトな勝利という意味では、サノスとの戦争においても戦争に勝つのではなく、事前に止めるという選択肢があったかもしれない。今回アベンジャーズは、シビルウォーを経てバラバラだったので、それ所では無かったが。

もう1つはブラックパンサーである。ブラックパンサーの肝は、復讐に囚われない事だと思っている。それは、シビルウォーのラストでブラックパンサーがジモに対して見せた答えであり、続くシビルウォーにおけるキルモンガーの本質が復讐に囚われた王だった点からも、その辺が重要なテーマになっているのは明らかである。

ドクター・ストレンジに関しては、映画本編が面白く無さ過ぎたので、記憶が曖昧だが、ドクター・ストレンジがクライマックスでやってみせたのは、敵に勝つんじゃなく負けないというスタイルであり、それもまた新世代の可能性を示唆している(気はする)

インフィニティ・ストーンという地雷

個人的にインフィニティ・ストーンの中で最も重要なのはソウル・ストーンでは無いかと思っている。何故なら、ソウル・ストーンを入手するには大切な人を犠牲にしないといけないからだ。つまり、誰も犠牲にしないというヒーローとしての理想に本質的に相反する存在なのである。

悪役のサノスがそんなソウル・ストーンを入手するのはむしろ理に適っている訳だが、アベンジャーズがそれに手を出した場合、結局の所サノスと五十歩百歩になってしまうので、実はそれこそが鬼門だったのである。

つまり、ヒーローとして勝利したければ、アベンジャーズはインフィニティ・ストーンに手を出してはいけなかったのだ。しかし、出さざるを得ない状況に追い込まれた。それがアベンジャーズ第一世代の限界だったのである。

実は過去作を振り返ると、人類には過ぎた存在であるインフィニティ・ストーンに手を出したが為に悲劇が起こるという展開は何度も描かれている。シールドが兵器開発に利用しようとして悲惨な結果になった展開しかり、トニー・スタークがウルトロンを生み出してしまった展開しかり。人類以外においても基本的にインフィニティ・ストーンに手を出すと碌な事は無いよという話が延々と前フリとして描かれていたのだ。

アイアンマンの死

役者の都合は置いといて、なぜアイアンマンは死ななければならなかったのか。その理由の1つは、アイアンマンの在り方にある。トニー・スタークは世界に対して無責任な子供的立場から、世界に対して責任を持つ大人になる事を選択し、アイアンマンになった(アイアンマン1作目)。

トニー・スタークは父親に対して明らかにコンプレックスを抱いており、トニーにとってアイアンマンになる事は武器商人だった父親を超えるという話に繋がるのだが、それによって自分が世界を守らなければというプレッシャーが発生し、暴走する結果にも繋がっていた。

家族を顧みず、世界に兵器を売りさばいたハワードの様にはならない、自分は立派な大人(父親)になってみせるというトニー・スタークの本当のゴールは、アイアンマンとして世界の守護者(父親)になる事では無く、結婚して家庭を築いて父親になる事で達成されるのだ。しかしながら、家庭を気付き父親になる事と、アイアンマンにいる事は、バッティングしてしまうのである。

だからこそ、インフィニティ・ウォーを経て、アイアンマンを辞めたトニー・スタークは、家庭を築いて、父親になる事が出来たのである。不本意な形であるが、トニーはゴールに着地したのだ。

しかし、トニーは精神的に成長してアイアンマンを辞めた訳では無かったので、キャップの勧誘でアイアンマンに戻ってしまった。そして、悲劇的な結末に向かうのである。

アイアンマンを辞めた理由

補足的に説明すると、アイアンマンというのはそもそもが不完全なヒーローである。何故なら、何かを作り出す変革者的なヒーローだからだ。基本的にスーパーヒーローは変革者にはなれない。何故ならスーパーパワーで自分に都合良く世界を変えるのはヴィランの仕事であり、ヒーローの仕事はそれを止める事だからである。

アイアンマンはそれ故に、自ら敵を作り出してしまう。ある種マッチポンプ的にヒーローをやるしかないのである。MCUを振り返ると、トニー・スタークが原因で生まれたヴィランは多い。だからこそ、アイアンマンをやる上で、アイアンマンの暴走を止める事が出来るアベンジャーズが必要になるという構図が成立するのである。

シビル・ウォーを観れば分かるが、アベンジャーズの連帯を誰よりも望んだのはトニー・スタークなのである。しかし、シビルウォーを経てアベンジャーズは内部分裂をしてしまう。その結果、インフィニティ・ウォーの際にアイアンマンの周りにはアベンジャーズは誰もいなかった。唯一いたのは、アベンジャーズ予備軍として自ら育てたスパイダーマンだけである。しかし、そのスパイダーマンもサノスの指パッチンで消滅してしまう。だからこそトニーは、アイアンマンを続ける事が出来なくなり、辞めてしまったのである。だからこそサノスに報復に行く際には、トニーはもうアイアンマンとして参加していないのだ。

トニー=MCUベンおじさん説

アイアンマンが死んだもう一つの理由は、トニーがMCUにおけるベンおじさんだったからだ。

スパイダーマンを知っていれば、すぐにピンと来る話なのだが、スパイダーマンが真にスパイダーマンとして覚醒するのは、通過儀礼的にベンおじさんが死亡して、大いなる力には大いなる犠牲が伴う事を学ぶ必要があるのである。

アニメ映画の『スパイダーマン:スパイダーバース』を観るとその辺のお約束を楽しく学ぶ事が出来るのだが、ピーター・パーカー以外にも色んなスパイダーマンが存在するのだが、悉く身近な誰かの死を通過してスパイダーマンになっているのである。ちなみにスパイダーバースの主人公、マイルス・モラレスの場合であれば、アーロン叔父さんの死が通過儀礼になっていた。

MCUスパイダーマンの場合、蜘蛛に噛まれて超人化する下りとかも全部省略されていたので、ベンおじさん死亡イベントも省略されたものだと思わせていた訳だが、それはミスリードで、実はピーター・パーカーの父親代わりというか、メンター役をしていたトニー・スタークこそが、MCUにおける通過儀礼の為に死亡する叔父さん役だったのである。

ピーター・パーカーの年齢がかなり若く設定されていた事や、通常は老婆なメイおばさんの年齢もかなり若い事、スパイダーマンとしてそこまで本格的な自警団活動はしていなかった事など、全てはその為の伏線だったのだ。

つまり、トニー・スタークがスパイダーマンの父親的ポジションを演じていた時点で、死亡による退場は決定事項だったのだろう。

キャプテン・アメリカの話

トニー・スタークの話をしたので、ついでにもう一人の退場者であるキャップの話もしておこう。

エンドゲームを観た後に、キャプテン・アメリカのシリーズ1~3を観返して思うのが、キャプテン・アメリカもまた発展途上の変化をし続けるキャラクターであったという事実だ。

1作目の時点でのキャップは、童貞版のジャンヌ・ダルクという表現がピッタリなキャラである。両親が共に愛国者として戦場に趣いて死亡しており、自分もお国の為に死にたいと考えている、宗教がかった感じのキャラである。印象としては、バッキーはよくこいつの友達でい続けたよな…という感じ。2作目のウィンターソルジャーにおいてようやく一般人的な感覚を身に付けるんだけど、アメリカがヒドラに支配されていた事で酷いトラウマを負い、割と過激な自由原理主義者に変貌してしまう。その結果が、シビルウォーでのアベンジャーズ分裂である。

シビルウォーのキャップは、自由の為なら多少の犠牲も致し方なしという発言をしていて、かなり過激派になっているのが分かる。インフィニティ・ウォーになると、逃亡生活が応えたのか、ウォーマシンの犠牲が応えたのか、性格は多少緩和されていて、大義の為でも犠牲(自己犠牲も含む)は絶対に認めない!と主張する様になっている。

しかしながら、キャップの理想はかなわず、結局はインフィニティ・ストーンに手を出す羽目になり、ブラックウィドーやアイアンマンの自己犠牲を出す羽目になったのである。そうした結果を受けて出したキャップの結論は、「もうヒーロー辞めたい…」という感じだったのかなと思うと、割と悲しいものがある。

タイムパラドックスに関して

ついでに、キャップが過去世界に飛んだ件に関してだが、劇中での説明を真に受けると、時間移動でタイムパラドックスは発生しない事になっている。すると、キャプテン・アメリカは過去世界に一方通行的に引っ越した形になり、第二次世界大戦後にキャプテン・アメリカが帰還した新しい世界線が新たに発生するだけなのだが、映画では何故かお爺ちゃんんになったスティーブ・ロジャースが登場してしまう。

それって、タイムパラドックスが発生しとるやんけ…!という話なのだが、可能性としては他所の世界線でペギー・カーターと人生を全うしたスティーブ・ロジャースが、ペギーの死後にまたこっちの世界線に戻って来たという、多少無理な説明も可能なのかなと思ったり。あのタイムマシンで世界線まで自由に移動できるのかどうかは知らないが。

残りのアベンジャーズ

王様を辞めたソーに関しては、また王様に戻る話をやるのか、ワンピースにおけるジンベエ親分みたいな感じになって、船長としてまだ未熟なクイルのメンターになるのか、その辺は今の段階では見えない。そもそもソーは、モチーフが北欧神話の神であり、アメリカ的なヒーロー像とは関係無いというか、プレ・アメリカ的な存在なので、王というより昔気質の戦士キャラとして活躍するという方向性も悪くは無い気はする。

ホークアイは、普通に考えれば今度こそ引退して家族の下に戻れよとは思うが、ブラックウィドウを死なせてしまったり、やさぐれてパニッシャーみたいな事をしちゃったりと、インフィニティ・ウォー後に急速にカルマを重ねてしまったので、洗脳されていたとは言え、人を殺しまくってしまったバッキーとセットでそうすんだお前らという感がある。過去の罪の贖罪というテーマにおいては、ブラックウィドウ自身がそんな感じで、最終的に自殺しちゃった訳なので、ブラックウィドウの二の舞にならないみたいなのが、ある種のテーマになるのではという気はする。

ハルクは、地味に一番期待している。今作ではそんなに活躍しなかったが、内面的な分裂を統合したハルクは、ある種のシビルウォーに対するアンチテーゼというか、統合の象徴として、アベンジャーズの新しいリーダーに相応しいキャラなのでは?と思っている。インフィニティ・ガントレットで、腕が焼けちゃったのもむしろ好材料で(あっさり回復している可能性もあるが)、不能だからこそみんなで協力しあう事の必要性を痛感しているリーダーになる上で、そういう不具性はむしろ必要なのでは?という。

それによって戦闘で前面には立たなくなる訳だが、弱くは無くて、身体的にも精神的にもタフ。そして、科学知識も豊富。現状、ハルク以上に時期リーダーに向いているキャラはいないと思うのだが、どうだろうか。

そんな感じで新生アベンジャーズに関する展開予想をしてみた所で記事を終えておこう。


by cemeteryprime | 2019-05-15 01:47 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】名探偵ピカチュウ

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先週、観て来た。思い出しながら感想を書く。

結論

面白かった。全体的にポケモンが予想外に可愛いくてビックリした。キモいクリーチャーな感じに実写化されてるのかと思ったら、フワフワのぬいぐるみ仕様な実写化だった。

あらすじ/概要

離れて暮らしていた父親の訃報を受けて、主人公はポケモンと人が共存する町、ライムシティへと出かける。父親の探偵事務所で主人公は、記憶喪失になった父親のポケモンのピカチュウと出会う。

父親と一緒に死んだはずのピカチュウが生きていた事から、父親が本当は死んでいないのではという疑いを持った主人公は、ピカチュウと共に父親の足取りを追うが…。

面白さ

兎に角、ポケモンの描写が良かった。出て来るポケモンのチョイスは、初代が気持ち多めだが、新しい世代までバランス良く色々と登場していて、ビジュアル的に楽しませてくれる。

現実世界にポケモンがいたら、こういう画が観たい…的な要素を上手い事押さえていたので、それだけでも実写化して良かったと思った。街中のポケモン、自然の中でのポケモン。かつてポケモン攻略本でそういうイラストを見てテンションが上がった記憶が蘇った。

ちなみに、個人的に良いなと思ったのは、ボイパでスピーカー替わりをするドゴーム。

ストーリーと悪役(ネタバレ含む)

この映画、ポケモンの実写化というか、『名探偵ピカチュウ』というゲーム作品の実写化らしい。Wikipediaのネタバレを見る限り、あらすじレベルでは同じ話なのだが、悪役まわりは結構映画オリジナルっぽい。

原作ゲームはどうもテレビ局が視聴率目的でポケモンを暴走させて事件を自作自演みたいな話らしいのだが、映画の場合はもうちょっと拗らせていて、人間嫌いなポケモン愛好家の暴走みたいな話になっていた。

この辺は過激な動物保護団体だとか、バ美肉みたいな、現代的な要素ともシンクロするので、ちゃんと現代の物語をしてるなという好印象を抱いた。ポケモン本編にもポケモン解放運動みたいな事をするプラズマ団という奴らがいた訳だが、この映画の悪役の場合は、割と真っ当かつリベラルな範疇でポケモンをボールから解放し、共存する街を築いた上で、更に人間をポケモン化してしまう辺りが最高なのだ。ポケモンが好きという以上に、人間が嫌い(自分も含めて)なんだろうけど、その辺が凄く現代的な悪役だなと感じる。

サプライズ要素について(ネタバレ含む)

この映画のサプライズ要素は、『スパイダーマン:ホームカミング』と似た要素がある。ホームカミングにおけるサプライズは、黒人のヒロインの親父が、白人(の敵対しているヴィラン)でしたというモノ。

今作におけるサプライズは、黒人の主人公が探し回っていた父親も黒人なんだろなと思ったら白人でしたという形。白人と黒人の夫婦の子供が黒人or白人という家庭構成は普通にありうる訳だが、それをサプライズ的なギミックとして使うというのは、これからちょいちょい流行ったりするのだろうか。

とは言え、今作の場合はピカチュウ絡みのサプライズも一緒にやっているので、単にそれだけをやっている訳じゃない(ホームカミングもそうだけど)

ポケモン描写に関して

この映画世界において、自分のポケモンを所持していないヤツってのは、どういう意味を持っているのだろうか。いい歳して彼女や彼氏がいないみたいな感じだろうか。そんな事を考えさせるポケモン描写が、個人的にはちょっと新鮮だった。

ポケモンはそもそも、草むらで昆虫を捕まえてバトルさせるニュアンスからスタートしている。最近はどんどん描写としてペット的なニュアンスが強くなっている訳だが、更にその先としてモンスターボールが排されて、本質的に収集や所有の対象では無くなり、パートナー的な扱いをされるに至った時、ポケモンはどういう存在になるのだろうか…。

今作の舞台であるライムシティのコンセプトであるポケモンと共存する街というのは、基本的には他者と共存する街なんだろうなとは思った。エキゾチックな他者としてのポケモン。しかし、そこまでいくと、今度はエキゾチックな他者という在り方の歪さみたいなモノを描く羽目になるのではという感もある。

今作の悪役は、エキゾチックな他者であるポケモンを欲望し、エキゾチックじゃない他者である所の人間(息子も含めて)は嫌っていた訳だが、では、ポケモン自体のウザさみたいなモノが強調されるに至るとどうなるんだろうという当たりの興味は尽きない。

それを踏まえてのクライマックス

本質的にポケモンは人間にとって都合が良い形にデザインされている。その点は、ポケットなモンスターという名前の時点で明らかなのだが、その事の是非は兎も角、劇中でポケモンがエキゾチックな他者を辞めてしまうトリガーがあの薬だったとすると、最終的に発生したポケモンと人間の融合の結果もたらされたモノは実は、エキゾチックじゃない他者としてのポケモンだったのではないという気がしないでもない。

つまり、ポケモンの解放は、最終的には他者化という結論に着地し、それは人間との融合で成立する。他者化したポケモンとは、要するにあのTwitterでバズっていたシワシワのおっさんピカチュウなのである。悪の陰謀は打ち砕かれたので、ポケモンと人間が融合してしてしまった、その後の街の姿は描かれなかったが、それは全てのポケモンがシワシワなピカチュウみたいな感じになった世界だったのではという感はある。映画の細部まで覚えていないので、想像でしかないが。

終わりに

追記的な要素がゴチャゴチャとクドい内容になってしまったが、基本的には実写化されたポケモンが可愛い映画である。何も考えずに楽しめる作品なので、時間があれば是非観に行って良いはず。


by cemeteryprime | 2019-05-14 22:21 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ラ・ヨローナ~泣く女~

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観て来た。

結論

普通に面白かった。ハッキリ言って、ワッ!っと驚かせるタイプの演出に頼り過ぎな感じのホラーなのだが、それによって十分に怖いし(心臓に悪いとも言うが…)、これがアメリカ的ホラーじゃい!という感じのエンタメなバトル展開もあるので、エンタメとしてのホラー映画であれば、これでOKだろうという感じ。

あらすじ/概要

主人公はソーシャルワーカーをしている二児の母親。旦那は警官だったが、最近死んでいる。そんな母親が、不登校の通報を受けて、母親によって自宅に監禁されている子供を発見。

母親は虐待ではなく、アイツ(泣き女)から子供たちを守っているのだと主張するが、そんなの戯言だろうと、子供たちは施設に保護される事になる。

しかし、その母親の話は本当だった…。そして泣き女(ラ・ヨローナ)は主人公の子供たちを次の標的に選ぶ。

面白さ

兎に角、心臓に悪いタイプのビビらせ演出(幽霊的な)が満載。グロとかは特に無い。なのでデートムービー向きとも言える。

あと、悪霊とバトルする展開が面白い。監督はやってないが、製作は「死霊館」のジェームズ・ワン。死霊館のロジックがある悪霊とのバトルの雰囲気が好きな人は、好きなんじゃなかろうか。


by cemeteryprime | 2019-05-14 16:46 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】スパイダーマン:スパイダーバース

気分転換に思い出して感想を書くシリーズ。

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結論

傑作。この作品の特徴を端的に表現するなら“動くアメコミ”だ。アメコミのアートがそのまま動いている感じで、一般的なアニメの映像とは明らかに異質な印象に仕上がっている。なので、アニメーションの映像表現的な面白さを好む人には是非お勧めしたい。勿論、ストーリーも良い。

あと、スパイダーバースの映画化という時点で、かなりマニアックなスパイダーマンのコアなファン向けな作品なのかと思っていたのだが、そんな事は無く、完全に初心者向け仕様だったので驚いた。スパイダーマンの事はあまり知らないから…と敬遠している人も、気にせず観て楽しめるはずだ。

あらすじ/概要

NYのブルックリンに住む黒人少年のマイルス・モラレスは、ある日、突然変異したクモに噛まれてスーパーパワーを得てしまう。そんなマイルスは、たまたまスパイダーマンがキングピン率いるヴィランと戦い、殺害される現場に居合わせ、スパイダーマンから街を守る為のアイテムを託されてしまう。

街を守るヒーローのスパイダーマンに憧れていたマイルスは、スパイダーマンを継ぐことを決意するが、自分の能力を上手くコントロール出来ない。一方その頃、キングピンが作った異次元ホールの影響で、並行世界からNYに何人もの“スパイダーマン“が来訪していた。

面白さ

ストーリーのメインテーマは、「スパイダーマンは一人じゃない」というモノである。具体的にこの作品には性別も種族も多種多様な“スパイダーマン”が登場するが、ポイントになるのは、“スパイダーマン”という極めて特殊な境遇でさえも、分かち合える仲間が世界のどこかにはいるという部分である。

かつてのヒーロー物においては、ヒーローは選ばれ屍ものであり、それ故に孤独であるという部分が強調される傾向にあった。そうしたヒロイズムは、自己犠牲を美化する自己陶酔的な傾向にも繋がるのだが、近年のヒーローに求められるのは、アベンジャーズで観られる様な、他者との共闘の素晴らしさなのである。

世界は広いんだから、どこかには分かり合える仲間がいるはずというテーマは、限りなくポジティブなメッセージである。まぁ、アメコミにおいて、ヒーローが遭遇する自分と似たようなヤツはたいてい鏡像的なヴィランだったりするのだが…この映画においては、そんな事は無いのである。

並行世界のヒーローの共演

アベンジャーズを例に出したが、並行世界のスパイダーマン達が共演するという要素は、どちらかと言えば、仮面ライダーとかウルトラマンでよくやっているお祭りである。

日本のそれは、完全に玩具を売る為の都合で世界観を飛び越えて共演させているだけなのだが、一周してアメコミのスパイダーマンもそういう次元を超えた共演イズムに着地したのが面白い。

ゲットダウン感

本作の主人公はピーター・パーカーと同じくNY育ちではあるが、黒人少年である。それ故に微妙に境遇が異なっている点が面白い。その辺の面白さを理解する為の予習作品としてはネットフリックスの『ゲットダウン』というドラマをお勧めしたい。

実は主人公のマイルスの声優は、『ゲットダウン』という作品で主人公の少年たちをヒップホップの世界に導く兄貴分のシャオリン・ファンタスティックというキャラの俳優である。それ故に明らかにゲットダウンへのオマージュと思われる演出がある。シャオリン・ファンタスティックは、グラフィティーアートとアクロバットを得意とするキャラで、主人公と被る要素の多いキャラなのだ。

ちなみにこの映画のサントラには同じくゲットアウトに主人公の一人として出演していたジェイデン・スミスの曲も入っている。

マハーシャラ・アリ

声優要素でもう一つ注目したいのは、マハーシャラ・アリが演じるアーロン叔父さんというキャラである。これがまた実にマハーシャラ・アリなキャラで、声優が誰か分からなくてもマハーシャラ・アリのオマージュだろと分かる感じのキャラなのだ。

一番テイストが似ているのは『ムーンライト』のフアンというキャラで、マハーシャラ・アリはこの役でアカデミー助演男優賞をとっている。マハーシャラ・アリは最近映画にやたらと出ているが、この映画もまたそんなマハーシャラ・アリ映画の1つなのである。

良いキャラクターたち

そんな感じで中の人要素もあり、スパイダーバースは良いキャラが溢れている。そしてそれらはこの作品のみで完結できる良さである。最初に触れた様に、この作品は初心者向けに作られている。この作品の舞台となっている世界はスパイダーマン(ピーター・パーカー)が死んだ世界線であり、言わずもがな映画オリジナルな並行世界なのだ。ちなみに死んだスパイダーマンも、何もかもがパーフェクトなスパイダーマンであり、みんなが知っているスパイダーマンとは微妙に違っている人物である(金髪でイケメンで街の英雄で凄い秘密基地も持っている)

個人的に一番好きなのはマハーシャラ・アリ演じるアーロン叔父さんなのだが、スパイダーマンズだとか、その他のヴィランたちもみんな良いキャラをしていて、ドラマがしっかりしている所がお勧めである。


by cemeteryprime | 2019-04-17 13:34 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】キャプテン・マーベル

気分転換に思い出して感想を書くシリーズ。


結論

傑作。割とアメコミは読んでいたけどもキャプテン・マーベルについては、殆ど何も知らなかった事もあって、予想外の展開がいちいち楽しめたというのもデカかったが、何よりのサプライズは傑作だった点だろう。

後発という事もあるが、似たような女性ヒーロー物なワンダーウーマンよりも、映画としても面白かったし、テーマの掘り下げも深いと感じた。

あらすじ/概要

時代は1990年代。宇宙のどこかでクリー帝国の特殊部隊スターフォースのメンバーとして邪悪な侵略種族であるスクラル人と戦っていた女性のバースは、過去の記憶を失っていた。しかし、とある任務で地球に来た事で、自分が地球人であった事を思い出す。

そんな感じの、主人公が記憶喪失系なストーリー。なので、あらすじの説明もネタバレ抜きではし難いのが難点と言えば難点。

面白さ

画期的だと思ったのは、明確に戦うヒロインでは無く、女性のヒーローであるという点だろう。男性に混じって男性の様に戦える女性というのは、結局の所は、男性の敷いたレールの上での話である。

本作の主人公のキャロル・ダンバースは、最初から男性社会の中で戦って来た女性として描かれている。地球では空軍のパイロットだったし、宇宙においても特殊部隊の隊員である。女だからという偏見と戦ってきた女性であった。

しかしながら、それは実は男性のルールに従っているに過ぎないという事に気付く。それこそが、この映画におけるキャロル・ダンバースの成長なのだ。そして、最終的にキャロル・ダンバースはマーベル史上最強(物理的に)のヒーローに成長する。

DCにおいては、ワンダーウーマンが強いといっても、何だかんだで男性のスーパーマンが最強な訳だが、マーベルにおいては女性であるキャプテン・マーベルがスーパーマン並みに宇宙最強なのである。その辺のカタルシスも含めて最高なのだ。

お気持ちも大事だがユーモアは大事

この映画では、男性たちが主人公に事ある毎に感情を殺せと言って来る。女性は感情的でそれは男性に比べて劣っているポイントであるという理屈である。

この映画では、それは否定される。感情を抑圧させる事は本当に良い事なのだろうか?とは言え、むやみやたらに感情的である事を推奨している訳でも無いのがバランスが取れているなと思う点である。同時にユーモアの大切さも説くのである。

怒り一辺倒では駄目で、ユーモアはいつも大切。これは正しくマーベル映画全体に通底しているイズムである。なので、この映画自体も全体的にはかなりコメディ色が強い。女性の怒りや怨念やメッセージ性に満ちた重い映画になっていないのが、1つのメッセージになっている当たりに特に関心させられた。

あと、今作はキャロルと一緒にニック・フューリーも全編に渡って大活躍しているのだが、吹き替え版の竹中直人のボイスとコメディ要素たっぷりなニック・フューリーがこれ以上ないくらいにシンクロしているのも面白かった。

ドラゴンボール的

覚醒して最強と化したキャプテン・マーベルは、全身からエネルギーを放出し、光り輝く姿になり、ビームを放ち空を自由に飛び回る。さながら、スーパーサイヤ人である。

それだけが理由では無いが、バトル要素に加えてコメディ要素が多い所とか、宇宙人要素が多めな所とかで、全体的にドラゴンボール感がある。DCのマン・オブ・スティールなんかもドラゴンボール的と表現されるが、それはバトルだけの話で、あの映画にはコメディ要素や能天気な雰囲気は欠片も無かったが、今作にはナメック星人似のエイリアンなんかも出て来るという。

気軽に楽しめる上に、メッセージ性も深い。つまりは良い映画という話である。まだ観てない人は是非観に行って欲しい。


by cemeteryprime | 2019-04-16 16:02 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ダンボ追記:ブラザーフッドと家族主義

映画『ダンボ』には個人的にもう1つ興味深い要素があったので、追記として記しておく。それは、どうもブラザーフッドより家族(ファミリー)だろというメッセージを意図的に発しているらしい点である。

それが端的に表現されている部分は、ラストで主人公たちのサーカス団の名称が『メディチ・ブラザー・サーカス団』から『メディチ・ファミリー・サーカス団』に変更になっている点である。それに加えて、VAヴァンデヴァーが団長を買収する時の口説き文句も、俺とブラザーになろうという感じの言葉だったという点もポイントで、明らかにブラザーに否定的なニュアンスを持たせているのだ(結果的にだが)。

『ブラザーフッド』というキーワードは、ここ数年のハリウッド映画の流行だと思っていて、昨年度の映画感想にもちょいちょい重要なテーマとして登場する。ディズニーで言えば、『アベンジャーズ』シリーズなんかは、モロにブラザーフッドイズムの映画である。

しかしながら、ティム・バートンはブラザーフッドを否定的に描いている。今作から垣間見えるブラザーフッドの否定的な側面を挙げると、まず挙げられるのが組織にはブラザーフッドが成立しえないという点だろう。組織にはトップがいるので、結局の所は、ブラザーな関係性というのは成立しないのである(同じ階級同士の個人間では成立するかもしれないが)。

つまり共同体に自動的に成立するのは、家族的な関係性であって、兄弟的なフラットな関係性というのは、少なくとも何かしらの組織においては成立しにくいものなのである。

もう一つのポイントは、子供やそれこそ障害者など、戦力にならない人達の居場所の有無である。例えば、『アベンジャーズ』に特に戦闘力の無い一般人の居場所はあるだろうか?スパイダーマンですら、子供扱いされて予備軍にしかなれなかった訳で、要は並列的なブラザーフッドという在り方においては、能力が及ばない人々に居場所が無いのである。しかしながら、現実にはありとあらゆる共同体において、そうした人々は発生してしまう。ダンボだって結果的にはスターになったが、当初は期待外れの戦力外だったのである。しかしながら、家族にはジャンボがそれでもダンボを愛した様に、即戦力では無い子供の居場所もあるのだ。

その辺を踏まえると、確かにブラザーフッドには限界がある様に思える。役に立たないなら仲間にいれない/あるいは出て行ってくれというのは、VAヴァンデヴァーの論理である。

これは面白い観点で、もしかしたらブラザーフッドのその先という形で、『アベンジャーズ』なんかにおいてもこの先盛り込まれてくるテーマなのかな?と思える。今後に注目しておきたい。


by cemeteryprime | 2019-04-11 02:09 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ダンボ(実写版)

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ティム・バートン監督によるディズニーアニメ『ダンボ(1941)』の実写版。ちょっと時間が経ったが、思い出しつつ感想を書く。

結論

傑作。単にアニメ版『ダンボ』のストーリーを実写化した作品では無く、実はアニメ版の結末に対して、果たしてこれは本当にハッピーエンドなのだろうか?という形で疑問を呈し、その後を描くストーリーになっている。

要するにダンボの実写化でもあり、おとぎ話(アニメ版ダンボ)のハッピーエンドのその後を描く作品でもある。

あらすじ/概要

潰れかけの弱小サーカス団の希望は、最近買った母親ゾウのジャンボからもうすぐ生まれて来るゾウの赤ちゃん。可愛いゾウの赤ちゃんが話題になれば、来場者は増えるはず。しかし、生まれて来たのは奇形な耳を持つ赤ちゃんだった。

しかし、ダンボはその奇形の耳を羽ばたかせて空を飛ぶという特技を編み出し、一躍人気者になる。…とここまでは、アニメ版ダンボの話。

すると、一躍スターになったダンボをサーカス団ごと吸収合併したいと、ディズニーランドを彷彿とさせる『ドリームランド』を運営する大手のエンターテイメント会社が声を掛けて来る。流離いの貧乏サーカス団から、一流エンタメ企業への転身に喜ぶ団員たちだったが…。

面白さ

個人的に推したいのは、悪役であるVA・ヴァンデヴァー(演:マイケル・キートン)の造形である。VA・ヴァンデヴァーは、本当の意味での家族主義と対をなす形で大企業のメタファーになっており、そして何といっても完全に黒いウォルト・ディズニーなのである。

ネタバレになるが、この映画のクライマックスは黒いウォルト・ディズニーことVA・ヴァンデヴァーの帝国である『ドリームランド』が炎上崩壊する展開が待っている。よりにもよってディズニー映画でそれをやる…!?という点で、実に尖りまくっているのである。子供向け映画だと思って舐めている人がいたら、考えなおして時間があれば是非観に行く事をお勧めしたい。

アニメ版からの改変ポイントその1

アニメ版+その後というストーリー構成になっているので、そもそも全体としてかなりの改変されているのだが、それ以外に大きな違いとして、人間サイドの物語もメインで展開されている点がある。

人間サイドの物語は、ミリー()とジョー(弟)という二人の子供とその父親のホルトの家族の話が中心になっていて、彼らが所属しているサーカス団にもかなりスポットが当たっている。アニメ版ダンボは、基本的にダンボが主人公な上に、動物たちが喋る世界観というか人間は背景みたいなモノで動物界に軸を置いた話だったが、今作では人間の世界に軸が置かれていて、動物たちは別に喋ったりはしない。

改変ポイントその2:ダンボの障害者性

アニメ版ダンボは、ざっくり言えば『みにくいアヒルの子』みたいな話である。そして、アニメ版はダンボが奇形であるだけでなく、障害者である事も強調している(自分の耳を踏んずけて上手く歩けない描写が何度もある)。

しかし、今作ではその辺はあまり強調されない。1941年ではそうじゃなかったかもだが『みにくいアヒルの子』みたいな話は正直今更だし、人と違っている点が武器になるみたいな文脈で、能天気に障害者的な要素を扱うのは、逆に不味いメッセージ性を含みかねない感すらある。

ダンボの話として、代わりにフューチャーされるのは、奇形児がスターにという部分では無く、原作アニメでは特に強調されていなかった、カラスの魔法の羽である。原作は、「ダンボが実は空を飛べた」という部分をクライマックスのサプライズとして位置付けているが、今更な話だし、アニメのその後を描く都合から、ダンボは割と序盤で空を飛べる事が発覚する。

代わりにこの映画では魔法の羽を一種のダンボが空を飛ぶ為の歩行器と位置付けて、歩行器無しで自ら飛び立てる様になるという部分をダンボの成長としてクライマックスで描いている。ダンボが飛べるというのは、あくまで個性の一部であって、歩行器を捨てて自分の意志で飛べる様になるという部分を、ダンボの成長として描写するのは、なかなか妥当だと思える。

なので、ダンボから障害者性は消えている。その代わりなのかは知らないが、人間の主人公たちの父親ホルトに障害者という属性が付与されている。映画の冒頭は、ダンボの誕生とホルトの戦場からの帰還がほぼ同じタイミングで描かれるのだが、子供たちが待ちに待った父親は戦争で片腕を失った障害者になっている。これは、待望の赤ちゃんが障害者でしたというダンボの要素とほぼ同じ形になっている。

家族愛というテーマ

アニメ版ダンボにおいて、もう一つの重要なテーマになっているのは、母親ジャンボのダンボへの愛情だろう。ダンボが奇形で障害者だった事で、近所のおばさん連中みたいなゾウたちは、ダンボの奇形性を罵り、キモいという理由で村八分にしようとさえするのだが、母親のジャンボはそれでもダンボを愛し、そんな他のゾウたちにブチ切れてキチガイ扱いされたりする。周囲がなんと言おうとも、障害者であろうとも、母親にとって子供は可愛いのである。

そのテーマは、実写版ダンボにおいては、父親に対する愛として描かれる。主人公の子供たちの両親は共にサーカスの花形スターだったのだが、父親は戦場で障害者となり、母親は父親が戦争に行っている間に死んでしまっている。つまり、頼れるのは父親だけという状況で、やっと戦場から戻った父親は以前の楊には働けない状態になっているのである。

そこに対比的に出現するのが、黒いウォルト・ディズニーなVAヴァンデヴァーである。ヴァンデヴァーは、大金持ちの実業家であり、進歩的な思想を持っていて、子供たちを子供扱いしないし、金払いも良く、ディズニーランドみたいな夢の王国を所有しており、そこに部屋まで用意してくれる。

片や家族を愛してくれるが障害者となった不能の父(ポンコツ親父)、片や別に愛してはくれないが、合理的で社会的に成功した理想の父(大企業)。今作はこの2つを使って、家族愛というテーマを描いている。

母親が障害者でも子供を愛するみたいな話は、今更なテーマだが、では子供は不能の父を愛するだろうか(愛するべきか)?というテーマは、実に現代的である。何故なら、それは資本主義社会において考えなければいけないテーマだからである。

VA・ヴァンデヴァーという在り方

VAヴァンデヴァーはこの映画においては悪役として描かれているのだが、ピンと来ない人も多いのでは無かろうかとは思う。何故なら、人によっては理想の父親というか上司であり、VAヴァンデヴァーも別に自分が悪いヤツだという自覚が無いからだ。単に合理的な夢追い人なのが、VAヴァンデヴァーなのである。

映画を観てもVAヴァンデヴァーが悪役である点が納得できなかった人に敢えて説明すると、VAヴァンデヴァーの問題点は家族を愛していないというその1点に尽きる。

VAヴァンデヴァーにとって、家族(社員)とは役に立つか立たないかであり、役に立つならきっちり厚遇するし、立たないならサクッと切り捨てるのである。

個人的に痺れたのは、VAヴァンデヴァーがダンボの為に母親のジャンボを殺そうとした点である。『子供は親元から離れないと成長できない』をこんなに露骨に邪悪な文脈で使用する人物は初めて見た気がするが、現代日本における女性の社会進出や老人活躍なんかも似たような話で、要するに企業は人が家に居て欲しく無いのである。

他に頼る親(面倒を見てくれる人)がいなければ、人は企業を親として縋らざるを得ない訳で、企業に気に入られる為には必死に成長するしかないのだ。親は子供が障害者でも無条件で愛するかもしれないが、企業は自分にとって役に立つか立たないかが全てなのである。

VAヴァンデヴァーは、家族を知らず(ちゃんとそういう設定になっている)、ビジネス的な理屈のみで動く男なのである。しかしながら、有能なビジネスマンなのも確かで、無能な経営者がブラックな業態で人を酷使している環境になれている人にとっては、VAヴァンデヴァーの何が悪いんだ?という感があるかもしれない。

特にVAヴァンデヴァーは、ビジネスを心得ているので、ある意味でお客様第一主義な所も、悪役だとは思えない要素だろう。それは、より面白いコンテンツを提供する為なら、従業員の酷使もなんのそのという姿勢でもあり、社員からすればたまったもんじゃないがユーザーからすると正しい企業の姿勢である様に映る。金払いが悪いならアレかもしれないが、VAヴァンデヴァーに関しては金払いは良さそうな所も悪人には見えにくい点である。なので結構考えさせる所が多い悪役なのである。

ちなみに、映画の製作期間的にたまたまだと思うが、最近ディズニーは20世紀フォックスを買収して、それに伴って大量のリストラを実施した事が話題になっていたが、劇中でVAヴァンデヴァーがやるのも正にそれなのである。

ミリーの物語

人間サイドの物語として、ダンボの成長に対応しているのは、少女ミリーの物語だろう。

ミリーは理系女子であり、言って見ればオタク的な存在で時代的な事を考えるとフリークス(変わった子)だろう。サーカス育ちだが、人前に出るのが苦手というキャラである。

しかし、ミリーはダンボの調教(空を飛ばせた)を通じて、自信を付け、やがてはダンボを率先する形で、自らの殻を破る。エンディングで流れる映像では、ミリーが科学者としての才能を発揮し、サーカスを支えている所が描かれる点だろう。

そして何より熱いのが、ミリーが映画技師になっている点である。恐らく、ミリーはティム・バートンなのである。

キックアスなポイント

個人的な映画の評価ポイントとして、ケツを蹴り上げて来るかどうかという点がある。ハッとさせられるモノを提供してくれる映画。全体的なバランスとしてはポジティブでいて、ちょっと耳の痛い事も言って来るくらいの映画が、傑作だと感じやすい。

そういう意味では、この実写版『ダンボ』は傑作である。VAヴァンデヴァーの造形もなかなかキックアスな感じだったが、それ以上に良かったのは、ミリーの物語と、ダンボが魔法の羽を自ら卒業する物語である。

ダンボの魔法の羽の様に、ミリーにも歩行器に相当するものがあり、それを捨てて見せるシークエンスがあるのだが、そうした歩行器が象徴しているのは何かと言うと、それは『物語』では無かろうかと思える。

ダンボにとっての魔法の『羽』とは、空を飛ぶ事は可能だと信じさせてくれるモノである。しかし、ダンボ自身が人に空を飛べるはずという夢を見せる存在になる過程で、いつかは卒業しないといけないモノなのである。ダンボは空を飛ぶ事で、他人に夢を与える存在になるのと、対応するのがエンディングで映画を上映するミリーの姿である。

つまり、『物語()』の卒業を成長として描いてはいるが、それは『物語()』の否定では無く、『物語()』に頼る立場から『物語(夢)』を他人に見せる立場になろうという、ティム・バートンからのメッセージに他ならない。

未だに自立出来てない物語大好きおじさんとしては、かなり耳の痛い話なのだが、だからこそ、このティム・バートン故なポジティブなメッセージ性に感動もするのである。

『ダンボ』はそんな感じの傑作なので観てない人は、是非観に行って欲しい。長文になったが、特に触れて無い要素だらけなので、自分の目で確認しにいくべし。


by cemeteryprime | 2019-04-11 01:44 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】アナと雪の女王 2回目

TVで『アナと雪の女王』をやっていたので、久々に観てみた。傑作だと思ったが、劇場で観た時の感想記事(4年前)を読むと割とディスっていた。

4年も経つと、作品の見え方もかなり違って来るもんである。なので、改めて感想記事を書いてみよう。

あらすじ(完全ネタバレ)

アレンデールの第一王女エルサは、他の人には無い特別な力を持っていた。しかし、その力で妹のアナと一緒に遊んでいた時に、ふとしたはずみでアナを傷つけてしまう。その事がトラウマになったエルサは、両親やアナと距離をおくようになり、同時に力のコントロールも失っていく。そんな中、両親が早くに事故で亡くなり、エルサが成人するまでアレンデールは鎖国する事になる。

エルサは己の能力に怯え、それを抑圧し、二度とアナを傷つけまいと部屋に籠り続けた。アナは、両親を早くに失い、唯一の肉親であるエルサに距離を取られた事で、異常に人懐っこい性格へと成長する。

そして、エルサの女王就任式の日。アレンデールの鎖国は解除され、貿易相手の国など様々な外国人もやって来る。就任式は無事に済んだモノの、長年の孤独のせいで人懐っこいアナは、外国からやってきたハンス王子に一目惚れし、結婚すると言い出す。それが原因でエルサはアナと喧嘩し、能力が暴走し、危険な魔法使いだと国民にバレてしまう。

やけくそになり、家族も国も捨てたエルサは、一人で山に籠るのだが、一人になった事で自由になり、抑圧からも解放される。しかし、解放された魔法はアレンデールに厳しい冬をもたらし、港を凍らせ、再び国を閉ざしてしまう。

アナは、エルサを探して魔法を解除してもらおうとし、その途中で、森でトナカイやトロールたちと暮らす変人のクリストフに出会う。二人でエルサの所に行くが、制御不能なエルサの魔法はアナの心を凍らせてしまう。心が凍てついたアナは、ゆっくりと凍っていく。アナを救うのは真実の愛だと知ったクリストフは、アナの婚約者のハンスの所へ向かう。

しかし、ハンスはアナを愛してはいなかった。ハンスは母国で継承順位の低い王子であり、アレンデールの王位を狙っていただけだった。アナは、長年愛に飢えていた為に、愛がどういうものなのか理解していなかったのだ。ハンスのそれは真実の愛ではないと悟ったアナは、それでは損得勘定抜きで自分を助けてくれたクリストフこそ真実の愛をもたらす人物では無いかと考える。

凍り付いて死にかけながらも、クリストフの下に向かうアナだったが、途中でエルサがハンスに殺されかけている場面を目撃し、自分の命も顧みず、エルサを助けようとする。その結果、クリストフは間に合わず、アナは完全に氷と化してしまう。しかし、エルサがアナを想い泣いていると、アナの心は融解し、元に戻る。真実の愛とは、男女の恋愛などではなく、家族がお互いを思いやる様な深い愛情の事だったと判明する。

相手を傷つけるかもしれないと恐れ、相手を遠ざける心は、それでも相手を思いやる深い愛情には及ばないのだ。それに気付いたエルサは、魔法をコントロールする術を理解する。アレンデールから冬は消え去り、エルサは魔法で国民を楽しませる事が出来る様になる。

レリゴー~レリゴー~

エルサが長年の抑圧から解放され、自分らしさを全開にし、そして他人の迷惑なんて知った事かな精神で歌い上げるレリゴーは、開放感の塊の様なエモい場面なので、そこばかりが注目されがちな訳だが、作中では実はネガティブな行為として描かれている。エルサの選択は、家族も国も捨て、自分勝手に生きるというもので、その結果として国は冬に包まれ、再び鎖国状態になっているからだ。解放を肯定的に描くどころか、個人主義が蔓延する事によるネガティブな側面を明確に描いているのである。

ついでに作中で描かれるエルサを殺害すれば、冬も終わるだろうという悪人たちの目論見は、いうなればトランプを暗殺すればアメリカ・ファーストな排他的政策が終わるだろうみたいなものなのである。事件が、アナが考えなしにハンス王子という外国人を招き入れようとした結果だという点も注目すべきだろう。

アナ

アナは愛が良く分からないキャラだという事は、地味に作中で何度も台詞で説明されていたりする。最初はエルサが指摘し、終盤のハンスとクリストフで2回も真実の愛を誤認する場面でも、直前にオラフがわざわざ台詞で指摘している。

分からない理由は、両親を早くに亡くし、大好きだった唯一の肉親である姉のエルサにも、理由も分からず距離を取られていたからだ。明るく天真爛漫なヒロインに見えるが、実は愛に飢えつつも、愛が分からない、ちょっと悲しいキャラなのである。

クリストフ

クリストフは面白いキャラで、トナカイやトロールといった人間以外の友達は多いが、人間の友達はいないという変人である。クリストフが変人であるという点は、作中でも『家族の思い出』においても、何度も強調される。

キャラとしては、好意を寄せてくれるし、悪い人じゃないけど、恋愛対象にはなれずどうしても良い人止まりな感じのオタクキャラの変形だという気はする。ただ、今作では、アナとの恋愛も微妙に進展はする。

氷の美しさを理解する男だし、アナとエルサの関係性を邪魔しないタイプの使い勝手の良い男だから、そういうポジションに収まれたという感はどうしても否めないが。

エルサ

エルサの氷は、物語のラストで示される様に、キラキラと幻想的で楽しいものでもある。が、同時に危険なものでもある。

エルサの氷の魔法は、色んなモノのメタファーだと捉えられるが、改めて観て思ったのは、やはり“想像力”のメタファーとしての要素が一番大きいのでは無いかという点である。ラストで肯定的に描かれる人々を楽しませるキラキラと幻想的で楽しいものという氷の魔法の在り方は、まさしく『アナと雪の女王』という作品そのものである。

氷の魔法=想像力であると理解すれば、思いやりの心が欠落した、無軌道な想像力は危険であるというメッセージも飲み込み易くなる。

アナ雪の公開当初はジェンダー論的な言説と絡めて語る事が流行っていた様な気がするが、改めて観ると、それらは作品を矮小化する視点だった様に感じる。

総括

4年前は全くその辺を汲み取れなかった訳だが、この作品は紛れもなく傑作だろう。レリゴーも素晴らしい曲だが、感想文を読めば真に素晴らしいのはそんな所じゃない事は理解してもらえるだろう。今年、『アナと雪の女王2』も公開されるらしいので、素直に楽しみである。


by cemeteryprime | 2019-01-04 00:38 | 作品・感想 | Comments(0)

【アニメ感想】SSSS.GRIDMAN (+考察)

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結論

なかなかの傑作。

25年前の特撮番組『グリッドマン』を原作にした、新作アニメ作品。原作ファン向けのネタも散りばめられているものの、新作アニメとして面白い作品であり、原作を知らないのでちょっと…みたいな人も気にせずさっさと観た方が良い。

あらすじ/概要

主人公の高校生、響裕太はある日、自分が記憶を失っていることに気付く。そして街には突如、怪獣が出現する。

ジャンクショップにあった古いパソコンに表示された、自分にしか見えない聞こえない謎の存在、“ハイパーエージェント”グリッドマンに導かれて、訳が分からないままに、裕太はグリッドマンに変身して怪獣と戦う事になる。

しかし翌日、街は何事も無かったかの様に綺麗になっていた。グリッドマンへの変身に立ち会った裕太と仲間たち以外は怪獣の事も誰も覚えていない。そして、怪獣による死者は、最初から存在していなかったかのように歴史が記憶ごと修正されていた…。

面白さ(完全なるネタバレ)

謎めいた存在グリッドマンや、同じくらいに謎めいた悪役アレクシス・ケリブと彼に協力する少女アカネ、そして奇妙な現象が多発する世界観についてのミステリーで観客を引っ張りつつ、グリッドマンが怪獣と戦うという特撮番組的なパッケージで楽しませてくれるのだが、

本質的にはメタフィクションと呼ばれるジャンルの作品で、物語を通じて『SSSS.GRIDMAN』という作品自体について言及・批評する様な構造になっている。そして良く出来ている。

最後まで観ないと分からない話ではあるが、これは『日常に疲れて非日常の世界に逃避したアカネという少女が、グリッドマンに癒されて、また元の日常世界に戻る話』である。(実は最初に画面に登場するキャラクターは裕太ではなくアカネだったりする)

そして、それは同時に『日常に疲れた視聴者が、グリッドマンという作品を観て癒され、また元の日常に戻る』という構造と相似形になっている。

物語というモノは、基本的に『主人公が、日常から非日常の世界に巻き込まれ、成長するなり何かを取り戻すなりした上で、再び元の日常へと戻る過程』を描くものであるが、それは実は人が作品を観るという行為とも相似形になっているのである。

大雑把に言葉で説明すると、それだけの話とも言える訳だが、それを同時に特撮番組的なアニメとして成立させるというのは、至難の業である。言葉の代わりに、グリッドマンと怪獣と特殊な世界を使って、『語るな見せろ』で表現している点が凄いのだ。

グリッドマンと怪獣の使い方

人は何故、非日常を求めるのか。それは、このまま同じ事を繰り返す(日常)事が困難になった、限界を迎えた時に、一旦ぶち壊して(非日常)、そして新しい日常のパターンを再構成する為である。

いつもの日常とは違う場所、違うルール、違う価値観に触れる事で、日常に疑問を持つ事が出来、解体し再構成(改善)する事が出来るのである。

ちなみに原作の『電光超人グリッドマン』という作品において、グリッドマンはコンピューターワールド(ネット空間的な何か)の治安を守るヒーローであり、怪獣はコンピューターウイルスみたいな存在だ。基本的には怪獣がシステムに侵入して暴れる事で、現実世界にも被害が出るという物語である。そしてグリッドマンは怪獣を倒し、破壊されたプログラムを修復するというキャラクターだった。

今作においては、怪獣は破壊すると同時に修復もする。ただし、それは元に戻すというより、修正するというニュアンスに近い。怪獣を作る少女のアカネは、気にくわないモノが出現する度に、怪獣を使ってそれを街ごと破壊し、最初から存在していなかった様に歴史ごと修正していくのだ。

アカネは、非日常の世界において、そういう事を延々と繰り返す訳であるが、外部から“ハイパーエージェント”グリッドマンがやって来たことで事情が変わり始める…というのが、アニメ本編である。

ちなみにグリッドマンは話の都合上、記憶や能力を失っているので、アニメ版でそれこそがグリッドマンの本質的なパワーとして設定された“再構成の力”を取り戻すのは、最終回である。

アンチ君の物語

もう一つの注目すべきとして、アンチ君の物語がある。アンチは、グリッドマンを倒す為の存在として作られた怪獣で、グリッドマンがパワーアップするに従い、どんどん自身もパワーアップしていく。そして、ひたすらグリッドマンを超える事を目標に活動を続けた結果、グリッドマンによく似た姿へと進化し、グリッドナイトという第2のヒーローとなる。

これは明らかに、電光超人グリッドマン(原作)とSSSS.GRIDMANというリメイク(二次創作)の関係性を示唆している。アンチ君の物語は、原作を超える(否定≒アンチ)為に生み出され、試行錯誤の末に、原作と肩を並べる作品となる過程である。

アンチ君は、最終回でアカネを救出し、完全にヒーローと化した。グリッドマン(原作)は去っていったが、あの世界はグリッドナイトという新しいヒーロー(作品)を生み出したのである。恐らく、グリッドナイトは今後もあの世界を守り続けるだろうし、グリッドマンがそうであったように、別の世界を守る為に出張するかもしれない。あのラストはそれを示唆しているのだろう。

あの世界と神と宝多六花

最後の最後で明らかになる事実として、アカネはアニメ世界(次元)の住人では無かったという点(アニメは実写パートで終わる)と、元の次元のアカネはどちらかと言えば、宝多六花に似ていたという点がある。

アカネはあの世界の神であることは、それまでにも明言されていたが、神であるという事が具体的にどういう事なのか…何が出来て何が出来ないのか…は、良く分からなかった人の方が多かったのでは無かろうか。神であれば、全知全能で何でもかんでも自由にデザインできるのでは?という疑問を抱いたはずである。

恐らくあの世界は、アカネが逃げ込む為だけに、ゼロからデザインした世界というより、内面世界として、無意識的に投影された世界だったのでは無かろうか。それ故に、あの世界においても嫌な事は起こるし、その度に怪獣で修正を繰り返していたのである。

怪獣を使った世界の修正自体も、アレクシス・ケリブが力を貸しているからこそ可能な所業だろう。つまり、アカネは無意識的にあの世界を生んだ創造主()なのは間違いないし、アカネはあの世界より高い次元(レイヤー)の住人なのも間違いない訳だが、全知全能でも何でも無いのである。

そして、それを踏まえると、恐らくあの世界はそもそもは、アカネ抜きで成立していたと考えるのが妥当だろう。アカネは、外から逃げ込んで来た異物的な不自然な存在なのだ。すると、元々あの世界の中心にいたのは誰なのかという話になってくる。アカネの内面世界なのだから、自分を無意識的に投影したアバターというかシャドウの様な人物がいた筈である。恐らくそれは、宝多六花なのではないだろうか。

そうだとするならば、宝多六花がアカネと特別に仲良くなれた事、六花に密かに好意を抱くキャラクターであった響裕太がグリッドマンの器として選ばれた事にも説明が付く。

ハイパーエージェントと電光超人グリッドマン

グリッドマンとは何なのかと言えば、この作品においては強いて言うなら『電光超人グリッドマン(原作)』なのだろうという話は、先に述べた通りである。

ただ、グリッドマンの設定自体に関しては、あまり深く考えても仕方が無い部分だとは思っている。ちなみに原作のグリッドマンは、最初の数話を観た限りだと、ハイパーワールドからやって来たハイパーエージェントだと説明されている。そして複数の次元を渡り歩いて破壊を行う悪の魔王カーンデジファーをハイパーワールドから追いかけて来たのが、グリッドマンなのである。分かるような分からない説明である。

魔王カーンデジファーは、我々が住む世界と密接にリンクしたコンピューターの世界へとやって来て、ハッキングで嫌がらせをしていた根暗コンピューターな感じの中学生、藤堂武史に目を付ける。そして、藤堂がデザインしたゲーム用クリーチャーにパワーを与えて、コンピューターワールドを荒らすモンスターを生み出すという感じの話である。そして、グリッドマン自体も、元は中学生が作ったゲーム用の3Dモデルなのだ。つまり、グリッドマンというオリジナルのゲームキャラに、ハイパーエージェントが宿った存在なのである。

結局、ハイパーエージェントがどういう存在なのかは分からないわけだが、ハイパーな世界からやって来たハイパーな使者な訳だから、天使的な何かなんじゃないのかなという気はする。光の国の使者ウルトラマンも似たようなもんだと思うが、設定に宇宙人的なニュアンスのあるウルトラマンよりは、もうちょっと概念的な何かな気はする。

旧作との関係性

流れて来るTwitterの感想とかを見ていると、実は続編だったのでは?的な解釈をしているファンを割と見かけたが、個人的には最初に述べた様に、あくまで原作とリメイク(二次創作的)の関係性しかないと思っている。

原作の設定を踏襲して、アニメの世界もコンピューターワールドだったのでは?と考えるファンを見かけたが、原作でも説明されている様に、ハイパーワールドの住人は、コンピューターワールド専門という訳では無く、どんな世界(次元)でも訪問する事が出来るのだろう。ただし、基本的に実体が無くエネルギーだけを持った存在なので、その世界の実体を借りる必要があるのだ。

あの世界がコンピューターワールドでは無い事を示す理由は、もう一つあって、それはラストの実写版パートでアカネが別にパソコンの前に座っていないというシンプルなものである。

原作は、コンピューターワールドを支配すれば、現実世界も支配できる。パソコンがあれば子供でも世界を変えられる的な、IoTが蔓延した社会を舞台に、IT技術の夢と悪夢を描くみたいなテーマが明確にあった訳だが、今作にそういう要素は無いので、敢えてコンピューターワールドを描く必要はないよなとは思う。

原作要素を使った小ネタみたいなものは沢山転がっている訳だが、原作ファン向けのちょっとしたサービス以上のものは無いと思わる。何故なら常識的に考えて、25年前も前の作品を観てないと理解できなかったり、それを前提にしないと意味不明な作品なんて作らないからである。


by cemeteryprime | 2018-12-28 00:09 | 作品・感想 | Comments(1)

【ゲームブック感想】ブラマタリの供物

クトゥルフ神話モノのゲームブック(本にはブックゲームと書いてあるが)。ようやくクリア出来たので、レビューを書いておこう。

クトゥルフ神話ブックゲーム ブラマタリの供物 (Role & Roll Books)

フーゴ・ハル/新紀元社

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結論

凄く面白かった。もし書店やゲームショップで見かけたら、入手困難になる前に、取りあえず買っておいて損は無いはず。勿論、ネット通販で買っても良いぞ。

あらすじ

実はこの作品、ラヴクラフトの小説『レッド・フックの恐怖(1927)』の後日談というか、続編という設定になっている。ただ『レッド・フックの恐怖』を未読でも、特に問題ない作りにはなっているので、未読勢も安心してプレイして良い。ちなみに『レッド・フックの恐怖』は『ラヴクラフト全集:5(創元推理文庫)』に収録されているので、プレイして興味が湧いたら読んでみても良いのかもしれない。

過去の事件(『レッド・フックの恐怖』)で異常なモノを目撃してしまい、ノイローゼ気味になったトーマス・F・マロウンは田舎に引っ越して療養していた。あれは現実だったのか、それとも医者が言うように単なる妄想だったのか…。

そんな彼に、大富豪ロックフェラーからの依頼が舞い込む。油田を求めてアフリカで失踪した孫の捜索がその内容だ。精神を病み療養中の元刑事に過ぎないマロウンに白羽の矢が立った理由は、この事件の背後には神話的恐怖が絡んでいるからだという…。ロックフェラーの様な大物はそうした闇の真実にも通じているのだ。マロウンがかつて目撃したのは、矢張り現実であり、事件を経て“探索者”となったマロウンだからこそ、事件を解決できるに違いないと見込まれたのである。

神話的恐怖に立ち向かい、この事件を解決できれば、マロウンは真にトラウマを克服できるだろう…。そう告げられたマロウンは、事件を引き受けアフリカに旅立つことを決意する…!

ゲーム性

遊ぶ前は、ノベルゲーム的な、選択肢で分岐する小説作品みたいな感じかな?と思っていたのだが、パラグラフ移動の仕方がとにかく多彩で、尚且つ色んなゲーム性があってビックリした。間違いなくこれは、ゲームだ…!という感じ。

難易度はそこそこ高い感じ。といっても、解けないというより、時間が掛かるタイプ。ゲームブックに慣れていなかったというのもあるんだけど、正直かなり苦戦した。割と近年稀にみるレベルで攻略wikiが欲しかった。いざクリアしてみたら、優し過ぎずな、程よい難易度だという気もしたが。

プレイする上でのアドバイスとしては、とにかくメモを取る事。フィールド探索みたいな場面は、どこでどういうイベントが発生したかをメモっておかないと、確実に迷子になって、同じ所をグルグル回る羽目になる。後は、入手したアイテムの存在を忘れない事。

もう一つオマケにアドバイスするとするなら、狂気度の上昇を恐れるなという事くらいだろうか。このゲームは、クトゥルフ神話モノなので、狂気度が上昇しないと真実には辿り着けないのだ…その辺も、実に上手く出来ている。

感想

ゲーム性も凄く面白くて楽しかったのだが、何といってもストーリーが素晴らしかった。伝奇要素あり、アフリカを舞台にした秘境探検アドベンチャーでもあり、しっかりクトゥルフ神話なホラーでもあるという、贅沢な内容。オカルト要素も、ディティールが凄くしっかりしていて感心した。TRPGでもこういう本格的なクトゥルフ神話シナリオで遊びたいものである。

あと、ジャンル的な面白さだけじゃなくて、トーマス・F・マロウンを主人公としてドラマも、凄い良く出来ていて、特にクライマックスが熱かった。熱いストーリーとアナログ故に参加している感のあるゲーム性が、凄い具合に一体化していて、結構テンションが上がった。ゲームブックだからこそ、読み進めるというアクションを楽しめるというか…、こればっかりは、自分でプレイしてみて確かめてくれとしか言いようが無いが。


by cemeteryprime | 2018-11-30 22:05 | 作品・感想 | Comments(0)

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