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カテゴリ:作品・感想( 191 )

【ドラマ感想】仮面ライダージオウ

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仮面ライダージオウが最終回を迎えた。久々に最後まで観た平成ライダーなので、感想を書いておく。

結論

面白かった。始まった当初はまたディケイドみたいな事をやるのかと何の期待もしていなかった訳だが、何だかんだで面白く、久しぶりに最終回まで完走し、尚且つ明確に面白いと良い切れる作品となった(仮面ライダービルドは最終的に糞だった)

本編とは異なるトゥルーENDルートである劇場版も傑作だったので(別に感想記事を書いた)、是非観て欲しい。

あらすじ/概要

主人公は、将来の夢は王様になることだという、ちょっと変わった高校生の常盤ソウゴ。しかし、50年後の未来において、常盤ソウゴは最強にして最低最悪の魔王オーマジオウとなって世界を支配していた。

そんな魔王の誕生を阻止すべく、未来でレジスタンスとして戦っていたツクヨミと明光院ゲイツという二人の人物が、現代へとタイムスリップして来る。

一方その頃、同じく魔王オーマジオウの誕生を阻止し、歴史を改変しようとする謎の集団タイムジャッカーが暗躍。平成ライダーの歴史を改変して、オーマジオウとは別の王を擁立しようとしていた。

そして、何やかんやで、仮面ライダージオウに変身し、オーマジオウへの道を歩み始める常盤ソウゴ。良い人そうに見える、ソウゴは本当にあの最低最悪の魔王であるオーマジオウになってしまうのか…。

面白さ

まずは、何といっても歴代の平成ライダーのゲスト出演が良かった(ファン的に)。ジオウの序盤は、歴史改変を目論むタイムジャッカーが、過去(各平成ライダーの世界)に飛んで、別人をライダーに仕立て上げ、それが未来である現代に影響を与えるという展開が続くのだが、その過程で、本人出演の過去の平成ライダー世界が描かれるのが良かった。

過去に仮面ライダーディケイドも似たような事をやったのだが、その時は本人出演が難しかったのか、基本的には二次創作的な似て非なる平成ライダーの世界を訪問するみたいな内容だったので、本物の平成ライダー世界訪問をやった今作は、それだけでテンションが上がった。

更に、途中からは過去に飛ぶのでは無く、あれから〇〇年後の平成ライダー世界を描くパターンも入り、原作のアフターが公式で描かれるという展開になったので、尚更ファンには嬉しいサービス映像となった。

平成ライダーを総括する

もう一つのポイントは、主人公が最善最高の魔王を目指すというコンセプトで、過去の平成ライダー達から直接学び、パワーを受け継いでいく展開だ。これもまた、似たようなコンセプトだったディケイドには欠けていた要素で、平成ライダー史を総括して「最強かつ最高の主人公≒何かしらの“答え”」を目指すというストーリーは、最終的に最低最悪の魔王になるという不吉な予言とセットで、否が応でも続きが気になる、結末が気になる仕掛けである。

ちなみに、仮面ライダーディケイドは物語の結末として、ディケイドには物語など無い≒これは単なる玩具の宣伝であるという、ストーリーとしては最低のメタな結論に着地してみせた。個人的には、それに対して「舐めてんのか…死ねよ…」という当然の感想しか抱かなかったので、尚更、仮面ライダーディケイドのやり直しに近いコンセプトを感じる、仮面ライダージオウを面白く感じたのだ。

劇場版 仮面ライダージオウOverQuartzer

そして劇場版である。劇場版は、いきなり先に述べたジオウのコンセプトを丸ごとひっくり返して見せる。詳しくは、劇場版の方の感想を参照して貰いたいが、劇場版はTV版の内容をひっくり返して、平成ライダーシリーズ完結編としての、限りなく正解に近い(そして最高な)トゥルーENDを提示したのである。では、劇場版がトゥルーENDなら、TV版の最終回はどうなるのか…?

ノーマルEND?いや、バッドENDTV

では、TV版はどうなるかと言うと、仮面ライダーディケイドのやり直しというコンセプトのままに、ストーリーが進んでいく。

故に、TVシリーズのラスボスは仮面ライダーディケイドの力を奪い自らが王になろうとするアナザーディケイドである。(流石にディケイド本人はラスボスでは無く、ディケイドを善玉と悪玉に分割した形だ)

結局、恐るべき敵であるアナザーディケイドを倒す手段は1つしかなく(また諸々の悲劇なども加わって)、主人公は自ら平成ライダー史を総括する究極体であるオーマジオウへと変身してしまう事になる。

ストーリー的にはエモーショナルかつ、カタルシス溢れる形で描かれているので誤魔化されてしまうがが、劇場版とは異なり、主人公はオーマジオウになるという未来を回避する事に失敗するのである。これは間違い無くバッドENDルートだ。

ただ、この辺は上手いなと思わせられるのは、バッドENDに見せない描き方をしている点である。一見、爽やかで、ポジティブな結末に見えなくもないのだ。また、これにより続編製作の余地も生まれている(実際、続編的OVAの製作が発表されている)。

ただ、最終話を観た後に、改めて第1話を観ると、ラストの選択が決して褒められたモノでは無かったという事が分かるので、気になった人は第1話を見返してみよう。

総括

これはバッドENDだという否定的にも取れるニュアンスでTV版についての最終回を語ったが、仮面ライダージオウは劇場版とセットで成立している作品だと思うので、個人的にはむしろそれで正解だと思っている。

実際にジオウという作品がやってみせたのは、当初から予定されていた最悪の未来である魔王オーマジオウへの変身というバッドENDを避けずに、きっちり描いた上で、劇場版でトゥルーENDを描くという離れ業なので、むしろ感心すべきだろう。しかも、バッドENDをバッドENDだと気付かせない演出で描き、末広がりなポジティブさを持たせたのだ。これは凄い。

仮面ライダージオウを楽しもうと思うと、ある程度の平成ライダー知識などが必要になるので、万人に勧められるかどうかは怪しいが、最近はいまいち面白くないので平成ライダーから遠ざかっていた的なオタクは、観て損は無いはずなので、是非観てみて欲しい。


by cemeteryprime | 2019-08-28 00:51 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ワイルドスピード:スーパーコンボ

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ワイルドスピードシリーズのスピンオフ作品。観に行ったのは2週間ほど前(8/2)なのでうろ覚えだが、感想をまとめておく。

結論

滅茶苦茶、面白かった。正直、製作決定された時点で、どう考えても面白いだろこれ…って感じだったけど、そんな期待値高杉状態で観に行っても、スーパーコンボに求めていた要素+αを見せてくれたというのがポイント高い。ワイルドスピードというジャンルの幅を更にメガMAXにしてくれた感じである。

あらすじ/概要

世界征服的な事を目論む悪の科学結社(MCUのヒドラ的な)エティオンが、殺人ウイルスを巡って、何やかんやでデッカート・ショウとルーク・ホブスを敵に回す。

面白さ

今作の見所は何といってもイドリス・エルバ演じる、サイボーグ超人兵士のブリクストンである。端的に言えば、ワイルドスピード世界にショッカーと、ショッカーの戦闘部隊を率いる悪の仮面ライダーが導入された形である。これで更に面白くならない訳が無い。

主人公のドムがファミリーの敵に回ってしまうという『ワイルドスピード:アイスブレイク』のドムも、これはもうスーパーヴィランなのでは…?スパイダーマンくらいとなら普通に戦えるのでは…?という感じだったが、今回満を持して遂にスーパーヴィランが登場した。

悪の仮面ライダーこそブリクストンは、変形したり、自動走行したりするスーパーバイクに乗っている。これを使ったバイクアクションがまた格好良いのだ。そして更にブリクストンはサイボーグとしての超人兵士っぷりに加えて、視覚に攻撃予測センサーみたいなのを組み込んでいるので、タイマンではホブスやショウはこいつに全く敵わないのである。この最高なキャラを観に行くだけで、十分におつりが出る計算だ。まだ観ていない人はさっさと観にいこう。

悪かった点

足し算&足し算で最高なこの映画だが、微妙な点も無くは無い。その1つがギャグセンスで、これに関しては趣味の問題という要素が大きいのだが、個人的にはうーん…という感じ。ギャグとか、如何にも笑って下さい的な掛け合いの応酬がクド過ぎるなという所はちょいちょいあった。

あと、今後のシリーズ化に向けての顔だしなのかな?という程度の中途半端な新キャラ投入(俳優自体は凄い有名どころ)も、若干気になった。

ワイスピ要素について

今回はスピンオブなのでいつものワイスピ・ファミリーは出て来ないのだが、それでもホブスやショウのファミリーにスポットが当たって、テーマ的にもファミリーは掘り下げられている。あとカーアクションも多めだったし、お馴染みのニトロ演出も健在。

ただ、比率としてはカーアクションよりも、生身のアクションの方が多めだったとは思う。なので全体としては、乗り物アクションが多めなMCU系映画みたいな印象。ついでに自動車泥棒映画だった時代の名残りであるケイパー物的な要素も薄れていた気はする。

特撮ヒーロー映画が好きなら観に行って確実に損はしないので、まだ観てない人は是非。


by cemeteryprime | 2019-08-20 17:05 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer

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劇場版仮面ライダージオウOQを観たので(先週の8/8)記憶を頼りに感想を書く。

結論

傑作。劇場で泣いた。

そもそも仮面ライダーの劇場映画はわざわざ観に行ったりしないのだが、ジオウOQTwitter上での評判がやたらと高かったのと、ジオウは平成ライダーシリーズで久しぶりに面白いなと思って毎週観ていたので、観に行ってみたら見事に期待以上の内容だった。

あらすじ/概要

平成ライダーの全てのパワー(ライドウォッチ)を集めた仮面ライダージオウこと常盤ソウゴの前に、謎の集団クォーツァーが現れる。そして、常盤ソウゴが、ジオウに選ばれたのも、全てはクォーツァーの陰謀だった事が明らかになる。クォーツァーの目的は、世界観がバラバラな平成ライダーシリーズを綺麗にまとめること。つまり、過去の平成ライダーからウォッチを集め、平成ライダーシリーズを総括していく仮面ライダージオウという作品自体が、クォーツァーの陰謀だったのである。そして今、陰謀は成就してしまった。どうする常盤ソウゴ、どうする仮面ライダージオウという番組…!

…という感じの仮面ライダージオウのもう一つの最終回といった内容。あと戦国時代にタイムスリップして云々という話も、プロローグ的に入る。

面白さ

ジオウOQは、端的に言えば歴史をテーマにしたメタフィクションである。この物語の敵組織であるクォーツァーは「お前たちの平成って醜くないか?」という台詞の下に、平成という時代(歴史)を、平成ライダーシリーズを通じて、もっと言えば仮面ライダージオウという作品を通じて、総括しようとしている。

しかし、実際には平成という時代には、平成ライダーシリーズ以外にも、仮面ライダー作品が幾つか存在している。仮面ライダー作品のみに焦点を当てていてもそんな感じで、クォーツァーの総括からはみ出た作品が存在している。なので、当たり前だが、平成という時代には仮面ライダージオウという作品だけでは総括しきれない豊かさが溢れている事に気付かされるのである。

つまり、仮面ライダージオウOQという作品は、歴史を振り返り総括するという行為の乱暴さに焦点を当てた作品なのである。歴史の表舞台に立つ作品、そもそも表舞台に立てなかった作品。現実の歴史は、そうした多種多様な存在の蓄積であり連続なので、綺麗に整っていないのがむしろ当たり前なのだ。

このテーマは普遍性があるので、平成ライダー作品を特に知らない人でも、ジオウ本編を観てない人でも、それなりに楽しめる様になっている(と思える)。歴史を総括する事の難しさ、雑に総括してしまう事の乱暴さ、そして整ってはいないありのままの歴史を受け入れる事が、多様性の肯定にも繋がるというメッセージ。正直、急にどうしちゃったの???と言いたくなるくらいのリテラリーの高さである。

ジオウの否定と、その先のメッセージ

とは言いつつも、やはりTV版の仮面ライダージオウを観ているに越したことはない。冒頭でも述べたが、ハッキリ言って、仮面ライダージオウは、最近の平成ライダーシリーズの中で割と突出して面白い。

その面白さには、平成ライダーシリーズ総決算的なファンサービス要素も多いのだが、過去のライダーを踏まえて最高最善の魔王を目指すというコンセプトの下、平成ライダーシリーズの総括を目指している点にある。

実は平成ライダーシリーズが登場するメタな作品という点では、これまでにも仮面ライダーディケイドという作品があったのだが、ディケイドの場合は、複数の作品世界をフラットに消費するという、脱物語な着地をしてみせた。この脱物語というのが個人的には最低で、要するに堂々と仮面ライダーシリーズという商品をカタログ的にPRするだけのストーリーの無い映像作品として終始して見せたのである。もともと玩具の販促番組である事を踏まえれば批評性が高いとも言えるが、ある種の開き直りに近い。

このディケイドという大惨事(主観)から約10年、仮面ライダージオウは、あくまで物語として平成ライダーシリーズを総括しようとしていた。それ故に、きっちりストーリー作品として凄く面白く感じていた訳なのだが、なんとジオウOQではいきなりその点に疑問を呈して見せたのである。ジオウ本編が面白いからこそ、これは衝撃的だった。

そして、単に疑問を呈するだけではなく、きちんと疑問に答える素晴らしいアンサーを提示して見せた。この衝撃を十二分に理解する為にも、やはりTVのジオウ本編は観て置いて欲しい。

スパイダーバース的演出

少し話が変わるが『スパイダーマン:スパイダーバース』という作品を観た時に、平行世界(本来同じ世界に属していない)のヒーロー達が集結する構造って、よくよく考えると平成ライダーでしょっちゅうやってるやつだよなーと思った訳だが、今作ではそんなスパイダーバースに対するアンサーともとれる演出が出て来た。

なぜ急にこんなリテラシー高めの作品が…?という疑問の背景には、日本の老舗ブランドである仮面ライダーシリーズからの、MCUやスパイダーバースなんかの最近の良質なアメコミ系作品への建設的な対抗意識が幾らかあるのかな?と思ったり。だとすると喜ばしい流れである。

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テーマは平成

もう一つ、語っておきたいのは平成というテーマである。この映画を観た時に思ったのは、ありがとう平成ライダーシリーズというより、ありがとう平成だった。

雑に平成を総括しようとするクォーツァーに、歴史ってそんなもんじゃねーぞとアンサーを叩きつけるストーリーの構造上、MCUの『アベンジャーズ・エンドゲーム』が、取りあえずMCU映画を全部観とけばOKという話になるのに対して、ジオウOQの場合は、平成ライダーシリーズに加えて、平成ライダーから漏れた仮面ライダー作品や、その他の平成ネタの数々まで出て来る。平成ライダーシリーズが好きで追いかけている、昭和生まれの人間であれば、特に予習も必要無いのだが、そうじゃない人にはとことん拾い難いネタが多い。

これはCMでもネタバレされているので言及するが、そうした要素の1つが木梨憲武の仮面ノリダーである。この映画には、仮面ライダーとして歴史に認められなかった男として、仮面ノリダーが主人公に助言をする割と重要な役回りで登場する。平成ライダーシリーズから漏れているどころか、仮面ライダーですらないキャラである。そして、確実に昭和生まれのおっさん(おばさん)にしか分からないであろうネタである。他にも、たまたま当時テレビを観てないと知らないだろこれ…みたいなTVネタが平成ライダー史の一部として登場したりする。

こうした諸々の要素は元を辿れば、日本に平成という独自の時代の区切りが存在していたからこそ成立した、そしてずーっと仮面ライダー作品が作られていたからこそ成立したタイプの作品なので、結論としては先述の様に平成ありがとうという話になるのである。

平成が昭和みたいに60年くらい続いていたら、こうした企画は成立出来なかっただろうし、天皇の生前退位により平成から令和への時代のシフトがお祭りムードで行われた事も大きな一員になっているのは間違いない。

クォーツァーというメタ存在

そもそも僕はメタフィクションが好きなので、大きな物語である歴史についてのフィクションであり、平成ライダーシリーズについての作品でもある仮面ライダージオウは、ジャンル的に大好物だと言える。

今回、特にメタ的にヤバい存在なのがクォーツァーである。平成を総括するという発想や、平成ライダーシリーズを総括するという発想は、物語を外から俯瞰している立場の人間にしか不可能である。つまり、クォーツァーは作中の登場人物でありながら、自分たちが今まさに特定の作品の中にいる事を知っているのである。

そんな中でも、特にヤバいのがウォズというキャラクターである。ウォズは、ジオウのTVシリーズにおいてもメインキャラの一人で、主人公の仲間なのだが、今作でクォーツァーのメンバーだった事が明かされる。そしてそのウォズの裏切り以上に衝撃的だったのは、ウォズの第四の壁を破る能力である。

ウォズは、TVシリーズにおいて、ナレーションや語り部的な役割をしていたのだが、あくまでそれはTV番組的な演出だと思っていた。未来の事が記された本も所持していたが、それは単に未来から来たキャラだからと思っていた。しかし、今作でウォズは明確かつ意図的に第四の壁を破る演出を多用するのである。

何故なら、ウォズはクォーツァーのメンバーであり、仮面ライダージオウという作品をメタ的に認知しているからである。当然、仮面ライダージオウの世界を作品として観ている観客の存在も認識していたのだ。第四の壁を破る能力を持ったキャラは、デッドプールなんかが特に有名だが、基本的にはそうした演出はコメディ作品に特有のものである。クォーツァーは、真面目なメタ存在として、第四の壁を破ったのである。基本的に子供向けである夏休み仮面ライダー映画でそんなことやる??という感じだ。

でも、やったのである。この辺が、仮面ライダージオウOQが傑作だと思う理由だ。子供向け映画だし、いまいちしょうもないスーパー戦隊映画と同時上映なので、割とハードルが高いが、時間があれば旬を逃さない為にも是非劇場で観に行って欲しい。


by cemeteryprime | 2019-08-17 01:32 | 作品・感想 | Comments(0)

【ドラマ感想】ベイツ・モーテル

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ネトフリで最終章のシーズン5が配信された。ざっくりとまとめて感想を書く。

結論

面白かった。最後まで観た結論としては、映画『サイコ』の前日譚…と見せかけた、現代版アレンジ&原作再構成モノの二次創作という感じ。コンセプトとしては、明確に連続ドラマとしての面白さを優先させていると感じた。つまりは面白いという事である。原作の映画『サイコ(1960)』の方も、ネトフリにあるので、出来れは先に観ておいて欲しい。現代基準でもテンポも良くて普通に傑作映画なので観て損は無い。

あらすじ/概要

ノーマ・ベイツは息子のノーマン・ベイツと共に、人生をやり直す為に新しい土地へ引っ越して来て、モーテルの経営を始める。

シングルマザーとしての難しさ、新しい土地での困難、経営者としての苦しさ、精神に問題を抱えた息子への不安。不幸体質で三重苦、四重苦なノーマ・ベイツのハードモードな人生。一方その頃、息子のノーマン・ベイツは着実に精神異常が加速して、連続殺人鬼へと変化していくのであった。

面白さ

兎に角、主演のヴェラ・ファーミガ(ノーマ・ベイツ役)とフレディ・ハイモア(ノーマン・ベイツ役)の演技と演じているキャラクターが強烈でドラマとして観ていて面白い。

映画『サイコ』と言えば、二重人格のマザコン殺人鬼ノーマン・ベイツのキャラクターが強烈で、サイコ・スリラーの代名詞な作品になっている訳だが、それに全く引けを取らないキャラクターとして、今回ノーマ・ベイツが登場する。ノーマは強烈だが、同時に必死に生き抜こうとする女性でもある。映画『サイコ』で完成された殺人鬼のノーマン・ベイツを見た観客は、母親のノーマ・ベイツの育て方が諸悪の根源の様に思うのだが、ドラマでは必ずしもそうでは無かった事と不可避な悲劇性が描かれる。

子育てホラーとして

必死に努力しているのに、息子がどんどん異常になっていく。子育て中の母親にとって、これほど恐ろしい事は無いのでは無かろうか。しかも、その息子はひたすら自分を責めて来るのである。

最悪な事に、ノーマン・ベイツは自分の中に、ノーマ・ベイツの人格を作り出し、都合の悪い事を全部ノーマ・ベイツ(脳内)に被せるのである。そして現実のノーマン・ベイツを責めてくる。こんな理不尽な事は無いのだが、たった一人の息子であり、心の支えであるが故に、断罪しきれない。母子の強い依存関係ホラーでもあるのだ。

二人のノーマ

ヴェラ・ファーミガはこのドラマでノーマ・ベイツと、ノーマ・ベイツ(ノーマン内人格)という二人のキャラクターを演じている。

映画『サイコ』では、時間軸がノーマ・ベイツの死後だったので、ノーマ・ベイツ本人が実際どういう人だったのかは確認できないが、このドラマではこの二人のキャラクターは同じ時代を生きているので、ノーマンの脳内人格であるノーマ・ベイツが本人とは明らかに違う性格である(要するに似ていない)という事がより明確に分かる。そしてその事実は、ノーマン本人をより混乱させる事になる。故に最終的には、脳内ノーマにとって、現実のノーマは邪魔になるのである。この辺のドラマもスリリングで面白い。

シーズン5とシナリオ分岐

最初にこのドラマは映画『サイコ』の前日譚…と見せかけた、現代版アレンジ&原作再構成モノの二次創作であるという話をした。ネタバレになってしまうが、シーズン5まで完走させる動機になるので、敢えて説明しておきたい。

単に映画『サイコ』の前日譚ドラマが観たい人の場合は、ベイツ・モーテルはシーズン4で止めても良い。映画『サイコ』のノーマン・ベイツが誕生するまでの物語は、シーズン4のラストで既に完結している。

シーズン4の後、何も無ければ映画『サイコ』が再現されていた筈だが、色々とイベントが発生したが故にノーマン・ベイツが変化してしまい、予定されていた筈の歴史が変わる。その結果、映画『サイコ』のIFルートが描かれる。シーズン5はこのサプライズが劇的に面白い。

前日譚という立ち位置の作品は、どうしても結末近くが予定調和的になってしまう。ファンの為の派生的なサービス作品という立ち位置であれば、そういう在り方でも別に良い訳だが、独立した連続ドラマとしてもう1シーズン、最後まで楽しませてやろうという心意気を感じずにはいられない。

ただ、その結果として、シーズン5の最終的なオチは、物語としては多少陳腐な内容になっている。中盤でのIFルート突入でパワーを使い果たした感は否めない。ただ、独立した物語としての完成度という点では、そもそも原作の映画『サイコ』が既に完成されているので、ドラマ版は連続ドラマとしてのエンタメ性を優先した結果だと受け止めたい。


by cemeteryprime | 2019-08-16 16:34 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】アベンジャーズ/エンドゲーム(ネタバレ)

先週くらいからネタバレが解禁されたみたいなので、改めて感想記事を書こう。

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結論

言わずとしれた、アベンジャーズ最終章。面白かった。観た直後は色々と思う所があり、割と真顔になったが…。面白かったが、傑作とは言えない理由は、後述。

あらすじ/概要

サノスの指パッチン(インフィニティ・ストーンのパワー)で全宇宙の人口が半分に。どうしても前に進めないアベンジャーズのメンバーは時間を遡り、インフィニティ・ストーンを入手して全てを元に戻そうとする。

面白さ

『アベンジャーズ』というタイトルシリーズの基本はお祭り映画である。あのキャラとあのキャラの絡みがみたい!共闘してる姿が観たい!というファンの願望を叶える為の作品がアベンジャーズ・シリーズなのだ。

そういう意味では今作は、そうしたファンの願望に200%応える内容だったと言える。もう最終回だし、総集編的にまだ見せて無かった映像も見せまっせ!というサービス精神が全編に渡って溢れている。SNSなんかでも、ありがとー!というファンの感想で溢れていた。

面白く無さ

それは兎も角、今作の内容に不満を持ったファンもいた。それはストーリー的なアンサーを期待していたファンである。ファンサービスは200点満点だが、これまで連載してきた作品のオチ的なストーリーとしてはどうかというと、ハッキリ言って何の答えも出ていないと言わざるを得ない。

200%のファンサービスと何となくエモい流れで誤魔化されがちになるが、スーパー兵器を使ってサノス軍を皆殺しにして戦争に勝利しました…!というのは、基本的にヒーローの勝ち方では無いのである。

つまりサノスとの戦いは、戦績的には一勝一敗のイーブンという所で、最終的に試合には勝ったが勝負には負けたというのが正確な所では無いかと思っている。それが答えだとも言えるが。

未解決的な理由

この理由は恐らくシンプルで、アベンジャーズというシリーズは終わってもMCUは終わっていないからだろう。もっと言うなら、第一期アベンジャーズが終わったという感じである。

ブラックパンサーやキャプテン・マーベルやドクター・ストレンジといった新規の主力級キャラに関しては、そもそも“アベンジャーズ”入りはしていないのである。

今回、キャップとトニー・スタークという対になるアベンジャーズの2本柱が退場した訳だが、実はそれぞれ第二次世界大戦期のアメリカ、それ以降のアメリカ(ベトナム戦争~アフガン戦争)を象徴する様なキャラクターになっている。特にトニー・スタークに関しては、アメリカの二面性を象徴をするキャラクターであり、ヒーローをやる一方で、自ら恐ろしい敵を生み出すキャラクターになっていた。

それを踏まえると、今作でのあの結末は、要するに旧世代の限界を示す内容だったと思っている。旧世代ではサノスは超えられなかった。しかしながら、新世代が育ってきているのでそこまで悲観はしなくても良い。エンドゲームの正体は、そんなビターエンドだったのだ。

その先の答えに関するヒント

まずはキャプテン・マーベルである。キャプテン・マーベルは、戦争に勝つヒーローでは無く、止めるヒーローとしての在り方を模索していた。真にパーフェクトな勝利という意味では、サノスとの戦争においても戦争に勝つのではなく、事前に止めるという選択肢があったかもしれない。今回アベンジャーズは、シビルウォーを経てバラバラだったので、それ所では無かったが。

もう1つはブラックパンサーである。ブラックパンサーの肝は、復讐に囚われない事だと思っている。それは、シビルウォーのラストでブラックパンサーがジモに対して見せた答えであり、続くシビルウォーにおけるキルモンガーの本質が復讐に囚われた王だった点からも、その辺が重要なテーマになっているのは明らかである。

ドクター・ストレンジに関しては、映画本編が面白く無さ過ぎたので、記憶が曖昧だが、ドクター・ストレンジがクライマックスでやってみせたのは、敵に勝つんじゃなく負けないというスタイルであり、それもまた新世代の可能性を示唆している(気はする)

インフィニティ・ストーンという地雷

個人的にインフィニティ・ストーンの中で最も重要なのはソウル・ストーンでは無いかと思っている。何故なら、ソウル・ストーンを入手するには大切な人を犠牲にしないといけないからだ。つまり、誰も犠牲にしないというヒーローとしての理想に本質的に相反する存在なのである。

悪役のサノスがそんなソウル・ストーンを入手するのはむしろ理に適っている訳だが、アベンジャーズがそれに手を出した場合、結局の所サノスと五十歩百歩になってしまうので、実はそれこそが鬼門だったのである。

つまり、ヒーローとして勝利したければ、アベンジャーズはインフィニティ・ストーンに手を出してはいけなかったのだ。しかし、出さざるを得ない状況に追い込まれた。それがアベンジャーズ第一世代の限界だったのである。

実は過去作を振り返ると、人類には過ぎた存在であるインフィニティ・ストーンに手を出したが為に悲劇が起こるという展開は何度も描かれている。シールドが兵器開発に利用しようとして悲惨な結果になった展開しかり、トニー・スタークがウルトロンを生み出してしまった展開しかり。人類以外においても基本的にインフィニティ・ストーンに手を出すと碌な事は無いよという話が延々と前フリとして描かれていたのだ。

アイアンマンの死

役者の都合は置いといて、なぜアイアンマンは死ななければならなかったのか。その理由の1つは、アイアンマンの在り方にある。トニー・スタークは世界に対して無責任な子供的立場から、世界に対して責任を持つ大人になる事を選択し、アイアンマンになった(アイアンマン1作目)。

トニー・スタークは父親に対して明らかにコンプレックスを抱いており、トニーにとってアイアンマンになる事は武器商人だった父親を超えるという話に繋がるのだが、それによって自分が世界を守らなければというプレッシャーが発生し、暴走する結果にも繋がっていた。

家族を顧みず、世界に兵器を売りさばいたハワードの様にはならない、自分は立派な大人(父親)になってみせるというトニー・スタークの本当のゴールは、アイアンマンとして世界の守護者(父親)になる事では無く、結婚して家庭を築いて父親になる事で達成されるのだ。しかしながら、家庭を気付き父親になる事と、アイアンマンにいる事は、バッティングしてしまうのである。

だからこそ、インフィニティ・ウォーを経て、アイアンマンを辞めたトニー・スタークは、家庭を築いて、父親になる事が出来たのである。不本意な形であるが、トニーはゴールに着地したのだ。

しかし、トニーは精神的に成長してアイアンマンを辞めた訳では無かったので、キャップの勧誘でアイアンマンに戻ってしまった。そして、悲劇的な結末に向かうのである。

アイアンマンを辞めた理由

補足的に説明すると、アイアンマンというのはそもそもが不完全なヒーローである。何故なら、何かを作り出す変革者的なヒーローだからだ。基本的にスーパーヒーローは変革者にはなれない。何故ならスーパーパワーで自分に都合良く世界を変えるのはヴィランの仕事であり、ヒーローの仕事はそれを止める事だからである。

アイアンマンはそれ故に、自ら敵を作り出してしまう。ある種マッチポンプ的にヒーローをやるしかないのである。MCUを振り返ると、トニー・スタークが原因で生まれたヴィランは多い。だからこそ、アイアンマンをやる上で、アイアンマンの暴走を止める事が出来るアベンジャーズが必要になるという構図が成立するのである。

シビル・ウォーを観れば分かるが、アベンジャーズの連帯を誰よりも望んだのはトニー・スタークなのである。しかし、シビルウォーを経てアベンジャーズは内部分裂をしてしまう。その結果、インフィニティ・ウォーの際にアイアンマンの周りにはアベンジャーズは誰もいなかった。唯一いたのは、アベンジャーズ予備軍として自ら育てたスパイダーマンだけである。しかし、そのスパイダーマンもサノスの指パッチンで消滅してしまう。だからこそトニーは、アイアンマンを続ける事が出来なくなり、辞めてしまったのである。だからこそサノスに報復に行く際には、トニーはもうアイアンマンとして参加していないのだ。

トニー=MCUベンおじさん説

アイアンマンが死んだもう一つの理由は、トニーがMCUにおけるベンおじさんだったからだ。

スパイダーマンを知っていれば、すぐにピンと来る話なのだが、スパイダーマンが真にスパイダーマンとして覚醒するのは、通過儀礼的にベンおじさんが死亡して、大いなる力には大いなる犠牲が伴う事を学ぶ必要があるのである。

アニメ映画の『スパイダーマン:スパイダーバース』を観るとその辺のお約束を楽しく学ぶ事が出来るのだが、ピーター・パーカー以外にも色んなスパイダーマンが存在するのだが、悉く身近な誰かの死を通過してスパイダーマンになっているのである。ちなみにスパイダーバースの主人公、マイルス・モラレスの場合であれば、アーロン叔父さんの死が通過儀礼になっていた。

MCUスパイダーマンの場合、蜘蛛に噛まれて超人化する下りとかも全部省略されていたので、ベンおじさん死亡イベントも省略されたものだと思わせていた訳だが、それはミスリードで、実はピーター・パーカーの父親代わりというか、メンター役をしていたトニー・スタークこそが、MCUにおける通過儀礼の為に死亡する叔父さん役だったのである。

ピーター・パーカーの年齢がかなり若く設定されていた事や、通常は老婆なメイおばさんの年齢もかなり若い事、スパイダーマンとしてそこまで本格的な自警団活動はしていなかった事など、全てはその為の伏線だったのだ。

つまり、トニー・スタークがスパイダーマンの父親的ポジションを演じていた時点で、死亡による退場は決定事項だったのだろう。

キャプテン・アメリカの話

トニー・スタークの話をしたので、ついでにもう一人の退場者であるキャップの話もしておこう。

エンドゲームを観た後に、キャプテン・アメリカのシリーズ1~3を観返して思うのが、キャプテン・アメリカもまた発展途上の変化をし続けるキャラクターであったという事実だ。

1作目の時点でのキャップは、童貞版のジャンヌ・ダルクという表現がピッタリなキャラである。両親が共に愛国者として戦場に趣いて死亡しており、自分もお国の為に死にたいと考えている、宗教がかった感じのキャラである。印象としては、バッキーはよくこいつの友達でい続けたよな…という感じ。2作目のウィンターソルジャーにおいてようやく一般人的な感覚を身に付けるんだけど、アメリカがヒドラに支配されていた事で酷いトラウマを負い、割と過激な自由原理主義者に変貌してしまう。その結果が、シビルウォーでのアベンジャーズ分裂である。

シビルウォーのキャップは、自由の為なら多少の犠牲も致し方なしという発言をしていて、かなり過激派になっているのが分かる。インフィニティ・ウォーになると、逃亡生活が応えたのか、ウォーマシンの犠牲が応えたのか、性格は多少緩和されていて、大義の為でも犠牲(自己犠牲も含む)は絶対に認めない!と主張する様になっている。

しかしながら、キャップの理想はかなわず、結局はインフィニティ・ストーンに手を出す羽目になり、ブラックウィドーやアイアンマンの自己犠牲を出す羽目になったのである。そうした結果を受けて出したキャップの結論は、「もうヒーロー辞めたい…」という感じだったのかなと思うと、割と悲しいものがある。

タイムパラドックスに関して

ついでに、キャップが過去世界に飛んだ件に関してだが、劇中での説明を真に受けると、時間移動でタイムパラドックスは発生しない事になっている。すると、キャプテン・アメリカは過去世界に一方通行的に引っ越した形になり、第二次世界大戦後にキャプテン・アメリカが帰還した新しい世界線が新たに発生するだけなのだが、映画では何故かお爺ちゃんんになったスティーブ・ロジャースが登場してしまう。

それって、タイムパラドックスが発生しとるやんけ…!という話なのだが、可能性としては他所の世界線でペギー・カーターと人生を全うしたスティーブ・ロジャースが、ペギーの死後にまたこっちの世界線に戻って来たという、多少無理な説明も可能なのかなと思ったり。あのタイムマシンで世界線まで自由に移動できるのかどうかは知らないが。

残りのアベンジャーズ

王様を辞めたソーに関しては、また王様に戻る話をやるのか、ワンピースにおけるジンベエ親分みたいな感じになって、船長としてまだ未熟なクイルのメンターになるのか、その辺は今の段階では見えない。そもそもソーは、モチーフが北欧神話の神であり、アメリカ的なヒーロー像とは関係無いというか、プレ・アメリカ的な存在なので、王というより昔気質の戦士キャラとして活躍するという方向性も悪くは無い気はする。

ホークアイは、普通に考えれば今度こそ引退して家族の下に戻れよとは思うが、ブラックウィドウを死なせてしまったり、やさぐれてパニッシャーみたいな事をしちゃったりと、インフィニティ・ウォー後に急速にカルマを重ねてしまったので、洗脳されていたとは言え、人を殺しまくってしまったバッキーとセットでそうすんだお前らという感がある。過去の罪の贖罪というテーマにおいては、ブラックウィドウ自身がそんな感じで、最終的に自殺しちゃった訳なので、ブラックウィドウの二の舞にならないみたいなのが、ある種のテーマになるのではという気はする。

ハルクは、地味に一番期待している。今作ではそんなに活躍しなかったが、内面的な分裂を統合したハルクは、ある種のシビルウォーに対するアンチテーゼというか、統合の象徴として、アベンジャーズの新しいリーダーに相応しいキャラなのでは?と思っている。インフィニティ・ガントレットで、腕が焼けちゃったのもむしろ好材料で(あっさり回復している可能性もあるが)、不能だからこそみんなで協力しあう事の必要性を痛感しているリーダーになる上で、そういう不具性はむしろ必要なのでは?という。

それによって戦闘で前面には立たなくなる訳だが、弱くは無くて、身体的にも精神的にもタフ。そして、科学知識も豊富。現状、ハルク以上に時期リーダーに向いているキャラはいないと思うのだが、どうだろうか。

そんな感じで新生アベンジャーズに関する展開予想をしてみた所で記事を終えておこう。


by cemeteryprime | 2019-05-15 01:47 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】名探偵ピカチュウ

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先週、観て来た。思い出しながら感想を書く。

結論

面白かった。全体的にポケモンが予想外に可愛いくてビックリした。キモいクリーチャーな感じに実写化されてるのかと思ったら、フワフワのぬいぐるみ仕様な実写化だった。

あらすじ/概要

離れて暮らしていた父親の訃報を受けて、主人公はポケモンと人が共存する町、ライムシティへと出かける。父親の探偵事務所で主人公は、記憶喪失になった父親のポケモンのピカチュウと出会う。

父親と一緒に死んだはずのピカチュウが生きていた事から、父親が本当は死んでいないのではという疑いを持った主人公は、ピカチュウと共に父親の足取りを追うが…。

面白さ

兎に角、ポケモンの描写が良かった。出て来るポケモンのチョイスは、初代が気持ち多めだが、新しい世代までバランス良く色々と登場していて、ビジュアル的に楽しませてくれる。

現実世界にポケモンがいたら、こういう画が観たい…的な要素を上手い事押さえていたので、それだけでも実写化して良かったと思った。街中のポケモン、自然の中でのポケモン。かつてポケモン攻略本でそういうイラストを見てテンションが上がった記憶が蘇った。

ちなみに、個人的に良いなと思ったのは、ボイパでスピーカー替わりをするドゴーム。

ストーリーと悪役(ネタバレ含む)

この映画、ポケモンの実写化というか、『名探偵ピカチュウ』というゲーム作品の実写化らしい。Wikipediaのネタバレを見る限り、あらすじレベルでは同じ話なのだが、悪役まわりは結構映画オリジナルっぽい。

原作ゲームはどうもテレビ局が視聴率目的でポケモンを暴走させて事件を自作自演みたいな話らしいのだが、映画の場合はもうちょっと拗らせていて、人間嫌いなポケモン愛好家の暴走みたいな話になっていた。

この辺は過激な動物保護団体だとか、バ美肉みたいな、現代的な要素ともシンクロするので、ちゃんと現代の物語をしてるなという好印象を抱いた。ポケモン本編にもポケモン解放運動みたいな事をするプラズマ団という奴らがいた訳だが、この映画の悪役の場合は、割と真っ当かつリベラルな範疇でポケモンをボールから解放し、共存する街を築いた上で、更に人間をポケモン化してしまう辺りが最高なのだ。ポケモンが好きという以上に、人間が嫌い(自分も含めて)なんだろうけど、その辺が凄く現代的な悪役だなと感じる。

サプライズ要素について(ネタバレ含む)

この映画のサプライズ要素は、『スパイダーマン:ホームカミング』と似た要素がある。ホームカミングにおけるサプライズは、黒人のヒロインの親父が、白人(の敵対しているヴィラン)でしたというモノ。

今作におけるサプライズは、黒人の主人公が探し回っていた父親も黒人なんだろなと思ったら白人でしたという形。白人と黒人の夫婦の子供が黒人or白人という家庭構成は普通にありうる訳だが、それをサプライズ的なギミックとして使うというのは、これからちょいちょい流行ったりするのだろうか。

とは言え、今作の場合はピカチュウ絡みのサプライズも一緒にやっているので、単にそれだけをやっている訳じゃない(ホームカミングもそうだけど)

ポケモン描写に関して

この映画世界において、自分のポケモンを所持していないヤツってのは、どういう意味を持っているのだろうか。いい歳して彼女や彼氏がいないみたいな感じだろうか。そんな事を考えさせるポケモン描写が、個人的にはちょっと新鮮だった。

ポケモンはそもそも、草むらで昆虫を捕まえてバトルさせるニュアンスからスタートしている。最近はどんどん描写としてペット的なニュアンスが強くなっている訳だが、更にその先としてモンスターボールが排されて、本質的に収集や所有の対象では無くなり、パートナー的な扱いをされるに至った時、ポケモンはどういう存在になるのだろうか…。

今作の舞台であるライムシティのコンセプトであるポケモンと共存する街というのは、基本的には他者と共存する街なんだろうなとは思った。エキゾチックな他者としてのポケモン。しかし、そこまでいくと、今度はエキゾチックな他者という在り方の歪さみたいなモノを描く羽目になるのではという感もある。

今作の悪役は、エキゾチックな他者であるポケモンを欲望し、エキゾチックじゃない他者である所の人間(息子も含めて)は嫌っていた訳だが、では、ポケモン自体のウザさみたいなモノが強調されるに至るとどうなるんだろうという当たりの興味は尽きない。

それを踏まえてのクライマックス

本質的にポケモンは人間にとって都合が良い形にデザインされている。その点は、ポケットなモンスターという名前の時点で明らかなのだが、その事の是非は兎も角、劇中でポケモンがエキゾチックな他者を辞めてしまうトリガーがあの薬だったとすると、最終的に発生したポケモンと人間の融合の結果もたらされたモノは実は、エキゾチックじゃない他者としてのポケモンだったのではないという気がしないでもない。

つまり、ポケモンの解放は、最終的には他者化という結論に着地し、それは人間との融合で成立する。他者化したポケモンとは、要するにあのTwitterでバズっていたシワシワのおっさんピカチュウなのである。悪の陰謀は打ち砕かれたので、ポケモンと人間が融合してしてしまった、その後の街の姿は描かれなかったが、それは全てのポケモンがシワシワなピカチュウみたいな感じになった世界だったのではという感はある。映画の細部まで覚えていないので、想像でしかないが。

終わりに

追記的な要素がゴチャゴチャとクドい内容になってしまったが、基本的には実写化されたポケモンが可愛い映画である。何も考えずに楽しめる作品なので、時間があれば是非観に行って良いはず。


by cemeteryprime | 2019-05-14 22:21 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ラ・ヨローナ~泣く女~

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観て来た。

結論

普通に面白かった。ハッキリ言って、ワッ!っと驚かせるタイプの演出に頼り過ぎな感じのホラーなのだが、それによって十分に怖いし(心臓に悪いとも言うが…)、これがアメリカ的ホラーじゃい!という感じのエンタメなバトル展開もあるので、エンタメとしてのホラー映画であれば、これでOKだろうという感じ。

あらすじ/概要

主人公はソーシャルワーカーをしている二児の母親。旦那は警官だったが、最近死んでいる。そんな母親が、不登校の通報を受けて、母親によって自宅に監禁されている子供を発見。

母親は虐待ではなく、アイツ(泣き女)から子供たちを守っているのだと主張するが、そんなの戯言だろうと、子供たちは施設に保護される事になる。

しかし、その母親の話は本当だった…。そして泣き女(ラ・ヨローナ)は主人公の子供たちを次の標的に選ぶ。

面白さ

兎に角、心臓に悪いタイプのビビらせ演出(幽霊的な)が満載。グロとかは特に無い。なのでデートムービー向きとも言える。

あと、悪霊とバトルする展開が面白い。監督はやってないが、製作は「死霊館」のジェームズ・ワン。死霊館のロジックがある悪霊とのバトルの雰囲気が好きな人は、好きなんじゃなかろうか。


by cemeteryprime | 2019-05-14 16:46 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】スパイダーマン:スパイダーバース

気分転換に思い出して感想を書くシリーズ。

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結論

傑作。この作品の特徴を端的に表現するなら“動くアメコミ”だ。アメコミのアートがそのまま動いている感じで、一般的なアニメの映像とは明らかに異質な印象に仕上がっている。なので、アニメーションの映像表現的な面白さを好む人には是非お勧めしたい。勿論、ストーリーも良い。

あと、スパイダーバースの映画化という時点で、かなりマニアックなスパイダーマンのコアなファン向けな作品なのかと思っていたのだが、そんな事は無く、完全に初心者向け仕様だったので驚いた。スパイダーマンの事はあまり知らないから…と敬遠している人も、気にせず観て楽しめるはずだ。

あらすじ/概要

NYのブルックリンに住む黒人少年のマイルス・モラレスは、ある日、突然変異したクモに噛まれてスーパーパワーを得てしまう。そんなマイルスは、たまたまスパイダーマンがキングピン率いるヴィランと戦い、殺害される現場に居合わせ、スパイダーマンから街を守る為のアイテムを託されてしまう。

街を守るヒーローのスパイダーマンに憧れていたマイルスは、スパイダーマンを継ぐことを決意するが、自分の能力を上手くコントロール出来ない。一方その頃、キングピンが作った異次元ホールの影響で、並行世界からNYに何人もの“スパイダーマン“が来訪していた。

面白さ

ストーリーのメインテーマは、「スパイダーマンは一人じゃない」というモノである。具体的にこの作品には性別も種族も多種多様な“スパイダーマン”が登場するが、ポイントになるのは、“スパイダーマン”という極めて特殊な境遇でさえも、分かち合える仲間が世界のどこかにはいるという部分である。

かつてのヒーロー物においては、ヒーローは選ばれ屍ものであり、それ故に孤独であるという部分が強調される傾向にあった。そうしたヒロイズムは、自己犠牲を美化する自己陶酔的な傾向にも繋がるのだが、近年のヒーローに求められるのは、アベンジャーズで観られる様な、他者との共闘の素晴らしさなのである。

世界は広いんだから、どこかには分かり合える仲間がいるはずというテーマは、限りなくポジティブなメッセージである。まぁ、アメコミにおいて、ヒーローが遭遇する自分と似たようなヤツはたいてい鏡像的なヴィランだったりするのだが…この映画においては、そんな事は無いのである。

並行世界のヒーローの共演

アベンジャーズを例に出したが、並行世界のスパイダーマン達が共演するという要素は、どちらかと言えば、仮面ライダーとかウルトラマンでよくやっているお祭りである。

日本のそれは、完全に玩具を売る為の都合で世界観を飛び越えて共演させているだけなのだが、一周してアメコミのスパイダーマンもそういう次元を超えた共演イズムに着地したのが面白い。

ゲットダウン感

本作の主人公はピーター・パーカーと同じくNY育ちではあるが、黒人少年である。それ故に微妙に境遇が異なっている点が面白い。その辺の面白さを理解する為の予習作品としてはネットフリックスの『ゲットダウン』というドラマをお勧めしたい。

実は主人公のマイルスの声優は、『ゲットダウン』という作品で主人公の少年たちをヒップホップの世界に導く兄貴分のシャオリン・ファンタスティックというキャラの俳優である。それ故に明らかにゲットダウンへのオマージュと思われる演出がある。シャオリン・ファンタスティックは、グラフィティーアートとアクロバットを得意とするキャラで、主人公と被る要素の多いキャラなのだ。

ちなみにこの映画のサントラには同じくゲットアウトに主人公の一人として出演していたジェイデン・スミスの曲も入っている。

マハーシャラ・アリ

声優要素でもう一つ注目したいのは、マハーシャラ・アリが演じるアーロン叔父さんというキャラである。これがまた実にマハーシャラ・アリなキャラで、声優が誰か分からなくてもマハーシャラ・アリのオマージュだろと分かる感じのキャラなのだ。

一番テイストが似ているのは『ムーンライト』のフアンというキャラで、マハーシャラ・アリはこの役でアカデミー助演男優賞をとっている。マハーシャラ・アリは最近映画にやたらと出ているが、この映画もまたそんなマハーシャラ・アリ映画の1つなのである。

良いキャラクターたち

そんな感じで中の人要素もあり、スパイダーバースは良いキャラが溢れている。そしてそれらはこの作品のみで完結できる良さである。最初に触れた様に、この作品は初心者向けに作られている。この作品の舞台となっている世界はスパイダーマン(ピーター・パーカー)が死んだ世界線であり、言わずもがな映画オリジナルな並行世界なのだ。ちなみに死んだスパイダーマンも、何もかもがパーフェクトなスパイダーマンであり、みんなが知っているスパイダーマンとは微妙に違っている人物である(金髪でイケメンで街の英雄で凄い秘密基地も持っている)

個人的に一番好きなのはマハーシャラ・アリ演じるアーロン叔父さんなのだが、スパイダーマンズだとか、その他のヴィランたちもみんな良いキャラをしていて、ドラマがしっかりしている所がお勧めである。


by cemeteryprime | 2019-04-17 13:34 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】キャプテン・マーベル

気分転換に思い出して感想を書くシリーズ。


結論

傑作。割とアメコミは読んでいたけどもキャプテン・マーベルについては、殆ど何も知らなかった事もあって、予想外の展開がいちいち楽しめたというのもデカかったが、何よりのサプライズは傑作だった点だろう。

後発という事もあるが、似たような女性ヒーロー物なワンダーウーマンよりも、映画としても面白かったし、テーマの掘り下げも深いと感じた。

あらすじ/概要

時代は1990年代。宇宙のどこかでクリー帝国の特殊部隊スターフォースのメンバーとして邪悪な侵略種族であるスクラル人と戦っていた女性のバースは、過去の記憶を失っていた。しかし、とある任務で地球に来た事で、自分が地球人であった事を思い出す。

そんな感じの、主人公が記憶喪失系なストーリー。なので、あらすじの説明もネタバレ抜きではし難いのが難点と言えば難点。

面白さ

画期的だと思ったのは、明確に戦うヒロインでは無く、女性のヒーローであるという点だろう。男性に混じって男性の様に戦える女性というのは、結局の所は、男性の敷いたレールの上での話である。

本作の主人公のキャロル・ダンバースは、最初から男性社会の中で戦って来た女性として描かれている。地球では空軍のパイロットだったし、宇宙においても特殊部隊の隊員である。女だからという偏見と戦ってきた女性であった。

しかしながら、それは実は男性のルールに従っているに過ぎないという事に気付く。それこそが、この映画におけるキャロル・ダンバースの成長なのだ。そして、最終的にキャロル・ダンバースはマーベル史上最強(物理的に)のヒーローに成長する。

DCにおいては、ワンダーウーマンが強いといっても、何だかんだで男性のスーパーマンが最強な訳だが、マーベルにおいては女性であるキャプテン・マーベルがスーパーマン並みに宇宙最強なのである。その辺のカタルシスも含めて最高なのだ。

お気持ちも大事だがユーモアは大事

この映画では、男性たちが主人公に事ある毎に感情を殺せと言って来る。女性は感情的でそれは男性に比べて劣っているポイントであるという理屈である。

この映画では、それは否定される。感情を抑圧させる事は本当に良い事なのだろうか?とは言え、むやみやたらに感情的である事を推奨している訳でも無いのがバランスが取れているなと思う点である。同時にユーモアの大切さも説くのである。

怒り一辺倒では駄目で、ユーモアはいつも大切。これは正しくマーベル映画全体に通底しているイズムである。なので、この映画自体も全体的にはかなりコメディ色が強い。女性の怒りや怨念やメッセージ性に満ちた重い映画になっていないのが、1つのメッセージになっている当たりに特に関心させられた。

あと、今作はキャロルと一緒にニック・フューリーも全編に渡って大活躍しているのだが、吹き替え版の竹中直人のボイスとコメディ要素たっぷりなニック・フューリーがこれ以上ないくらいにシンクロしているのも面白かった。

ドラゴンボール的

覚醒して最強と化したキャプテン・マーベルは、全身からエネルギーを放出し、光り輝く姿になり、ビームを放ち空を自由に飛び回る。さながら、スーパーサイヤ人である。

それだけが理由では無いが、バトル要素に加えてコメディ要素が多い所とか、宇宙人要素が多めな所とかで、全体的にドラゴンボール感がある。DCのマン・オブ・スティールなんかもドラゴンボール的と表現されるが、それはバトルだけの話で、あの映画にはコメディ要素や能天気な雰囲気は欠片も無かったが、今作にはナメック星人似のエイリアンなんかも出て来るという。

気軽に楽しめる上に、メッセージ性も深い。つまりは良い映画という話である。まだ観てない人は是非観に行って欲しい。


by cemeteryprime | 2019-04-16 16:02 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ダンボ追記:ブラザーフッドと家族主義

映画『ダンボ』には個人的にもう1つ興味深い要素があったので、追記として記しておく。それは、どうもブラザーフッドより家族(ファミリー)だろというメッセージを意図的に発しているらしい点である。

それが端的に表現されている部分は、ラストで主人公たちのサーカス団の名称が『メディチ・ブラザー・サーカス団』から『メディチ・ファミリー・サーカス団』に変更になっている点である。それに加えて、VAヴァンデヴァーが団長を買収する時の口説き文句も、俺とブラザーになろうという感じの言葉だったという点もポイントで、明らかにブラザーに否定的なニュアンスを持たせているのだ(結果的にだが)。

『ブラザーフッド』というキーワードは、ここ数年のハリウッド映画の流行だと思っていて、昨年度の映画感想にもちょいちょい重要なテーマとして登場する。ディズニーで言えば、『アベンジャーズ』シリーズなんかは、モロにブラザーフッドイズムの映画である。

しかしながら、ティム・バートンはブラザーフッドを否定的に描いている。今作から垣間見えるブラザーフッドの否定的な側面を挙げると、まず挙げられるのが組織にはブラザーフッドが成立しえないという点だろう。組織にはトップがいるので、結局の所は、ブラザーな関係性というのは成立しないのである(同じ階級同士の個人間では成立するかもしれないが)。

つまり共同体に自動的に成立するのは、家族的な関係性であって、兄弟的なフラットな関係性というのは、少なくとも何かしらの組織においては成立しにくいものなのである。

もう一つのポイントは、子供やそれこそ障害者など、戦力にならない人達の居場所の有無である。例えば、『アベンジャーズ』に特に戦闘力の無い一般人の居場所はあるだろうか?スパイダーマンですら、子供扱いされて予備軍にしかなれなかった訳で、要は並列的なブラザーフッドという在り方においては、能力が及ばない人々に居場所が無いのである。しかしながら、現実にはありとあらゆる共同体において、そうした人々は発生してしまう。ダンボだって結果的にはスターになったが、当初は期待外れの戦力外だったのである。しかしながら、家族にはジャンボがそれでもダンボを愛した様に、即戦力では無い子供の居場所もあるのだ。

その辺を踏まえると、確かにブラザーフッドには限界がある様に思える。役に立たないなら仲間にいれない/あるいは出て行ってくれというのは、VAヴァンデヴァーの論理である。

これは面白い観点で、もしかしたらブラザーフッドのその先という形で、『アベンジャーズ』なんかにおいてもこの先盛り込まれてくるテーマなのかな?と思える。今後に注目しておきたい。


by cemeteryprime | 2019-04-11 02:09 | 作品・感想 | Comments(0)

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