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カテゴリ:作品・感想( 170 )

【映画感想】ゴーストバスターズ(2016)

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ネトフリに追加されてたので、今更観た。

結論

正直、微妙…。

今作は公開前からアンチフェミ勢とリメイクではなく続編を望んでいた原作厨に叩かれまくっていた訳だが、結論から言えば一周してそれが割と的を得た批判になってしまっている点が、なんだかな~と思える。フェミの良い所じゃなくて悪い所が出ているし、原作の良い所を理解してない感じの薄っぺらいリメイク感で溢れていたのだ。

あらすじ

主人公のエリンは超自然現象を信じる物理学者。本物の幽霊と出くわすも、色々あって友達の科学者ともども大学を追われて無職になり、自分たちで幽霊退治の会社を起業する事になる。

…みたいな感じで、主人公たちが中年親父から中年おばさんになっているものの、大雑把には旧作のストーリーと同じ。作風の違いはおいといて、大きく違うのは人間の悪役がいる点だろうか。

主人公たちの暗黒面みたいなキモいオタク(男性)が、科学の力を使ってニューヨークに霊的なテロを仕掛けようとする。世間はそんな男の存在どころか、ゴーストも信じてくれない。どうするゴーストバスターズ!みたいな話。

面白く無さ

まず違和感を覚えるのが、全体的にファッショナブルというか、色彩もノリも明るくてポップになっている点だろう。旧作にも明るくポップな要素はあったが、同時にギークでクリーピーな要素もあったので、ある種の厚みが出ていたのだが、今作は後者が消えてしまっているので、単に軽薄でペラペラな印象が強い。

また旧作は、確かに主人公は中年オッサンなのだが、ストーリー的には子供心に溢れた、良くも悪くも男の子の世界である点が良かったのだ。しかし、今作は主人公を中年女性にしたからなのか、中年女性(もしくはイケてない女性)向けの世界になってしまっている。そりゃ、そういう女性層には刺さるだろうけど、対象が狭すぎないかそれ?という。しかも、ゴーストバスターズでやる意味ある?みたいな。

確かにこれでは、観た上でもバッシングを受けるのも致し方なしという気はする。クリへムを頭は空っぽで身体だけ良い金髪マッチョマンとして描くみたいなギャグも、頭が空っぽの金髪巨乳のセクシー美女に秘書をやらせて馬鹿さ加減をギャグにするのと本質的には大差ない訳で、フェミ的には皮肉が効いたギャクなのかもしれないが、差別を受けた側は差別をやり返しても良いのだ的な発想のギャグなので、やっぱりどこか狭いというか内向きな感じが否めない。

ガジェットも色々新しいのが出て来たけど、扱いにギーク的なフェティシズムが感じられなくて、悉く勿体ないなという感じ。

面白さ

1番興味深いなと思ったのは、ストーリーの構造的な変化である。ゴーストバスターズは、基本的に駄目なオタクが世界を救ってヒーローになるみたいな話だった。故に、主人公たちはモンスターの専門家で、モンスターを退治することでヒーローになる訳だ。

でも、今回の新ゴーストバスターズが戦うのは、厳密にはモンスターというより、自分たちのダークサイド的な人間である。一見これは良いオタクvs悪いオタクの構造になっている。

良いオタクvs悪いオタクの構造は、パシフィックリム:アップライジングでも見られた。でもあれは、良いオタクvs悪いオタクの部分はストーリーのメインでは無かった。あくまでメインは人間vsモンスターの部分で、脇役的にモンスターの専門家(オタク)同士の善と悪の対立があった形になっている。だからこそ、筋の通ったストーリーとして成立している訳だが、新ゴーストバスターズはどうか。

結論から言えばそういう構造にはなっていない。悪いオタクがモンスターも兼ねるという構造になっている。要は、良いオタクが悪いオタクを倒してヒーローになるという構造になっている。限りなく狭いのだ。

さらに付け加えるなら、主人公たちは良いオタクですらない。単なるイケてない中年女性たちなのだ。一方で、悪いオタクの方はきっちり悪いオタクとして描かれている。彼は科学の力でゴーストを解放し、ゲートを解放し、自らも人間を辞めて怪獣になろうとする。これは間違いなく悪いオタクだ。

一方の主人公は、成り行きでゴーストバスターズをやる羽目になる感じで、そもそもゴースト研究自体が過去の汚点だった様に描かれている。ゴースト趣味は、決別しなければ、職を得られないみたいな描き方である。その後の、ゴーストバスターズとしての活動が、基本的には白い目で見られ続ける描写も踏まえると、彼女たちにとってのゴーストバスターズ活動は単に自分らしさを隠さない程度の意味合いなのだと理解出来る。

それを踏まえると、新ゴーストバスターズは結局の所は、単にフェミがキモいオタクをボコって居場所を見つけて満足する物語になる。マイノリティが別のマイノリティを叩くだけの構図だ。それ故に、彼女たちは別に社会のヒーローにもならない訳なのだが、そんな話が面白いか?確かにシニカルで現実をそのまま反映したかのような物語ではあるが、そんなもんTwitterでしょっちゅう見かける構図だから、わざわざ映画で見せて貰わなくても…とは思う。

パシリム2の場合は本当に善のオタクvs悪のオタクだったからこそ、お互いに通じ合う部分もあるし、かつては友だったのにみたいなドラマ的な面白さも伴う訳だが、フェミがキモオタクを叩く話にドラマも糞も無いんだよ。


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by cemeteryprime | 2018-05-26 11:00 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ランペイジ

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結論

面白かった!

怪獣映画としても面白かったし、規格外の英雄と怪物がバトルする神話に出て来る様な物語でもあった。

あらすじ/概要

悪徳企業が宇宙ステーションでこっそり開発していた軍事用の怪獣作成ウイルスが事故により、地球に流出。ウイルスに感染した動物が怪獣に変貌して大暴れする。

…という感じで、あらすじは死ぬ程シンプル。主人公(ドウェイン・ジョンソン)は元傭兵でかつて密猟者の取り締まりを行う特殊部隊にいた男。その時に保護した白いゴリラの赤ちゃんジョージとの交流が切っ掛けで、今はアメリカで霊長類学者になっている。そんなジョージがウイルスに感染して怪獣化してしまい、主人公はジョージを助ける為に立ち上がるのである。

面白さ

この映画の面白さは、何といっても主演のドウェイン・ジョンソンの使い方だろう。ドウェイン・ジョンソンというハリウッド映画が時間をかけて生みだした、人というよりは怪獣に近いキャラクターの存在が、ついに怪獣の世界と人間の世界という通常は重なるはずの無い2つのレイヤーを完璧にクロスさせる事に成功したのだ。これは怪獣映画において1つの発明とも言える。

エイリアンみたいなサイズが人に近いモンスター映画ならともかく、街を破壊する様な巨大な怪獣は通常は、災害だとかのメタファーみたいなものなので、人類や軍隊の総力戦みたいな形式でなんとか立ち向かえる相手である。それ故に気まぐれな神の様にも描かれる。基本的に人が個人でどうこう出来る相手では無いし、怪獣同士の戦いは基本的には見守るしかないのである。が、ドウェイン・ジョンソンならそれが出来てしまうのである。

この映画は、3匹の魅力的な怪獣が出て来る映画なのだが、それ以上に実はドウェイン・ジョンソンが小型の怪獣である点がポイントになっている(これは、もちろん比喩表現であり、作中で人外な訳では無い)

映画を見れば分かるが、この作品は主人公がドウェイン・ジョンソンでなければ成立しない展開が山ほど出て来る。別の人間がやっていれば、途中で100回くらいは死んでいて然るべきなのだが、ドウェイン・ジョンソンならまぁ大丈夫かも…と思わせてくれる部分に最大のマジックがあり、それ故に面白い作品になっている。

ドウェイン・ジョンソン以外では成立しない荒唐無稽なストーリー展開、怪獣と人間(個人)のガチバトルが観たいなら、ランペイジを観るしかない!

現代のヘラクレス

人ではあるが、人を超えたイデアが宿った存在…要はある種の半神半人であり、彼らは物語の中で巨大怪獣と戦っていても何の違和感も発生しない。つまり、ヘラクレス的な存在である。

ハリウッドの映画界で、巨大な怪獣とタイマンで戦える説得力を持ったヘラクレス的なキャラクターを宿した俳優が何人存在するだろうか?個人的にはアーノルド・シュワルツェネッガーこそ、映画においてヘラクレス的なキャラクターを蘇らせた第一人者では無いかと思える。

そして、ドウェイン・ジョンソンはシュワルツェネッガーが切り開いた現代のヘラクレス路線を、正しく継承する俳優であり、現代のヘラクレス2.0というべき存在なのだ。なぜ2.0なのかと言えば、ドウェイン・ジョンソンの場合は単に神話級の筋肉超人というだけではなく、頭も良いという要素がプラスされているからだ。シュワルツェネッガーの場合は、こういうと失礼だが、あまり頭が良いみたいなキャラ要素は無かった。

ドウェイン・ジョンソンはランペイジにおいても、戦士であると同時に学者でもあるというキャラになっている。ジュマンジ:ウェルカム・トゥ・ジャングルでもマッチョな学者であった。もちろん、単なる脳筋の役もやっているが、顔の作りが若干神経質そうなというか真面目そうな雰囲気があるからなのか、単なる脳筋の役はいまいち似合わない。

戦士の肉体と学者の頭脳を兼ね備えたキャラクターの元祖としては、ドック・サヴェッジという存在がいる。193040年代のパルプ小説の主人公でスーパーマンの原型にもなったキャラである。

ちなみにドウェイン・ジョンソンはドック・サヴェッジの映画化企画で主演をするという話が出ている。また、ドウェイン・ジョンソンは過去にヘラクレス役もやっている。その映画におけるヘラクレスは、イデアとして“ヘラクレス“という伝説を上手く利用して立ち回るクレバーな傭兵として描かれていた。

ドウェイン・ジョンソンは名実ともに現代のヘラクレス2.0なのである。

ブラザーフッドの精神

また、あまり誰も注目していない要素ではあるが、ランペイジも最近のハリウッド映画の主流であるブラザーフッド精神の重要性を説く作品になっている。

実はランペイジは、理念の高さ故にアウトサイダー化していた孤独な奴らが手を組んで、既存社会が生み出した問題を、既存社会が想像しなかった方法で解決するという話になっている。なので、ついドウェイン・ジョンソンと巨大ゴリラに視点が集中しがちだが、それ以外の仲間にも注目して欲しい。

ジェフリー・ディーン・モーガン

特に注目して欲しいのがジェフリー・ディーン・モーガンだ。ドウェイン・ジョンソンは、良くも悪くも国籍不明感というか、多国籍感があるキャラクターなので、アメリカ人代表としてドウェイン・ジョンソンに協力するキャラが必要になり、それをモーガンが演じている。

この役はジェフリー・ディーン・モーガンじゃないと出来なかったはずだ。何故なら、ドウェイン・ジョンソンの横に並べても、フェロモン的な魅力で引けを取らない俳優(濃い漢という意味で)は、彼くらいしかいないと思うからだ。

ジェフリー・ディーン・モーガンは、危険でセクシーな中年オヤジみたいな役をやっているイメージがあるが、個人的に好きなのは『ウォッチメン』におけるコメディアン役であり、バットマンvsスーパーマンにおける、ブルース・ウェインの親父役(トーマス・ウェイン)も記憶に新しい。

ミスター・ノーバディ

また、彼が今作で演じるハーベイ・ラッセルのキャラも素晴らしい。政府の人間であり、非合法的な活動を指揮する立場にありながら、一匹オオカミ的で情に篤いカウボーイというキャラクターである。思うにハーベイ・ラッセルこそ、ワイルドスピードシリーズに登場したミスター・ノーバディ(演:カート・ラッセル)が本当に表現したかったイデアを体現するキャラなのではと思える。

確かにカート・ラッセルは昔なら上手く表現できていただろうが、歳を取り過ぎて表現(というかフェロモン)が弱くなってしまっている。『ワイルドスピード・アイスブレイク』では代替わり要員として、まだちょっとその域には達していないスコット・イーストウッドがリトル・ノーバディ役として登場していたが、ジェフリー・ディーン・モーガンであれば、ドンピシャでミスター・ノーバディを演じることが出来たんだろうなとこの映画を見ると思える。

怪獣と戦えそうで戦えない俳優

ドウェイン・ジョンソンこそ怪獣とガチンコバトルできる俳優であるという話をしたが、戦えそうで戦えない俳優はいた。サミュエル・L・ジャクソンである。彼も怪獣的な存在感を持つキャラクターであり、それ故に『キングコング/髑髏島の巨神』において、キングコングと対決させられた。まぁ、怪獣を倒せるレベルの怪獣パワーは無かったので倒されちゃう訳だが。サミュエル・L・ジャクソンは、アベンジャーズシリーズやトリプルXなんかでも、怪獣一歩手前な存在感を活かしたキャラを演じているが、どちらの作品でもキャラが強すぎるが故に若干使いあぐねている感は否めない。かといって、怪獣とガチンコバトルをするほどでも無い。使いどころが難しい俳優である。

ゴリラ映画としてのランペイジ

どうでもいいけど、ランペイジはゴリラ映画としても秀逸である。これに関しては観れば分かるとしか言えないが、ゴリラだから出来る表現みたいな要素を大いに活用しているのが楽しい映画でもある。これは、地味にキングコングでもやっていなかった点では無かろうか。

ゴリラだから人がやったらアウトな事を堂々と出来るし、怪獣だからやっても許されることをやれちゃうのである。そういう意味でも巨大白ゴリラのジョージはなかなか美味しいキャラだと思う。キングコングと違って、最新シリーズの猿の惑星に出て来た猿みたいに手話が出来るのだ。なので、色々と美味しいとこどりが出来て偉い!


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by cemeteryprime | 2018-05-25 10:24 | 作品・感想 | Comments(0)

【ドラマ感想】13の理由

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結論

傑作。

元は若者の自殺のリアリティを描き、そこにある社会問題について警鐘を鳴らす為に書かれた作品なのだが、あまりにも人や社会の描写が真に迫っている為に、若者だけではなく普遍的に刺さる内容になっているし、ホラーを超えたホラーになっている。

あらすじ/概要

舞台はアメリカのどこかの高校。クラスメイトの謎の自殺から数日後に、クラスメイトの遺言が吹き込まれたテープが玄関先に届けられる。

テープには、彼女が死んだ理由を説明するテープを最後まで聴く事、聴いたら巻き戻して次の人に届ける事という遺言が残っていた。テープが届けられるのは、彼女の自殺の動機に関係している人物だけだという。

しかも、然るべき全員にテープが回らなかったら、彼女の意志を守る為に協力している何者かが、コピーのテープを公開するという。

主人公は、彼女に想いを寄せていた、無害な事くらいしか取り柄の無い、冴えない男子高校生である。自分がどう彼女の自殺に関係していたのだろうか。主人公は、恐る恐るテープを聴き進めていくのだが…。

面白さ

最も面白く、そして恐ろしいと思ったポイントを紹介すると、ストーリーは中盤までホラーに観えるという点だ。個人的には、S・キングのニードフル・シングスという作品を思い出した。街にやって来たどこにもない魅力的な商品を売る質屋のリーランド・ゴーントが、町の住民たちの醜い欲望を顕在化させ、住民たち自らの手で町を破滅に追い込ませるというホラーである。

死んだクラスメイトのハンナも、町にやって来た転校生なのだ。テープを聴いていた主人公は、まるで死んだ彼女に憑りつかれて様になり、徐々に狂気に囚われて行く。それと同時に、ハンナの遺言テープに登場する他のクラスメイトたちも、何だか彼女の被害者の様に思えて来るのだ。もしかしたら、ハンナは町を滅ぼす為にやって来た悪魔なのでは?そんな気がしてくるのである。もちろん、この作品には超自然的な要素など一切登場しないのだが、描かれる物語はホラーにしか見えないのである。

しかし、物語は終盤に逆転する。ハンナがモンスターに見えたのは、結局の所は主人公も含め、自分たちの弱さや醜さから目を背けた結果だったのである。これに気付いた時、如何に簡単に被害者が加害者の様に扱われるのか、モンスターの様に映ってしまうのかという点を、疑似体験してしまい、心底ゾッ…としてしまった。ドラマを観ているだけなので、そんな事はしなかったが、自分が当事者だったら、自殺したハンナに石を投げたり、陰謀論の様な中傷をしていたのではなかろうか。

弱者性と向き合うということ

結局、作品で描かれるのは、弱者であるが故に、自分の事で精いっぱいで、助けを求める人に手を差し伸べないし、目の前の問題を止めようとしないというリアルだ。ハンナの死には原因らしき原因は無い。みんなの弱さが招いた結果だったのだ。

特にこの作品が素晴らしいと思うのは、そんな弱さを糾弾する様な真似はしていない点である。弱いからこそ、彼らは上手に助けすら求められないという部分のリアリティを見せる作品なのだ。ちゃんと周囲に助けを求めたの?とか、嫌だという意志表明をしたのか?みたいな、形で被害者を責めるという事が、どれほど残酷なことなのか、この作品を観て理解しないなら、人に非ずというくらいに、懇切丁寧かつ切実に描かれている。

こうした問題を抱えている若者にこそ届いて欲しい作品だと思うが、まずは大人が観るべき作品だと思う。特に子供がいる親は観た方が良いだろう。

プレデターの存在

この作品には、悪人らしい悪人は登場しないが、1人だけ登場する。その人物は、言ってみれば『冷たい熱帯魚』に出て来たでんでんの日常版という感じだ。弱い人間は強い人間の餌食になるのが、自然の摂理だと思っていて、大した悪意すら持たずに残酷に弱者を捕食する人種である。彼らは表面化しにくいタイプの悪人である。

恐ろしい事に、この作品でもこうしたプレデターは、一見、悪そうな人には見えないとうリアリティが描かれている。粗雑な所はあるが、よくよく観察してみたら、むしろ不器用だけど、気の良いヤツなのでは?とすら思える。何しろ、本人には大した悪意が無いし、気前が良かったりするからだ。しかし、気前が良く鈍感な強者ほど、恐ろしいものは無いという事実が、この作品を観れば理解できる。

また世の中には弱者であるが故に、望まずそうしたプレデターと二人っきりになってしまう瞬間というものはあるというリアリティも描かれていて恐ろしい。

Twitterなんかを見ていると、セクハラ被害を受けた記者に対して二人っきりで男と遭っている方が悪いというバッシングなんかも見かけるが、果たしてこのドラマを観ても同じ事が言えるだろうか。そんな感じで、色々と考えさせられる所や学びのある作品だと思う。出来るだけ早期に観て損は無いタイプの作品だ。あと、製作ドキュメンタリー番組もあるので、そっちも是非みるべし。


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by cemeteryprime | 2018-04-25 15:23 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】レディ・プレイヤー1

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結論

映像的には面白いが、ストーリーは微妙。

端的に表現するなら、スピルバーグ版のソード・アート・オンラインという感じ。ただし、古いオタク文化の入り口としてのソード・アート・オンラインである。

あらすじ/概要

舞台は2045年。現実社会は完全に荒廃し、人々は一人のスーパーオタク技術者ジェームズ・ハリデーが作ったバーチャルゲーム世界オアシスに入り浸っていた。

ハリデーは死ぬ間際に、オアシスのどこかに隠したイースターエッグを見つけたものに、オアシスを含めた彼の遺産の全てを継承させると宣言(ワンピースのゴールド・ロジャーみたいだ)。かくして、それまで以上に人々は人生をかけてオアシスに潜ってイースターエッグを探すようになり、大海賊時代ならぬ大オアシス時代が到来したのであった。

そして主人公は家に居場所が無いゲームオタクの少年。彼は金目当てでは無く、純粋なゲームオタクとして、組織には属さずにハリデーが残したイースターエッグ探しというゲームに夢中になっていた。そんな彼がある日、ゲーム内で同じく組織には属さないタイプの謎めいた少女キャラと出会って…。

面白さ

舞台となるオアシスは、80年代に青春時代を送ったオタクという設定のハリデーが作ったバーチャル世界という設定なので、色んな映画や特撮やアニメやゲームのオタク文化が登場する。

日本のオタク文化からの登場キャラクターも多く、クライマックスで展開されるガンダムとメカゴジラの戦いなんかは、スピルバーグが映像化してくれたという点も含めて旧世代オタクにとっては失禁級のサービスシーンだろう。

ただ、最初の述べた様にストーリー的には、ほぼほぼソード・アート・オンラインという感じ。ゲームオタクが、ゲームを通じて世界の王になり、可愛い彼女もゲット!みたいな割と糞みたいな…というと語弊があるが、少年の心を持ったオタクの現実逃避に最適化された感じのユートピア物語であるのは間違いない。対象年齢は高校生くらいじゃなかろうか。

スピルバーグと旧世代オタク

この作品は、少年時代にオタク文化に救われたスピルバーグの、オタク文化へのある種の恩返しかもしれない。映画を観ればスピルバーグがハリデーに自分を投影しているのは間違い無いし、古のオタク文化を新しい世代のオタクに届けたいという思いを感じずにはいられない。

根底にあるのはオタクの世界においても分断が発生している現状に対する危機感の様なモノだろう。中高年オタクはこの映画を無邪気に喜んでいるが、果たして、メカゴジラやデロリアンや金田のバイクで喜ぶ若者はどれだけいるのだろうか。ストーリーは今時の若者に受けそうなSAOみたいな感じにして、この作品を入り口に、古いオタク文化に興味を持って欲しいという意図を感じる。

それを踏まえると、この作品に描かれている、最大のフィクションは、1つに統合されたオタク世界としてのオアシスの在り方では無かろうか。統合されたオタク世界というものは、実際の所は、非オタク的な人々の脳内にしかない幻想でしかない様な気もする。最近のオタクは、予備知識ゼロで楽しめるものを求めるし、予習が必要なタイプの作品は敬遠されやすい。オアシスの中で発生した様な、みんなが1つのオタク世界を共有し、夢中になって古い作品についての知識を求める世界なんて現実には存在しないのだ。今作は、そんな現実に対するスピルバーグからの切ないカウンターだとも言えるだろう。

脳内当てゲーム

もう1つ興味深いなと思ったのが、この映画におけるメインゲームの内容が、事実上のハリデーの脳内当てゲームになっていたという点である。

ストーリー構造的には、ゲーム世界の神(ハリデー)=主人公=原作者の自己投影みたいな感じなので、下らねーなとしか思わないし、主人公がハリデーの脳内を当てることで無双出来るという部分のオナニー感が酷すぎない?とも思うのだが、それはひとまず置いておこう。

何で興味深いと思うのかというと、日本のクトゥルフ神話TRPGという遊びにおいて発生しているガラパゴス的な特徴との類似性が高いからだ。

端的に言えば、プレイヤーが共通の世界観もクソも無く、各自の世界観をキャラクターとして持ち込み、みんなでゲームマスターの脳内当てゲームをして遊ぶという要素である。

はっきり言って、この脳内当てゲームという要素はそれが意図せず蔓延しがちな日本のTRPGシーンにおいても、批判的に語られる事の方が多い。実際の所は、パズルだったりクイズだったりの謎解きゲームなのだが、ディスコミュニケーション要素とゲームデザインの下手糞さから、実質的に作者の脳内当てゲームになっていると揶揄されている代物だからだ。

ハリデーの様に莫大な遺産が手に入るなら、作者の脳内当てゲームでもやる気は出るが、TRPGの場合は単なるハズレ感しかないので、批判されるのも仕方が無いだろう。それは兎も角、この共通点から視えて来るのは、自己表現や理解してもらいたいという欲望では無いのかと思える。

賞金は無くても、ゲームという形で、作者の脳内を当ててもらうという事は、ある意味で、忖度してもらえるチャンスでもある。自分できちんと説明することなく、相手に興味を持って貰い、意図を汲み取って貰うチャンスなのである。ディスコミュニケーションへの欲望(自分で説明はしなくても相手に汲み取って貰える)を満たす事が出来るのである。

また、プレイヤーが共通の世界観を無視して、思い思いのキャラクターを持ち込み、それになり切るという行為も、自己表現という文脈で理解できる。オンライン上で行われるTRPGのセッション動画なんかを見ていると、好きな漫画やアニメのキャラクターを持ち込んで、なり切っているプレイヤーは少ないない。図らずもこの作品のゲーム内で行われている光景が広がっているのである。なんなら、ガンダムやスーパーロボットを持ち込んでいる光景も見た事はある(メカゴジラは見た事ないが)

そういう意味では、なかなか現代の空気感を上手く切り取っている作品である気もする。ただ、個人的には、ライダー大戦みたいな取りあえずキャラクターがカタログ的にいっぱいでて来るだけで、ストーリーがいまいち面白く無いタイプの作品は嫌いなので、微妙だなと思った。話はジュマンジ:ウェルカム・トゥ・ジャングルの方が圧倒的に面白いよ。


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by cemeteryprime | 2018-04-22 15:40 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】アナイアレイション/絶滅領域

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結論

正直、いまいち。

映像表現的な面白さに特化し過ぎているというか、雰囲気重視な作品。メッセージ性やドラマやアクションで魅せるタイプの作品ではないので、個人的にあまり趣味じゃない。

あらすじ/概要

任務から帰って来た彼氏(軍人)の様子がおかしく、突然、血を吐いて倒れてしまう。そして、救急車で運ばれる彼氏に付き添っていると、怪しげな集団に捕まり、政府の謎の研究施設へと送られる。

どうも彼氏は、シマーと呼ばれる地球上に突如出現した謎の領域へ探査に向かった後に、失踪していたらしかった。シマーで何があったのか?いまいち事情も分からぬままに、主人公は集められた数名のメンバーと共にシマーへの探査チームに参加することになる。

面白さ

この作品を理解する為のポイントは、シマーが何を表現しているかという部分にある。

結論から言えば、シマーとはモノ(概念、ミーム、情報)の世界である。それ故に、シマーの内部では、時間の感覚も無く、不死性が存在し、色んなものが混ざったり、シャッフルされたりする。突然、肉体の一部が別のものに置き換わるのも、モノの世界だからだ。

これが理解できると、この作品は、単に人の世界がモノの世界に侵食され、最終的には人がモノに完全に代替されてしまうという状況を、隠喩的に描いている作品であると分かる。それ故に、それが理解できてしまうと、大したドラマもアクションも無いので、作品の面白さが映像的な比喩表現や批評性にしか残らない気もする。そうした表現部分を純粋に楽しめる人にとっては、特に問題無い気もするが。

シマーがミームの世界だという点は、例えば主人公が遺伝子学者である点からも理解できる。生物の遺伝子であるジーンと、モノの遺伝子であるミームは対極的な存在であり、生き物であるからこそな有限性とモノだからこその不死性という対比も何度も出て来る。

また、主人公の浮気については、ある種の人の代替性を示唆する表現だと理解出来る。人の抜けた穴や寂しさは、別の人で埋めることが出来るし、最終的には別のモノでも埋める事が出来るのである。

主人公以外のシマー探索に選ばれ人たちにも、モノの世界やモノへの代替に惹かれる傾向が、特徴として描かれている。自傷癖なんかの自己破壊衝動は、パシフィックリム・アップライジングでモノに憑りつかれたニュートの特徴として描かれていたが、自分を別のモノに変化させたいという衝動だと理解できる。不治の病を抱えている人も、言うまでも無い。

現実世界において、技術の進歩で、人の色んな能力や属性は切り取られ、代替できるようになっている。更に最近では指紋や顔や声が、機械的な個人の認証方法として使用可能になったのと平行して、簡単にそうしたものを機械的に偽造したり盗んだりできるという問題も出現している。こうした状況は、シマー内でも再現されている。

ラヴクラフト要素について

実はこの作品は、ラヴクラフト作品…『狂気の山脈にて』に影響を受けているらしい。

実はこの世は地獄の様な場所だったを、マジックリアリズム的に表現するという意味では、確かに似たような所はあるかもだが、微妙にニュアンスが違うなという気もしている。というのも、ラヴクラフトの世界観においては、世界は人が知らなかっただけで、太古の昔から本質的に恐ろしい場所なのであって、それはシマーの様なある日宇宙から飛来した要素では無いからだ。

同じくラヴクラフトの影響を受けた作品としては、エイリアンシリーズの方がそうしたニュアンスを上手く掴んでいる。エイリアンや続編のプロメテウスにおいては、生き物の気持ち悪さや、人間はそもそも得体の知れない存在から生まれたという要素がきちんと描かれている。ラヴクラフトの『狂気の山脈にて』も、実は恐ろしい邪悪な先住種族の、醜悪な奴隷種族が、人間を含めた地球上の生命の起源かもしれないという事が示されるのがヤバいのであって、別にヤバいエイリアン的な種族とのコンタクト自体が恐ろしいのではないのである。

今作は言ってみれば、ショゴスや古のものについて何の説明も予想も提示されない『狂気の山脈にて』という感じである。特に何の情報提示もされないまま終わるクトルゥフ神話TRPGのセッションにも似ている。

もし、本当にそうした作品をリスペクトする気があるなら、シマーは外から来たのではなく、もとから地球にあった要素として描くべきだし、人類とモノの関係性を踏まえると、人類の起源にもシマーは関係していたみたいな描き方をすべきでは無かったのだろうかと思う。それこそ、2001年宇宙の旅における、モノリスみたいな感じで。

過去作との関係性

ちなみに監督はこの作品が何についての話なのかは明確なので、これ以上分かり易くする必要は無いと、言っているらしい。まぁ、確かに分かり易いとは思う。

この監督の他の作品は見た事ないのだが、人がモノに代替されるというテーマだったり、人とモノの対決がテーマだったりするらしいので、そうした作品の延長線上にこの作品が登場するのは、自然な流れだとは思う。

個人的には、同じテーマを扱いながら(ジャンルは違うが)、遥かに面白いパシフィックリム・アップライジングの方をお勧めしたい。


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by cemeteryprime | 2018-04-19 10:51 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】パシフィック・リム:アップライジング

デルトロ監督のパシフィック・リムの続編。

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結論

かなりの傑作!

今作の監督は、海外ドラマ『スパルタカス』や『デアデビル』の製作総指揮で知られている、スティーヴン・S・デナイト。代表作から分かる様に、キャラクターの描き方が上手く、超面白いドラマやアクションやお約束が描ける監督なので、その辺りの品質は折り紙付き。

ただ、パシリム1作目が神作品だと思っている人ほど、違和感は大きいかもしれない。というのも、1作目がオタクのユートピア世界を描いた作品だったのに対して、今作はパシフィック・リムを使って現実社会をマジックリアリズム的に描いた作品だからだ。

あらすじ/概要

舞台は前作から10年後の世界。前作で怪獣たちがやって来る次元の裂け目への攻撃は成功して閉じたものの、世界は再び怪獣の侵略に怯えていた。

そして巨大ロボット、イェーガーによる防衛体制を再構築する為に若いパイロットを育成する一方で、遠隔操作や、無人操縦システムへの移行も進められていた。

そして無人操縦システムへの移行を審議する会議の最中に、謎のイェーガーによる襲撃事件が発生する。

面白さ

先にも少し述べたが、今作の面白さは何と行っても、ロボットや怪獣が大暴れする日本のオタク的なユートピアを描くという方向性から、一転して、オタク的なユートピアを記号的に使って現代社会を描くという真逆の方向へ転換してみせた点だろう。

ロボットや怪獣が戦うオタク的な世界観の魅力は、前作にて出し切った。じゃあ、続編がやるべきことは何だろう?となった際に、1作目をゲートにして、現代社会を理解する為のきっかけになる意味のある作品を制作しようという選択をしたのは、素晴らしい判断だろう。そしてなにより何より、最近のデルトロの作家性をきちんと踏まえているという点も評価したい。

というのも、デルトロは、シェイプ・オブ・ウォーター絡みの発言において、入り口は何でも良いから(デルトロの場合はオタク趣味だったが)、物事に深く興味を持てば、色んな勉強をする事になり、それが世界や他者に対する理解へと繋がるというメッセージを語っていたからだ。真剣に見つめれば、作品の向こうには、常に他者や異文化があり、自分も含めた人間本質があるという話である。

故に、1作目で魅力的な世界観を作り、それを使って、2作目で現代社会を風刺するという方法論は、理に適っているなと思うのである。勿論、単に風刺性が良いだけではなくて、正直キャラやドラマの描き方は1作目よりも良いと思うし、オタク趣味要素についても一作目でまだやっていなかった事を幾つもやって見せてくれる。

ハリウッド版オタク映画としての続編を期待していた人には残念な部分も多いだろうが、日本のオタク作品の良い所を駆使しつつも、ハリウッド映画の良い所と上手く合体させて来たなという意味では、文句なしに傑作だと思う。

富士山

今作のラストは、怪獣から富士山を守れ!という展開になるのだが、個人的にはこれはもう、オタク的なクールジャパン文化は俺たちが継承するし守ってやるぜ!というハリウッド映画からの恐ろしくも頼もしいメッセージに思えた。

前作のパシフィック・リムが公開された時にも、日本のクリエイターたちは、ついに怪獣やスーパーロボット作品でアメリカに遅れをとる時代が来たかと戦慄を受けていたが、更なる追撃をかまして来た恰好である。でもデルトロだけではなく、今では日本の怪獣やロボットアニメが大好きというオタク趣味なんて、日本でも珍しく無いが、世界でも珍しくないのである。つまりは、単なるオタク文化先住民としてのアイデンティティにしがみ付いているだけでは、技術もリテラシーも高い奴らには、リスペクトされているが故に、あっさり追い抜かれるのだ。

日本のクリエイターは、更に狭い世界に逃げ込むか、歴史を知り、ライバルを知り、パワーアップを目指すのかの選択を迫られている。はず。

新しい主人公

ちなみに今作の主人公は2名のアウトサイダーだ。1人は、1作目に出て来たペントコスト司令官の息子のジェイクで、五月蠅い親父に嫌気がさして軍を離れ、金の為に工場からイェーガーの部品を盗んでは売りさばくという生活をしている。もう1人はアマーラという孤児の少女で、いつかまた襲来する怪獣から身を守る為には、軍にばかり頼っていられないと、盗んだイェーガーの部品から、個人用のミニ・イェーガーを作っている。

二人とも泥棒な点は意味深だと思っている。弱い事を自覚しているが故に、足りないものをパクっていくタイプの弱者だからだ。本当の意味での新しい世代というのは、常に社会のアウトサイダーとして登場し、既存の何かを軽視し遠慮なくパクるやつらなのだ。こうした無頼な新世代が引き起こす問題というのは、日本だと過去には割れ厨が、現代には漫画村なんかが問題になっているが、旧世代によっての新世代とは常にそういう奴らなのである。そういう意味では、新しい主人公のキャラデザとしてなかなか面白い。特にジェイクは、英雄の血を引きながらも、今ではアウトサイダーであり泥棒なのである。

まぁ、日本の社会とは異なり、パシフィック・リムの社会は賢いので、二人は排斥されるのではなく、新世代を担うメンバーとして軍に強制加入させられるのだが…。

人とモノの神話とオタク

全体的な作品の構造としては、この作品は人とモノ(物神)の戦いを表現している。人はモノを作り、モノで遊び、自分たちが作ったモノに支配される生き物である。人を支配してきた存在である、神も国家権力も資本主義経済もインターネットも、全ては人が作ったモノなのだ。

怪獣や巨大ロボットというものは、人が作り出した巨大なモノ(物神)のメタファーでもある。怪獣は悪いモノ、巨大ロボットは善いモノくらいのニュアンスの違いでしかないが、モノの善し悪しは結局は人間次第なので、直ぐに裏切られる事になる。

そして、こうした人とモノが戦う神話的な世界観において、オタクは熱心な物神(モノ)崇拝者として重要な意味を持つのである。つまり、良くも悪くも人とモノを繋ぐのは、オタクなのだ。

人とモノの戦いを描くからこそ、物神崇拝者としてのオタクにスポットがあたるというこの構造は、オタク神話の在り方としてなかなか面白い。怪獣と戦うには、怪獣オタクの力がいる。しかし、怪獣オタクだからこそ、怪獣を好きにもなってしまうのである。

前作では、オタクの世界をユートピア的に描かれていたので、二人の怪獣博士は単に怪獣との戦いにおけるキーマンとして描かれたが、今作ではオタクのダークサイドも描かれる。それはオタクだからこそ、人よりも怪獣を愛し、危険なものを作ってしまうという部分である。

ニュートとゴットリーブ(深刻なネタバレ含む)

デルトロのシェイプ・オブ・ウォーターは、かなり厳し目にオタクの暗黒面を描いていたというか、オタクへの自己批評性が含まれていたが、今作ではオタクに全面的にスポットが当たるという構造上から、オタクの良い所と悪い所を二人のキャラに分けるという描き方をしている。

とは言え、劇中でニュートとハーマンのオタク博士コンビのキャラは前作を踏襲しているし、今まで通り仲良しである。しかし、二人は前作で怪獣とより深く繋がった結果、ニュートは更なる怪獣狂信者となり、ハーマンは怪獣に対する危険認識をより深めたという違いが出てた。危険だからこそ惹かれるよく知りたい、危険だからこそ対策を考えるという、潜在的な違いが決定的になったのだ。

この二人の違いは他人に対する態度にも出ている。ハーマンは明らかに人見知りでコミュ障害ではあるが、前作でニュートに対して心を開く様になった事で、人に対する愛情表現の様なものをきちんと出す様になった。一方で、ニュートの方は、今まで通り人当たりは良いが実は完璧に人に対して興味を持っていない。

違いはキャラクターの表面的なデザインにも現れていて、ハーマンの方は全身に怪獣の刺青をしていたり、自分を実験台にした危険なドリフトを行ったりと、明らかに自己破壊的な傾向が見られる。ハーマンの方は身体に障害があり虚弱系なキャラだからか、そうした破壊に惹かれる傾向は特にみられない。

ハーマンとニュートはおなじ知能の高い怪獣オタクだが、恐らくハーマンは身体的な問題や天才性から来るマイノリティ要素と弱者性によって、怪獣に惹かれたと思われる。一方ニュートは、公式に精神年齢が12歳というキャラ設定になっていて、そこに根源的な理由が見え隠れする。子供だからこそ、圧倒的なパワーに惹かれるし、弱い自分が嫌いなので、自己破壊衝動を持つのだ。そして、破壊衝動は世界にも向けられる。何故なら、人はルールやシステムを破壊すると何だか自分が成長した気になるからだ。だからニュートは作中で、システムを乗っ取っていた事を嬉しそうに暴露するのである。

思いついた事を適当に書きなぐったが、そんな所だ。最高の映画だぞ!


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by cemeteryprime | 2018-04-15 21:19 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル

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結論

なかなか面白かった!

メッセージ性もしっかりあるけど、基本的に高校生くらいを対象にしている作品なので、軽い下ネタなんかも多めで気楽に観れる感じ。

あらすじ

散々言われているが、基本はブレックファスト・クラブみたいな感じだ。ゲームオタク、ジョックス、ガリ勉女子、自分にしか興味ない自撮り女という、本来交わらないタイプの高校生たちが、居残りをくらって倉庫の片付けをさせられる。

そこで呪われたゲームであるジュマンジを発見する。ちなみに今作に登場する呪いのボードゲームのジュマンジは、1995年にボードゲームなんて今時流行らないよな~という少年のディスりを受けて、TVゲームに変身している。そして、ゲームプレイした主人公たち4人は、ゲームの中の世界に吸い込まれてしまう。吸い込まれた4名は、ゲームの中でプレイヤーキャラクターと化していた。そして、ゲームをクリアしないと元に戻れない事、最大3しかない残機が0になったら死んでしまう可能性を突きつけられる…。

という感じで、ごちゃごちゃ言ってないで協力し合わないと死んでしまうという、テンポの良いブレックファスト・クラブ版ソードアート・オンラインという感じなのだ。ちょっと前に同じく、ブレックファスト・クラブをベースにした感じの映画版パワーレンジャーという作品もあったが、普通にこっちの方が面白いし、話も上手いと思った。

面白さ

個人的に一番面白いなと思った点は、RPG的な要素の使い方だ。自分とは異なる他人をロールプレイングすることで、他者への理解を深め、更には自分についての理解も深めていくという作りになっている。

ここでいうロールプレイングとは、キャラクターの長所と短所を理解し、長所を活かす形で行動し、仲間と助け合ってお互いの短所をカバーしあうという要素である。

多様性についての理解と、多様性があるからこそ助け合う意味があるという社会の在り方についてのメッセージを、RPG要素として上手く表現しているのだ。みんなそれぞれ問題を抱えているんだという、理解のその先がきちんとメッセージ化されていて、とても素晴らしい作品だと思うし、何より分かり易い。

ボスベイビーもそうだったが、分かり易く作るという要素は何だかんだで重要だろう。理解を深めれば、素晴らしいメッセージがあることに気付けるタイプの作品は、芸術的な完成度は高いが、メッセージとしては弱いのだ。

ソード・アート・オンライン(SAO)との比較

ゲームの中に閉じ込められてクリアしないと脱出できないという状況は、日本人の若者的にはソードアートオンラインをまず想像するのでは無かろうか。

ただRPG世界におけるプレイヤーキャラクターに投影された理想の自分が、何故か現実世界の自分のイメージを逆ハックするSAOとは、RPGという要素の捉え方が真逆に近いのが面白い。

ジュマンジにおけるRPG的な抽象化は、現実を理解しやすくする為の想像力だったが、SAOの場合は、見たいものだけを見るという為の抽象化であり、それを現実にフィードバックする為の想像力なのである。実際に、現実社会に蔓延していて、世界的に問題になっているのはこのSAO的なリアリズムなので、この2つの作品は、セットで観る事でより意味のあるものになると個人的には思う。

コリン・ハンクス

あと、個人的に解説しておきたいけど、限りなくどうでも良い面白ポイントは、アレックスの正体についてである。ゲームに閉じ込められていたアレックスの20年後の姿を演じているのが、コリン・ハンクスなのだ。個人的にはコリン・ハンクスと言えば、『ロズウェル、星の恋人たち』という青春ドラマで冴えないオタク気味の高校生アレックス・ウィットマンを演じていた俳優なのだ。そんな彼が20年後のおっさんアレックス役として出て来たので、謎の感動があった訳だが、これはロズウェルを観ていなかった人には全く共感できない話である。


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by cemeteryprime | 2018-04-07 11:42 | 作品・感想 | Comments(0)

【ゲーム感想】のびのびTRPG ザ・ホラー

のびのびTRPG ザ・ホラー

アークライト

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概要

TRPGというよりは…初心者でも手軽にゆる~くTRPGっぽいことが楽しめるというコンセプトのストーリーテリング型ゲームであると認識した方が的確な気がするアナログゲーム。

ゲーム内容の詳細については、まともなボードゲームのレビューサイトをググった方が分かりやすいので割愛させてもらおう。大雑把には以下のような感じ。

最初にランダムで導入パターンを選び、次にプレイヤーAがそこに繋がる場面カードをランダム選択して、そこに書いてある判定を解決し、結果を踏まえて場面についてのストーリーを適当に語る。次にプレイヤーBがそこに繋がる場面カードをランダム選択して、そこに書いてある判定を解決し、結果を踏まえて場面についてのストーリーを適当に語る。このサイクルを一定回数繰り返して、最後にクライマックスのタイプをランダム選択して、それを踏まえつつエンディングを語る。

まぁ要するに、機械的に進行できるルールに乗っ取った明確なゲームのフレームがあり、その行間をプレイヤーたちが自由に埋めるというタイプの遊びである。

基本的にはストーリーテリング型ゲームだが、一応キャラクターを使ってストーリーを作るのでTRPGでもある。ただキャラのデータは純粋にフレーバーでしかない職業と力と技の数値という3種類だけなのでロールプレイング要素(シミュレーション要素)は皆無とは言わないが超緩い…というバランス。

ストーリーテリング型ゲーム

TRPGというのは、会話とダイスを使ってみんなで物語を紡いでいくゲームである。』公式サイトのコンセプト紹介にはこんな文句が書かれている。確かに間違ってはいないのだが、バットとボールを使っていれば野球みたいな話で、TRPGの説明としては不十分という感じだ。

一般的に、物語を紡いでいくことが目的の遊びで、ダイスやカードなんかのゲーム要素を使っていて、それでいてTRPGとはちょっと違うというタイプのゲームは、ストーリーテリング型ゲームと呼ばれる。

会話とダイスを使ってみんなで物語を紡いでいくゲームだけとTRPGでは無い具体例としては『ストーリーキューブ』なんかが分かりやすい。『ストーリーキューブ』は、ダイス目に書かれた絵をキーワードにして順番にストーリーを紡いでいく超シンプルなストーリーテリング型ゲームである。

みんなで1つのストーリーは紡いでいかないが、即興でお題に沿ったストーリーを作って遊ぶキャット&チョコレートなんかも、ストーリーテリング型ゲームの一種と言えるだろう。

ストーリーテリング型ゲームとTRPGの境界

ではロールプレイングゲームとストーリーテリング型ゲームの境界はどこにあるのかというと、それはロールプレイング要素があるかないかという部分だと考えている。

ロールプレイの定義についても諸説あるが、基本的にロールプレイとは演技の事で間違ってはいない。ただ演技というのはシミュレーションであって、シミュレーションするべきキャラクターデータ(設定)があるから成立するものである。

ロールプレイングゲームという遊びも、今ではあまり強く認識はされていないが、元々はシミュレーションゲーム業界から出現した新種として認識されていたし、シミュレーションゲーム系の雑誌で取り上げられていたジャンルである。

TRPGに演技は不要だと唱える人や、ロールプレイング=演技ではないという主張する人は、自分ではない別の誰かを演じる事=演技という前提があるように思える。シミュレーション要素が無いなりきりはロールプレイとは呼べないという話で、演技の定義にズレがあるという話でもある。

ちなみに、自分では無い別のキャラになり切ることは、非日常性があり楽しい遊びである。コスプレなんかにはそういう娯楽性があるし、特にそういう要素が好きなTRPGファンには最近はLARPという遊びもある。

のびのびTRPGはロールプレイ要素が緩いので、もしロールプレイング要素を強めたいなら最初にキャラ設定を宣言しておいて、いかにその設定をストーリーテリング部分で拾うかという遊びを追加すれば良いだろうし、なりきり要素を強めたいなら適当にその場面をプレイヤーが脳内設定に合わせて即興で演じてみるのも良いだろうと思う。ベースが緩いストーリーテリング型ゲームなので、好きに装飾できそうなのは魅力の1つだと思う。

ストーリーテリング型ゲームとしての良さ

ストテリング型ゲームの良さは、ゲーム的な進行フレームがあるので、初心者でもルールに従ってスムーズに遊べる点だろう。

のびのびTRPGの場合は、場面毎に超シンプルな技能判定ができる様になっているし、ロールプレイ要素は無いに等しいレベルではあるけども一応は可能だしと、ストーリーテリング型ゲームの手軽さを活かしながらも、TRPGっぽい雰囲気を…ペロッと舐めるくらいは味わえるみたいな仕様だ。

なので、TRPGっぽい事をしたいが、TRPGという遊びは良く分からんし、準備も面倒くさいという人にとっては有難いゲームだと言える。

あと個人的に似たようなシステムを作ったことがあるので分かるのだが、この手のシステムの肝は、如何にそれっぽさをカードとして切り取るかという部分にある。その点、場面カードの内容チョイスは、ランダムに接続しても頑張ればホラーシナリオっぽい感じにはなる絶妙なバランスになっていて、上手いなと思う。(謎の上から目線)

ただ、基本的にはホラーぽいというか、ホラーのパロディみたいなものを作って遊ぶゲームだと思う。ランダムにシーンを繋ぐ上での無理くり感を楽しむ遊びという感じだ。日本のTRPGシーンのニーズを上手く捉えたゲームだと思う。売れてるのかどうかは知らないけど。


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by cemeteryprime | 2018-04-02 12:18 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ボス・ベイビー

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結論

それなりに面白かった。

メッセージ性はそれなりに立派なモノだと思ったが、アニメとしての面白さとメッセージ性のバランスが少し悪かった様に思える。

ただ基本的に赤ちゃんギャグが多めで劇場の雰囲気的に子供には凄く受けていたので、大人にはしっかりとしたメッセージを届けつつ、子供には娯楽アニメとして素直に楽しんでもらうという、目的は上手く行っていたと思う。

所々、テンポが悪く感じる部分があり、大人向けメッセージの部分が露骨過ぎるとも思ったが、あまり巧妙にメッセージ性と娯楽アニメ性を一体化させていると、メッセージ性が伝わらない可能性が高いことを考えるとこのくらいのバランスがベストなのかもしれない。

あらすじ

ティム・テンプルトンは想像力豊かな7歳の少年。両親に溺愛されていてティムはそんな生活を満喫していたが、ある日テンプルトン家に赤ちゃん(ティムの弟)がやってきたことで、状況は一変してしまう。

両親は朝から晩まで手間のかかる赤ちゃんの世話にかかりっきりになり、ティムは放置されてしまう。こいつはテンプルトン家を乗っ取る為に送り込まれてきた悪い奴なのでは?というティムの疑心暗鬼は膨らんでいき、ついに赤ちゃんが外部の何物かと会話している現場を目撃してしまう。

赤ちゃんはボス・ベイビーと名乗り、あかちゃん株式会社から送り込まれてきたエージェントだという。赤ちゃん株式会社の使命は、可愛いペットに人間の愛情のシェアを奪われつつある赤ちゃんのシェアを回復させること。品種改良でどんどん可愛らしくなるペットのワンちゃんが赤ちゃんにとっての一番の脅威なのである。そして、ティムの両親はそうしたワンちゃんを開発する会社の社員なのであった。

任務が終われば家を出て行くというボス・ベイビーの話を信じ、ティムは両親の会社が新しく開発中の新商品の情報を手に入れる協力をすることになるが…。

面白さ

この作品は、冒頭から明確に想像力豊かな少年の主観によるマジックリアリズム物語ですと宣言している。更にエンディングでも「~という話だったのさ」という形で父から子供に聞かせる昔話であった事を改めて示す。

なので、比較的ハッキリと大人向けには寓話であることを宣言する作りになっている。

メッセージ性としてはシンプルで、両親の愛を奪い合う兄弟の姿は、社会における国民同士のいがみ合う姿のメタファーなのである。後から来た新参者や、手のかかる弱者に回すリソースは無いという態度は、赤ちゃんに対する子供っぽいライバル心を剥き出しにする主人公の態度に似ている。

もう1つ面白いのは、赤ちゃんのライバルが可愛いペット犬になっている所だろう。面倒くさい赤ちゃんよりも、人によって都合の良い存在になるように品種改良されたワンちゃんが、シェアを奪うという構図は、人が人ではなく便利で快適な道具に心を奪われる様になっている社会のメタファーでもある。

分かりやすいが…

そして、エンディングテーマとして、駄目押しの様に世界に必要なのは(今世界に足りていないのは)人を愛する心だという、ド直球な歌詞の歌も流れる。

全体的に凄く分かりやすいし、良いテーマなのだが、裏を返すとストーリーとしては、それくらいしか言っていないという話でもある。今、世界にはある種のブラザーフッド(兄弟愛)が足りていない。

後は、赤ちゃんという存在をある種の異種族として扱う設定面の面白さを掘り下げたり、延々と赤ちゃんギャグをするだけのアニメなのだ。

この作品も、リメンバーミーみたいに冒頭に短い『ビルビー』という動物アニメが同時上映されている。内容は、自分には関係ない他人だけど危なげで放置できないので助けてあげるうちに家族になるという、動物アニメ。

どちらもメッセージとしてはいまち毒が無いというか、ちょっと性善説的な部分にしか訴えかけていない印象が強いが、分かりやすいってのは良いことでもある。というのも、シェイプ・オブ・ウォーターやリメンバーミーという作品は明らかに傑作なのだが、メッセージ性に関してはいまいち伝わっていなくて残念…という光景をネット上ではよく見かけるからだ。深すぎるメッセージ性は伝わらない問題があるのだ。

その点、ボス・ベイビーはメッセージ性が拾いやすいし、誤読のしようもない感じで、これはこれで作品としての良い特徴だとは思う。ちびっ子には受けるし、大人向けの作品でもあるので、観に行って損は無いぞ!


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by cemeteryprime | 2018-03-29 14:19 | 作品・感想 | Comments(0)

【小説感想】ドクター・スリープ

ドクター・スリープ 上 (文春文庫)

スティーヴン キング/文藝春秋

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ドクター・スリープ 下 (文春文庫)

スティーヴン キング/文藝春秋

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概要

スティーブン・キングの傑作ホラー『シャイニング』の続編。前作の主人公であるトランス一家の息子、超能力(シャイニング)を持つ少年ダニーのその後を描く。

あらすじ

前作で父親を失った少年ダニーは、トラウマを抱えながらも母親とダニーと同じくシャイニングを持つ老人ディック・ハローランに支えられ、しばらくはまともに成長していたが、最終的には父親と同じ飲んだくれになり、酒で問題を起こす度に各地を転々とする生活を送る様になっていた…。

しかし、ダン(元ダニー少年)がどん底に落ちたタイミングで、僅かながらダンと同じシャイニングの力を持つ老人ビリーと出会う。ビリーからの救いの手が切っ掛けになり、その町で仕事を見つけたダンは、断酒会コミュニティに参加する様になる。

そしてダンは、新たなコミュニティとの付き合いの中で相互扶助と愛の精神に目覚め、シャイニングの力を使ってホスピスで死に臨む患者の苦痛や孤独を取り除くドクター・スリープと呼ばれる存在へと成長する。

そんな中、ダンは超強力なシャイニングの力を持つ少女アブラと出会う。パワーを持て余す孤独な少女アブラとの出会いに、かつての自分とハローランとの出会いを重ねたダンは少女を導こうとするが、やがてアブラはシャイニングの力を持つ子供たちを殺害しパワーを吸い取る恐ろしいヴァンパイア集団の存在を感知し標的となってしまう…。

面白さ

ドクター・スリープはシャイニングの続編であるが、ホラーでは無い。ジャンルとしてはダークファンタジーという所である。そしてホラーではなくなった所が、本作の最大のポイントでもある。

ホラーというものは、基本的にはある種の閉鎖的な境遇であり、孤立無援の状態で発生する。前作のシャイニングは正しくそうした状況で発生した物語であった。今作でもダンは、そうした状況に陥り、父親の二の舞になってしまう。しかし、それは序盤までの話である。

ダンは、断酒会コミュニティ(明らかに教会の役割を担っている)に参加する事で、自分が問題を抱えている事、人は問題を一人で解決できるほど強くはないこと、そしてだからこそお互いに助け合う事が重要であるという事を学ぶ。

だから、ダンは少女アブラをそうしたホラー的な閉鎖的な境遇から守ろうとする。世間にも両親にも理解されないまま、孤立無援の状態で恐ろしいモンスターと戦わなければいけないという状況を回避する為に、ダンはアブラを説得して、異能に否定的なアブラの両親も巻き込み、友人も巻き込んでいく。なぜなら、それこそがダンが学んだアンサーだからだ。

故に、今作はホラーにはならなかったのだ。シャイニングの力はダニー少年に孤独と恐怖をもたらしたが、成長したダンはシャイニングの力を使って、他人と繋がり孤独や恐怖を取り除くドクター・スリープとしての道を見つけたのである。ドクター・スリープは、続編であると同時に、シャイニングに対しるアンサーにもなっているのだ。

あと付け加えるなら、今作では最近のハリウッド映画で主流である愛というテーマの他にも、リメンバーミーにあったクソみたいな過去もきちんと受け止めようというテーマも登場する。なのでこの時代に書くべき続編であり、今読むべき作品になっているなと思う。


トゥルーノット族

ちなみに、本作の敵キャラである霊的なヴァンパイア集団はトゥルーノット族(真結族)と呼ばれている。

ダンたちが愛情で繋がっているチームなら、こっちは邪悪な目的で繋がったチームである。不老不死を維持する為に、シャイニングの力を持つ子供を拷問してパワーを吸い取って殺すのだ。また、資産はあるが、一つの町に長居できないので集団で町から町へと移動している。

トゥルーノット族は、人間を下民と呼んで見下しているが、恐らく元は人間だったのではないかと思われる。作中では明言されていないが、恐らくシャイニングの力を、他人から何かを奪う為に使用する様になった人間の成れの果てというのは、彼らの実態ではなかろうか。トゥルーノット族の超能力は、シャイニングの力で出来る事と被っているし、パワーを使ってオヤジ狩りみたいな事をしていた人間が仲間として勧誘されている描写もある。

それを踏まえると、正しくダンたちのダークサイド的な存在であるとも言える。

関連図書

ちなみにこの作品にはスティーブン・キングの息子で作家のジョー・ヒルのホラー小説『NOS4A2(ノスフェラトゥ)』とのクロスオーバー要素なんかもお遊び的に入っている。子供を攫う邪悪なスタンド使いな悪役のチャーリー・マンクスが名前だけだが出て来るのだ。

最近のキングはジョー・ヒルの影響なのか、超能力を持った中年や老人を主人公にした、コミック的(ライトノベル的)な要素の強いダークファンタジーを幾つか書いている。本作は『シャイニング』の直接的な続編ではあるが、そうした作品群の影響も強く感じられる作品でもあるので、先に読んでおいても良いし、この作品が気に入ったら読んでみるのも良いだろう。なので、関連図書を以下に挙げて置く。

スティーブン・キング作…

『不眠症』:不眠症を拗らせた結果、霊能力に目覚めた老人が主人公のキング版幽遊白書みたいな作品。超能力の応用として、エネルギードレイン能力が出て来る。

『悪霊の島』:交通事故が切っ掛けて霊能力と画家としての才能に目覚めた定年退職中年の話。想像力についての寓話であり、鈴木光司の「リング」みたいな展開も楽しい作品。

ジョー・ヒル作…

NOS4A2(ノスフェラトゥ):ジョジョの奇妙な冒険みたいな雰囲気の、異能力者同士が対決する話。スタンド使いが惹かれ合い、謎の連続殺人犯の存在に気付くという話なので、ジョジョ第4部に似ている。ジョジョ第4部は確実にスティーブン・キングのITの影響を受けているので、ITに現代的要素(マンガ的要素)を組み込んだら似たような話になったのだとしたら面白い。

『ロック&キー』…これは小説じゃなくてアメコミ。超能力が宿る不思議な複数の鍵を巡るダークファンタジー。続刊中だが、続きが出るかどうかは不明。


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by cemeteryprime | 2018-03-24 10:51 | 作品・感想 | Comments(0)

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