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カテゴリ:時事ネタ( 2 )

【時事ネタ】仮想通貨、神話、小学校


たまたま見つけて面白いなと思った動画。1~5くらいまである。

酒を飲みながらの雑談ショーという感じだが、最近の仮想通貨に関する問題点の解説として地味に一番分かりやすかった。雑談なので、話題があっちこっちに飛びまくるが、全体的に面白く、最後の方のスターウォーズの新作シリーズと仮想通貨の話を強引にミックスする話は笑った。カイロ・レンは中途半端に真面目な故に、持ってないのに数億稼ぎました風なルークに騙されて金をぶっこんだコインチェック民なんだよ!という話。

言説と立ち位置

ついでに登場する3人の食い違う意見を聞いていて、改めて思ったのが、あらゆる言説はポジショントークだなという点。当たり前と言えば当たり前なんだけど、価値観や思想的な右左とか、単に利益の絡み方とか以外にも、対象との距離感の問題も大きいなと。特に沖縄問題の話の部分で思ったが、対象に近すぎると地元民の意見もケースバイケースすぎて公平に語ろうとすればするほど矛盾の塊みたいな話になるし、マクロ過ぎると理屈は正しいが、今度は地元民の価値観(方向性)にどこまで寄り添っているんだ?みたいな話になるし。

こういうのを踏まえると、目標としての大きな物語(理想像)を議論することって大事だなと改めて思う。沖縄でも、日本でも、会社でも、チームでも、人が何かしらの共同体としてまとまる際は、常にその共同体に合わせた大きな物語が必要なんだろう。キング牧師では無いが、共同体毎に私には夢がある~みたいな感じで大きな物語について語ることには意味があったという。

スケール毎に大きな物語が必要になるという前提は、同時に議論の際の距離感の統一にもつながる。どのスケールにおける正しさ(大きな物語≒共通目標)の話をしているんだ?という点が、ズレていると、個々では特に間違った話をしていなくても、噛み合わないもんだなと。

そして、改めて気付いたのだが、Twitter上での議論の問題点として、そうしたスケールが全く見えにくいという点があるなと。どういう立ち位置なんだ?どのスケールについての話なんだ?という部分が、ネットの匿名性に加えて、字数制限なんかもあるので、把握することが不可能に近いなと。もちろん頑張れば特定可能ではあるんだけど。

神話の再構築

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これはTwitterで拾った画像で、これを見た時は「それって神話の作成&宗教の作成じゃないか。文化人類学的な歴史の反復か?」と思ったのだが、先の話を踏まえると、それこそ共同体に必要な物だったんだろうなと。

耐用年数が過ぎてしまった神話(大きな物語)と宗教(モラル)を捨てたら、その都度、新しい神話と宗教を作る必要性があったのだ。新しい神話と宗教に寓話的な存在である神様という概念を絡める必要は無いし、逆に絡めても良いわけだけども、何かは必要だった訳だが、便利な技術(システム)があれば、そうした共通の物語は不要だという発想に至った結果が現在の混乱なんだろうなと。

どうでもいいけど、バベル塔の寓話も、技術(大きな塔)で大きな物語(神、宗教)を代用できると考えた結果の、混乱だったと解釈すれば、予想以上に哲学的な寓話だったのでは?という気もする。結局、マクロレベルでは人間が人間である限り、似たような事を反復するんだろうな。

小学校=教会説

冒頭の動画の話に戻るが、もう1つ面白いなと思ったのが、日本の場合、小学校が教会みたいな役割を事実上担っていて、それ故にモラルの在り方が小学校イズムに支配されているという話だ。

ざっくり説明すると、日本の場合、ヨーロッパでいう所の教会の代わりに寺があって、それが寺小屋みたいな感じで小学校的な機能も持っていたんだけども、廃仏毀釈で寺が破壊され、代わりに小学校が建てられたという歴史的経緯があり、ある種の宗教施設でもあるという自覚が無いままに小学校が教会/寺社として機能しているのではないかという話だ。何かあったら先生に言いつけてやる!みたいな発想とか、みんな平等な筈なのにズルいぞ!という発想や、あいつができるなら俺もできるはず!みたいな傾向が強いのも、全てはここから来たのでは?という話は、かなり信憑性があって面白い。これって、特に勉強熱心でも無ければ、小学生的なモラルしか学ぶ機会が無いって話で、勉強したとしても個々で好きな大きな物語を選ぶだけな状況がある訳で、かなり深刻な事態だなと。

そうした状況を加味すると、江戸しぐさ等の胡散臭い神話が小学校に侵入するのが野放しになっているのもヤベーよな。毎日教会に通ってるのに、誰も聖書を聖書だと認識してないので、割と簡単に聖書を書き換えられるみたいな状況やんけという。

東浩紀

どうでもいいけど、東浩紀絡みのコンテンツに久しぶりにアクセスした。私はかつてアニメ批評とかやっていた頃はよくこういうコンテンツを観ていたし、本も読んでた事があったんだけど、ゲンロン辺りから完全に追いかけなくなっていたタイプである。

ネトフリとyoutubeで事足りる感じになり、ニコニコ動画なんかを一切見なくなっていたのも大きいのかなとは思うが、1つは東浩紀がある種のマス(サブカル的マスという感じだが)向けのPR的な活動から、本来の独自路線にシフトした事で、私の観測範囲から出てしまったんだろうなという話だが、久しぶりにこうして動画を観たらやっぱりにの人の話は面白い。

最近は、色々と便利にはなった反面、個人の観測範囲が狭まった印象は強い。Twitterを観てると、どんだけ視野狭窄なんだこいつらと思う事が多いが、他人事では無いのだ。

東浩紀コンテンツだって、かつては著書まで読んでいた訳だし、こうしてyoutubeにも転がっているんだから、そこまで遠くにあった訳じゃないのに、観たのは何年ぶりだよという話だし。よくよく考えたら、やたらとブチ切れるというかヘソを曲げてるよなこの人って感じでTwitterのフォローを外してしまったのも大きい気はするが。

人が視野を広げる必要性を感じるタイミングって、恐らく問題にぶつかった時なんだろう。最近面白いコンテンツ無いなレベルから、良く分からん話題だな?という話から、社会問題レベルまで、程度の差こそあれ問題や疑問との出会いは視野を広げる機会を発生させる。ただ、そこでブチ切れたり、感情的になりすぎると更なる視野狭窄を起こして、最近コンテンツが面白くないのは〇〇のせいだ!みたいな感じで特定のモノを叩きだしたりするんだろうなという。

そして、こうした際に効率的に外部を散策できるツールはないかな?なんて直ぐに考えてしまうのが、人間の業というか、お茶目な所なんだろうなとしみじみと思う。結局、足りないのは面倒くささを楽しめる時間と余裕なんだろうな。どうやって時間と余裕を作るか?それはやっぱり便利な道具で…(ry


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by cemeteryprime | 2018-03-06 10:04 | 時事ネタ | Comments(0)

【時事ネタ】ヒュラスとニンフたち

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先日、マンチェスター市立美術館が、MeToo運動などを受けて、『ヒュラスとニンフたち』という絵がエロいので撤去という記事がTwitterで流れて来た。こういう女性をエロいものとして扱う表現は、時代遅れであるみたいな美術館の判断があったらしいという話であった。

MeToo運動を受けてのF-1のレースクイーン(正確にはグリットガール?知らんけども)廃止の話も記憶に新しい中でのニュースだったので、またかよ!死ねよ!みたいな意見の方が大部分を占めていたような気はする。

そもそも1896年の絵に対して、表現が時代遅れも糞も無いし、そんなことを言いだしたら美術館に展示されている絵なんて全部、表現が時代遅れじゃないの?みたいな疑問は当然あるわけだが…。

議論を呼ぶ為のパフォーマンス

あまりにも分かりやすくなんじゃそりゃな話なので、色んな批判的な意見が飛び交っていたが、その後で実は、絵が撤去される様子の動画を展示すること込みでの、議論を呼ぶ為のパフォーマンスだったらしい事が判明した。

それを受けて、美術館への批判的なコメントを削除している人もいた。こうした議論を呼ぶ為に敢えてね…みたいな炎上を狙ったパフォーマンスは、現代アート的な文脈では珍しくないらしい。

ただ、敢えてパフォーマンスをするまでもなく、この手の議論を引き起こす出来事は最近は頻発している。そんな最中に、敢えて後から便乗する意味はあるのだろうか?議論されてない現状に憂慮して一石を投じたならともかく、完全に世論の後追いである。

冷静に考えれば、美術館が敢えてやったとするなら、それはMeTooに便乗して表現に対する弾圧をするなやボケという意図があったのは明確で、議論を喚起する為というよりは、ポリコレに便乗するバーバリアンを攻撃する為の燃料投下でしかなかった様に思える。

美術館の姿勢としては正しいとも思えるが、ストレートに文句を言えば良いものを、若干嫌らしい手法をとったなという印象は否めない。

エロと芸術

ただ、このニュースで1つ気付かされた事がある。この『ヒュラスとニンフたち』という絵が、確かにエロいなという事だ。

男が一人で温泉に入ってたら女子大生の集団が入って来て…的なAV(漫画とかでも割とあるが)と、冷静に考えると似たようなエロいシチュエーションを描いているのでは?という。

だから何だよと言われるかもしれないが、今も昔もそういう似たようなシチュエーションがエロいなと思われて消費されているという事実は、よくよく考えると興味深くは無いだろうか。

昔の人は何をエロいと感じていたのだろうかという疑問と、昔の人は何を信仰していたのか、何を正しいと思っていたのか、何を美徳だと感じていたのか、という疑問は、本質的には差が無いと個人的には思う。それを踏まえると、エロさの追求も人間性の追求の一部であり、芸術の範疇だろう。

また、人の心を掴む画を製作するという目的において、確実に人の心に強く訴えかけるであろうエロという要素を活用する姿勢は、プロとしてはむしろ当然と言えるかもしれない。美しいだけの絵と、美しくてエロい絵なら、一般的には後者の方が強く人の心を掴むはずではなかろうか。

エロではなく恐怖に着目した、怖い絵展とかいうやつが最近あったが、こうした事件がきっかけでエロい絵展なんかもそのうち開催されるかもしれないなと思ったり。読んではいないが、エロ漫画表現史みたいな本が最近出版されているみたいだし、エロへの批判と同時に改めてエロについての認識が深彫りされている気もする。

結果的に

『ヒュラスとニンフたち』とMeTooを絡めた問題提起は、芸術とエロについて改めて考えるきっかけになった。F-1問題では、こうした考察は発生しなかったはずだ。

とは言え、やっぱりマンチェスター市立美術館のやり方は炎上による宣伝効果狙いの悪質な便乗だとは思う。社会的に意義のあるテーマこそ、胸を張ってもっと正々堂々と主張すれば良いのにとは思うが、バズらないと始まらないのが現代社会の悲しい所だと考えるべきなのか。


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by cemeteryprime | 2018-02-04 13:40 | 時事ネタ | Comments(0)

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