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【書籍感想】負債論

負債論 貨幣と暴力の5000年

デヴィッド・グレーバー/以文社

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負債という概念が、如何に人を動かして来たかという観点から人類史を分析した本。端的に言って、世の中を見渡すと負債という概念が絡まないものの方が多い。

以下、面白かった部分を記憶を頼りに幾つかピックアップしよう。

アダム・スミスについて

この本では、アダム・スミスを始めとした経済学者に批判的だ。何故なら、経済学は初めから嘘の下で成立しているからだ。歴史的にみて貨幣が物々交換の延長線上で発生したという証拠はなく(逆の事例は沢山ある)、アダム・スミスが生きていた当時でさえ、実際には貨幣を使わない信用取引の比重の方が大きかったという。

なのに、なぜそうした神話を作ったかというと、それは取引が常に後腐れなく現金のみ清算される形が実現されれば良いなぁという、一種のユートピア観だったのだ。なので、基本的に経学はこうあって欲しいという理想をベースに、経済的な法律を決めて行きましょうという形で機能しているという。

しかし、一方でアダム・スミスに悪意があった訳では無いとフォローをしているのも面白い。何故なら、アダム・スミスは人は基本的には怠け者で、意味もなく利益を追求したりすることは無いと思っていたからだという。実際にはそんなことはなく、そうした性質が格差という形で反映されていたし、経済学的な嘘を信じてしまったせいで、余計にそうした部分の弊害が冷酷に野放しされた結果が、現在の社会なのだが…。

宗教と経済

宗教と法律は、実際の所は大して違わない。という事実が、宗教上のルールが明らかに村の法律として機能していたことを知ることで理解できる。そして何より興味深いのが、中世以前に最も問題になり議論されてきた宗教的(モラル的)懸念というのが、有利子貸付を悪として全面的に禁止するかどうかであったという話だ。

負債論においては、人の間に階級が存在しなかった原始的な村社会と比較する形で、この負債という概念が大きな要素になっていたことを明らかにする。相互扶助的な社会においては、恩の貸し借りという発想自体をタブーされるのだ。なので、物を貰ったり、助けてもらっても、ありがとうという感謝の言葉すらタブーになっている文化が実在するのだ。中には命の恩人に対して、返せない様な借りを相手に意識させたとして、逆に更にプレゼントをよこせと糾弾する文化まである。

有利子貸付の話に戻るが、世の中には借金をすることで上下関係が発生するという暗黙のルールが存在する。契約上は単に一時的に金を借りているだけだが、金を返すまでは相手にペコペコする必要がある。これは事実上、負債が上下関係を発生させているに等しいのである。勿論、借りた側がヤクザとかなら話は別なのだが。

一定の利子を受け取る有利子貸付は、元手を減らすことなく金を増やせる行為である。故に、これをやれば借りる側と貸す側の上下関係がどんどん開いていくのである。現実問題として、都市が発生した社会においては、こうした負債者が社会問題となっていた。それは、古代メソポタミアの時代からそうで、それ故に、その後にメソポタミア世界周辺で発生したユダヤ教やキリスト教やイスラム教では、はっきりと有利子貸付と禁止しているのである。

しかし、ユダヤ教は身内に対してはアウトだが、敵に対してはOKというルールの穴を儲けている。キリスト教の場合は、キリスト教では禁止していても、キリスト教社会にはユダヤ人がいたので、ユダヤ人に金貸しをさせる事(それ以外を禁止する)で、自ら手を汚すことなく、有利子貸付をさせて、ヘイトが溜まったらユダヤ人から金を巻き上げるという行為によって、事実上野放しになっていたのだ。

更に有利子貸付という概念は、罪という概念についても適用される。教会や寺院に金を捧げる事で、借金に対する利子の様な形で、断罪を先延ばしにするという概念があるのだ。

こうした概念は現代社会でも一部残っていて、例えば過労死で社員を殺してしまった会社が遺族に賠償するさい、明らかに人の命としては安い金額を支払う事がある。こうした殺人への賠償という概念は、そもそも命は命でしか償えないという前提の下、今すぐに血の復讐はしないで下さい、反省していますという意思表示の為に支払う形で始まった。こんな金を貰っても許せないが、間に入った人間を立てて(原始社会では村長、現在なら司法制度)、今すぐにぶっ殺すのは止めてやろうというシステムである。

そんな感じで、罪自体をある種の借金として捉える思想があった。ルターは免罪符に対してブチ切れた事は知られているが、結局の所は本来は禁止されているはずなのに蔓延している有利子貸付に対してブチ切れていたのだ。ルターの改革に伴って農民反乱が勃発したのも、要は有利子貸付で借金漬けになった農民たちがブチ切れていたのである。

一方、イスラム教は厳格に有利子貸付を禁止していた。また、中国では商業自体を蔑む儒教思想が登場していた。それぞれ文脈は異なるが、市場の価値を認めつつも負債の無軌道な拡大には警戒していたイスラム世界と中華世界は、中世を通して市場が高度に発達し、豊かな巨大都市が繁栄した。ちなみにヨーロッパはド田舎だった。

特にイスラム世界では、後の資本主義社会の核となる株式だとか債券だとか、その他諸々の高度な金融システムが発達した。こうした事が可能になったのも、イスラム思想には有利子貸付への対策が盛り込まれていたからだ。それ以前の歴史においては、都市が一定以上に発達すると、同時に大量の負債者も生まれていたので、反乱がおこって都市も壊滅していたのだ。

近代は資本主義が世界を駆逐した歴史でもあるが、それはイスラム世界で生まれた金融システムが、そうした宗教上のモラルを持たないヨーロッパに持ち込まれた事が発端となっていたと、負債論では説明している。外国人なら幾らでも搾取してOKという理屈と、金こそ全てという資本主義と、高度な金融システムは、当然の様に侵略戦争を引き起こしたのだ。

人間関係は負債で認識されている

人間関係とは、複雑な貸し借りの応酬であるという話も面白い。端的な例で言えば、人付き合いが悪い人ほど貸し借りを作らない。込み入った人間関係というのは、言い換えるなら貸し借りが多いという事でもある。

なので、借金を作れば作るほど、人間関係が途切れると困るという事態が発生する。この理屈のせいで、ジャイアン的な嫌な人間にお金を沢山貸すと、暴力で負けるので強制的に取り立ても出来ず、かといって回収したいので離れられずという現象が発生してしまう。こうした場合、何故か貸した方の立場が弱くなるのだ。

アダム・スミスの話に戻ると、だからこそスミスは都度現金で関係性が清算される状態を理想とした訳だ。こうした理論は、手切れ金という発想や、縁を切る際に親に養育費や学費を返済するという発想からも見て取れる。

先のジャイアンの例を応用すると、ブラック企業が成立する理屈も見えて来る。給料以上に搾取すればするほど、労働者は離れにくくなるのだ。また、賃金労働者が実施は労働の対価として給料を貰っているのではなく、借金の対価として労働をしているというのが実態に近いことも見えて来る。だからこそ、上下関係が発生しているのである。誰も借金だとは認識していないが。

名誉と奴隷制

負債を抱えると奴隷状態になる羽目になるが、こうした奴隷という概念は名誉と逆だという話も面白い。

名誉があるという事は不名誉があるという話で、究極的な不名誉とは、社会的な死…つまりは奴隷状態なのである。それ故に、モラル的に不味いとは誰もが認識しながらも、名誉が尊ばれる社会ほど奴隷制を解消できなかったという。

元々、奴隷は戦争捕虜からスタートしているので、文字通り戦士はしなかったが、社会的には死んだも同然という扱いだ。それ故に、奴隷を沢山連れているということは、社会的な名誉でもあるという話になるのだ。だからこそ、かつての金持ちは奴隷の多さを競ったりもした。ちなみに奴隷が逃げられないのは、かつていた社会から切り離されたからだ。負債者も、その社会に留まる限りは借金から逃げられないので奴隷と化すのである。

ちなみに徳の高い支配者は、定期的に借金の恩赦も行った。勿論、これにはあまりにも負債者が増えすぎると反乱がおきるからという理由もある。とはいえ、借金をチャラにしてくれる行為以上に、民衆の尊敬を集める手段があるだろうか。イエスキリストが行うのも、究極的にはこうした負債の恩赦だというのが面白い。

…とまぁ、負債という概念について知ることは、人類の歴史を知ることでもあるという話なのと、経済論や貨幣論についてもかなりのページを割いているので、そういう分野に興味がある人にもおすすめです。


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by cemeteryprime | 2018-02-27 23:19 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】空海-KU-KAI-美しき王妃の謎

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結論

しょーもなかった。

あらすじ

唐の都、長安で化け猫騒動が起きる。何となく居合わせて巻き込まれた空海と白居易(白楽天)が事件を調査をするうちに、2世代くらい前に発生した楊貴妃の死にまつわるミステリーにぶち当たる。

雑なまとめ

かつて野村萬斎と伊藤英明が主演の『陰陽師』という同じく夢枕獏原作の映画があったが、似たような事を空海と白楽天のコンビでやっている感じ。

陰陽師の場合は、魔術師×戦士という感じでそれなりにコンビの意味があった気はするが、空海の場合はお坊さん×詩人というコンビなのでいまいちコントラストにもなっておらず、日本人×中国人という点でも特にコントラストにはなっていなかった。話の都合上、こいつらをコンビにしたのは分かるが、このコンビの話をもっと観たいみたいな要素は無かったと思う。

この映画が陰陽師を思い出させた1番の要素は何といっても、何故か空海役の染谷将太が野村萬斎の安倍晴明の中途半端なモノマネ演技をしていたからだろう。

野村萬斎のあの超然とした雰囲気は、恐らく全身の動作込みの演技から来るものだと思うのだが、染谷の場合は顔だけ野村萬斎風で動作は普通。なので、単にやたらとニヤニヤしているだけの変な人という感じに。しかも、TPO関係なくニヤニヤしている時としてない時があり、後の方で渡航時に難破したエピソードが出て来るせいで(この時はニヤニヤしておらず、普通に恐怖に怯えている)、その際にPTSDにでもなったんだろうか?と思わせる。原作はかなり前に読んだけど忘れたので、真相はどうなのかは分からない。

見どころ

面白いなと思ったのは、阿部寛が阿倍仲麻呂役で出ているのだが、そのせいで作中ずっと『アベ!アベ!』と普通に本名(芸名?)で呼ばれている感じに。

まぁ、それくらい。

長安の描写

個人的に期待していたのは、長安の描写なのだが、驚くべきことに、中国人(漢民族っぽい人)しかいないという、多様性の欠片も無い描写なのだ。ポリティカルコレクトネスとか関係なく、国際都市の描写としてどうなってんの??という感じ。ついでに脇役ではあったが登場したそれなりに有名な安禄山(イラン系)まで、単に太った中国人で、びっくりした。

ネットフリックスのマルコ・ポーロにおける北京描写はかなり優等生なケースだと思うが、最近ではテレビドラマレベルでも時代物における国際都市は当たり前の様に多様性に溢れた形で描写されている。何故なら、実際そうだったからだ。

常識的に考えて外国人がいない都市なんてあるか?あったらそれは都市じゃなくて田舎の町だ。だいたいサマルカンド出身のイラン系の外国人である安禄山が将軍をやっていたレベルなのに、外国人らしき人物が空海や阿倍仲麻呂(とそこの使用人1名)しかいないって、どうなってんだ。

そんな感じなので、いくらセットは豪華でも何も描けていないと同義なんだよね。ただただ綺麗で空虚なだけという。

マジックリアリズムと幻術

映画ではCGがあるので、所謂マジックリアリズム的な幻想的な光景をサクッと描写することが出来る。ただ、この映画を観て思うのは、説得力の無いCGによる幻想描写はなんと空虚なんだろうということだ。

この映画は、マジックリアリズム的な演出も、手品による幻術も、魔術も全部似たような感じでCGでサクッと描写する。正直、リアリティラインがどこにあるのか全く不明だ。空海は普通に魔法を使うし、ということは普通に魔法が一般的なファンタジー世界なのかと思いきや、そうでもない。幻術を操る手品師がいたり、普通に猫が喋ったりもする。そんな世界観で歴史ミステリー風な展開をするのだが…真面目に観るやついるのかこれ?という。

ついでに、玄宗皇帝と楊貴妃の宴のシーンも、全然楽しそうじゃないし、見てるこっちも楽しく無いのに、やたらとCG全開で画面だけは幻想的なので、なんだか北京オリンピックの開会式的なものを延々と見せられてる気分になるという…。

日中合作映画なら、ちょうど福山雅治主演でジョン・ウー監督のマンハントが上映されているはずなので、そっちを観に行った方が良いよ。割とカオスでウェルメイドとは言い難いけど確実に面白い映画なのでおススメです!


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by cemeteryprime | 2018-02-26 23:59 | 作品・感想 | Comments(0)

【書籍感想】官僚制のユートピア

官僚制のユートピア テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則

デヴィッド・グレーバー/以文社

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この本のテーマは、ルール(官僚制)である。

人はより分かりやすく手軽になることを求めて、ルールの明文化と組織改革(合理化や効率化)を求める。しかし何故かいつも望んでいたものとは真逆の結果がもたらされる。ルールが増える事で、より分かり難く、面倒臭くなるのである。

このように合理化には明らかに弊害があるが、それにもかかわらず、人は何故にこんなに合理化に惹かれるのだろうか。こうした疑問について考える本になっている。

特徴

…と説明すると、何やら小難しい社会制度についての本かと思えるが、基本的には文化人類学的な観点から人とルールの関係性と歴史について述べた本である。そしてなによりここがポイントなのだが、この作者、サブカルチャーについての言及が多く、語り口が面白いのだ。

グローバリズムや政治や官僚制の歴史についての話と同列に、スタートレックやコナン・ザ・バーバリアンやハリー・ポッターといったファンタジーやSFについての話も出て来るし、なんとTRPGについての話も出て来る。人の想像力とルールについて語る上では、具体例としてこうした話も当然出て来るのだ。巻末には補講としてアメコミにおけるヒーロー論や、ダークナイト・ライジングについての評論までついている。

若者に向けて分かりやすく、面白く、それでいて本質的な話をしようという姿勢に好感が持てる。人がどういう性質を持っているのか、その性質が如何に現在の社会を構築しているのかという本なのだ。

リベラリズムの鉄則

本書で語られる面白い話を幾つかかいつまんで説明しよう。まず、合理化や効率化を求めた結果、よりシステムが分かり難くなる逆説的な現象を本書ではリベラリズムの鉄則と呼んでいる。面倒なお役所仕事を減らそうと改革すると、余計にお役所仕事が増えるという現象である。

政治シーンにおいては、政治家が公務員や官僚をバッシングして民営化を訴えるという場面がよく見られる。大衆も民営化して企業の論理を導入すれば、より合理的で効率化されたスマートなものが生まれると信じてやまない。

こうした現象の原因として、大衆のイメージとは真逆で、実際は大企業ほど所謂お役所仕事的な働き方を強いられていて、面倒なペーパーワークや手続きで雁字搦めにされているという点が指摘されている。企業で働いた事があればこの辺は納得だろう。

また、本書では実例として、大学が民営化されたせいで、教授が資金繰りや各種申請に追われるようになりまともに研究ができなくなったという世界中で進行中の現象が挙げられている。iPS細胞の山中教授なんかを見ていればその辺は分かりやすい。

これは効率化や合理化が進むと、面倒な仕事が増えるばかりか、そうした雑務に圧迫されて創造的な仕事が出来なくなるという事も示している。近年、大企業ほど自前でイノベーションを生む事が難しくなり、イノベーションはベンチャー企業ごと買い取るものだという認識が一般化しているのも、背景にはこうした官僚制化の弊害があることは意識されていない。

郵便局とインターネット

郵便システムとインターネットは、かなり似ているという話も面白い。郵便システムは、前線に指令を届ける軍事的な情報伝達システムから生まれた技術だった。そして郵便システムによって、離れた地域の人同士が意見を自由に意見を交換できるようになったのである。人々は優れた郵便システムを持つ国家こそ、民主主義的で優れた近代国家であると考えるようになるのだが、…これってインターネットとかなり被るストーリーではなかろうか。

同時にインターネットがもたらしたものについても語られている。インターネット技術の発達で、人々の暮らしは期待していた様に良くなったかというと実はそうでもなくて、実はインターネットのせいで働き方は自由になったものの、労働時間自体は増えたという話もある。自由になり色んな事が簡単に出来るようになった結果、色んな事をさせられる羽目になり、総合的な仕事(主に雑務面で)が求められるようになったのである。

より便利で快適な生活をもたらすと思っていた技術が、逆に…という例で言えば、携帯電話なんかもその1つだろう。当たり前だが携帯電話が無かった時代は、帰宅後や休日に呼び出される事は無かったはずだ。

ファンタジーにおける官僚制

今もファンタジーと言えば、想像するのはロード・オブ・ザ・リング的な世界である。ロード・オブ・ザ・リングの世界というのは、実際はどこにも無い世界であるが、何故これほどまでにみんながこうした世界観に惹かれるかというと、それは、近代的な官僚制が支配する社会へのアンチテーゼだからだという。

ファンタジーにありがちな絶対悪の存在や、エルフやオークやホビットという、人間以上に生物学的に異質に差別化された種族は、実は官僚制を支える原理へのアンチテーゼであるという指摘は特に興味深い。なぜなら、合理化や効率化という概念は1つの正しさ(目的)に向かって行われるものだからで、官僚的な社会とは、1つの価値観の元に人々を縛る世界だからだ。なので、ファンタジーの世界では、こうした官僚制的な思想は悪役の思想として登場することになる。しかし、これまで述べてきた様に、実際の大衆は社会がより効率化・合理化されることを常に望んできているのである。

また、ファンタジーにおいて魔法使いは当初は悪役のイメージだったが、最近は主人公が魔法使いだというパターンも珍しく無い点を本書は指摘している。コナン・ザ・バーバリアンは蛮族が悪の魔術師を倒す話だし、クトルゥフ神話TRPGなんかでも基本的に魔術を使うのは邪悪な敵だけである。

興味深い点として、作者は魔法使いが主人公のハリー・ポッターでは、魔法省だとか銀行だとかの官僚的な組織が登場する点を挙げている。ファンタジーの世界も、徐々に官僚化されてきているという指摘である。

TRPGの影響

そして、こうした文脈で登場するのがTRPGだ。本書では、TRPGこそ本来は反合理的(官僚的)な世界であったファンタジーの世界を合理化した犯人だとしている。確かにTRPGは、あらゆる要素をデータ化してルールの下に運用する遊びである。

ちなみに、本書で語られるルール化の弊害をもっとも体感しやすいのはTRPGではないかと個人的には考えている。透明性を高める為にルールを厳密にすればするほど、余計に複雑になって、結果としてルールに対する理解度が高い人間の声が大きくなったり、ルールに対する裁量権を持つGMの権力が強くなるという構図は、現実社会とまるっきり同じである。

とはいえ、TRPGの場合はルールはあくまでプレイヤーが楽しく遊ぶ為の道具であるという認識があるので支障は無いが、もし無くなってルールを絶対視する様になるとすぐに各プレイヤーがルールで殴り合いをする現実社会と同じ様な光景が展開されるはずである。

こんな感じで、とにかくルールへの愛着を切り口に、色んな文化について考察した本なので、オタクは特に読んでみて損は無いはずだ。おススメです。


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by cemeteryprime | 2018-02-21 23:23 | 作品・感想 | Comments(0)

【時事ネタ】ヒュラスとニンフたち

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先日、マンチェスター市立美術館が、MeToo運動などを受けて、『ヒュラスとニンフたち』という絵がエロいので撤去という記事がTwitterで流れて来た。こういう女性をエロいものとして扱う表現は、時代遅れであるみたいな美術館の判断があったらしいという話であった。

MeToo運動を受けてのF-1のレースクイーン(正確にはグリットガール?知らんけども)廃止の話も記憶に新しい中でのニュースだったので、またかよ!死ねよ!みたいな意見の方が大部分を占めていたような気はする。

そもそも1896年の絵に対して、表現が時代遅れも糞も無いし、そんなことを言いだしたら美術館に展示されている絵なんて全部、表現が時代遅れじゃないの?みたいな疑問は当然あるわけだが…。

議論を呼ぶ為のパフォーマンス

あまりにも分かりやすくなんじゃそりゃな話なので、色んな批判的な意見が飛び交っていたが、その後で実は、絵が撤去される様子の動画を展示すること込みでの、議論を呼ぶ為のパフォーマンスだったらしい事が判明した。

それを受けて、美術館への批判的なコメントを削除している人もいた。こうした議論を呼ぶ為に敢えてね…みたいな炎上を狙ったパフォーマンスは、現代アート的な文脈では珍しくないらしい。

ただ、敢えてパフォーマンスをするまでもなく、この手の議論を引き起こす出来事は最近は頻発している。そんな最中に、敢えて後から便乗する意味はあるのだろうか?議論されてない現状に憂慮して一石を投じたならともかく、完全に世論の後追いである。

冷静に考えれば、美術館が敢えてやったとするなら、それはMeTooに便乗して表現に対する弾圧をするなやボケという意図があったのは明確で、議論を喚起する為というよりは、ポリコレに便乗するバーバリアンを攻撃する為の燃料投下でしかなかった様に思える。

美術館の姿勢としては正しいとも思えるが、ストレートに文句を言えば良いものを、若干嫌らしい手法をとったなという印象は否めない。

エロと芸術

ただ、このニュースで1つ気付かされた事がある。この『ヒュラスとニンフたち』という絵が、確かにエロいなという事だ。

男が一人で温泉に入ってたら女子大生の集団が入って来て…的なAV(漫画とかでも割とあるが)と、冷静に考えると似たようなエロいシチュエーションを描いているのでは?という。

だから何だよと言われるかもしれないが、今も昔もそういう似たようなシチュエーションがエロいなと思われて消費されているという事実は、よくよく考えると興味深くは無いだろうか。

昔の人は何をエロいと感じていたのだろうかという疑問と、昔の人は何を信仰していたのか、何を正しいと思っていたのか、何を美徳だと感じていたのか、という疑問は、本質的には差が無いと個人的には思う。それを踏まえると、エロさの追求も人間性の追求の一部であり、芸術の範疇だろう。

また、人の心を掴む画を製作するという目的において、確実に人の心に強く訴えかけるであろうエロという要素を活用する姿勢は、プロとしてはむしろ当然と言えるかもしれない。美しいだけの絵と、美しくてエロい絵なら、一般的には後者の方が強く人の心を掴むはずではなかろうか。

エロではなく恐怖に着目した、怖い絵展とかいうやつが最近あったが、こうした事件がきっかけでエロい絵展なんかもそのうち開催されるかもしれないなと思ったり。読んではいないが、エロ漫画表現史みたいな本が最近出版されているみたいだし、エロへの批判と同時に改めてエロについての認識が深彫りされている気もする。

結果的に

『ヒュラスとニンフたち』とMeTooを絡めた問題提起は、芸術とエロについて改めて考えるきっかけになった。F-1問題では、こうした考察は発生しなかったはずだ。

とは言え、やっぱりマンチェスター市立美術館のやり方は炎上による宣伝効果狙いの悪質な便乗だとは思う。社会的に意義のあるテーマこそ、胸を張ってもっと正々堂々と主張すれば良いのにとは思うが、バズらないと始まらないのが現代社会の悲しい所だと考えるべきなのか。


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by cemeteryprime | 2018-02-04 13:40 | 時事ネタ | Comments(0)

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