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【映画感想】グレイテスト・ショーマン

アメリカの伝説的な興行師、P・T・バーナムの生涯をモチーフにしたミュージカル映画。


2月に公開されて速攻観たけど、感想記事を書いていなかったので、過去のツイートを掘り返して、思い出しながら書いてみる。

結論

テーマ性も最高!音楽も最高!

実はこの映画、公開前から期待値が高すぎて、逆に不安だったのだが、不安を見事に吹き飛ばす内容だった。

というのも、主人公のモチーフ(敢えてモチーフと表現する)であるPT・バーナムって、アメリカのエンタメ界(興行界)のレジェンドだからだ。エンタメ界のレジェンドの話を、エンタメ映画にする訳だから、そりゃあ生半可は許されない訳だ。でも、これがアメリカのエンタメ精神じゃい!って堂々と胸を張れる内容になっていたので、凄く良かったよね。

あらすじ/概要

保険会社で働くしがないサラリーマンのバーナムは、本当はもっとデカい企画とかしたいのにと思いつつも、つまらないデスクワークに終われる日々だったが、どえらい海難事故で会社が破綻。ついに、俺の夢に向かって走り出すことを決意する。

初めは博物館(ヴンダーカンマー)、そして際どいフリークスショー(サーカス)を始めたバーナム。面白さこそ正義だと!アカデミズムの酷評などなんのそので、有名興行主になって、長年の夢だった地位と金を手に入れる。そして、バーナムの名声はイギリス女王陛下への謁見でピークに達する。

しかし、バーナムはそこで出会った有名歌手に一目ぼれし、大衆向けエンタメであるサーカスや家族をそっちのけに、上流階級向けのエンタメに浮気をしてしまう…。

面白さ

この映画の一番の面白さというか、肝の部分というのは、エンタメ最強説みたいな哲学の部分だろう。

エンタメはパワーであり、面白ければ世間に評価されるし、ド底辺からでものし上がれる。このエンタメ哲学は、アメリカにおいては今でも確かな存在感を持っていて、だからこそスター発掘番組みたいなのも盛んだし、歌や映画でアメリカン・ドリームを掴むみたいな夢がそれなりにリアルなのだ。

バーナムは、それ故にエンタメのパワーで、最下層からのし上がっていく。だからこそ、そんなバーナムの前に立ちふさがるのは、エンタメを理解しない人では無く、別の素晴らしいエンタメだったりする。バーナムは、エンタメの力で、サーカスの仲間たちという疑似家族(そこには後継者であり疑似息子であるザック・エフロンも含まれる)も手に入れる訳だが、別のエンタメに浮気してしまう事で、本当の家族も、サーカスの疑似家族も、同時に裏切る事になるのである。

エンタメ大好きおじさんだからこその、道の踏み外し方な訳だが、当然そうした今まで信じて来たものを裏切る道に未来は無く、失敗してしまう。そこで、何だかんだで元の鞘に戻れる辺りは、ファンタジーな訳だけども、そこはハッピーなミュージカル映画なので、多少はね。

多様性

また、エンタメの哲学はフリークスの扱いにおいても同じで、どんなに綺麗ごとを言おうが、フリークスって人と違うし、変わっている。でも、変わっているからこそ、面白い。だったら、その面白さを前面に押し出して武器にしてやろうという発想になっている。エンタメ至上主義は、多様性の尊重とも無理なく共存できる哲学なのである。

バーナムは、ハッキリ言って別にフリークスの人権に関心がある訳じゃない。ただ、フリークスが面白いし、戦力になるという事だけは確信している。だからこそ、一緒にエンタメを作る仲間になってくれ!と勧誘する訳である。

フリークス達にとっても、例え見世物的な扱いであろうが、社会に存在感を示せるなら、社会の闇、恥部として世間から隠されているよりは、100倍マシみたいな考え方になっている(様に見える)。自分らしさを堂々と活かしてスターになれるなんてチャンスは、そうそう無い訳で、フリークス達にとっても悪くない話なのだ(少なくとも出演している奴らにとっては)

ここには、多様性のある種の理想形がある。外野からの無責任な消費でも、擁護でもなく、違っているという部分に確かな面白さ=価値を見出され、立派な戦力として、仲間として共闘するという姿である。

これを『多様性の尊重』という今時のリベラルなお題目に対する、単なる目配せと考えるのは、むしろ浅はかな考えだというべきだろう。人間の多様性から来る面白さが、エンタメ至上主義と、見事に合流した姿として、敢えて今こそPT・バーナムという題材を描いている訳なのだから。

音楽

色々と述べたが、この映画で一番最高なのは、何といっても音楽である。特に幻想的な画作りと歌によって、紡ぎだされる世界は素晴らしいの一言。これに関しては、観て聴いてとしか言いようが無いが。

ちなみに、この映画はアカデミー主題歌賞は取れなかった訳なのだが(取ったのはリメンバーミー)、それはリメンバーミーが、そもそもリメンバーミーという曲を巡る話であった上に、主題歌を色んな場面で手を変え品を変え、使いまくって強調するタイプの映画だったからだと、個人的には思っている。

一方、この映画は主題歌一本で勝負するタイプではなく、あくまでミュージカルであり、色んな素晴らしい楽曲が登場する。なので、曲だけで言えば、余裕でグレイテストショーマンが買ってるよ!と言いたい。アカデミー・サントラ賞とか作ってもらえてたなら、間違いなく受賞していたはずである。

ちなみに、音楽を担当しているのは、ラ・ラ・ランドと同じチームだ。『ラ・ラ・ランド』はストーリーこそオタクのルサンチマンを美化した感じの内容で、音楽映画としてはクソなんだけど(音楽の素晴らしさより、オタクのエゴがまるで美しいモノが如く前面に出ているので)、音楽自体は素晴らしいって変な映画である。

構成

ついでに構成についても触れておこう。まずは宣伝で使われまくっている、クライマックスっぽいド迫力のサーカスシーンを、冒頭に持って来て観客に一発かまして来る所が最高だ。

ストーリーは、バーナムの少年時代から始まるのだが(キャラクターを理解させる為に必要なので)、ただその辺はそこまで面白い訳でもないので、冒頭で一発かましておいて、後はテンポよくという構成になっていて、なかなか上手い。

そして二幕の前半くらいのサーカス結成の所で、再びグッと盛り上がる。俺はここで泣いた!そこからバーナムの盛衰が描かれるけれど、同時に弟子のザック・エフロンの成長と師弟のバトンタッチも描かれるので、伝記映画にありがちな、最後は落ち目になって終わるみたいな切ない感じにはならず、、ラストはハッピーエンドでほっこり閉める。

普段はこういう構成的な部分をごちゃごちゃ評価しないけれど、アメリカ映画の三幕構成だとか、そういう観せかたの哲学(観客を飽きさせない技)って、実は巡業サーカスだとか、ショー(興行)から来ているらしいんだよね。この映画は、グレイテストショーマンなので、そういう部分も期待値を超えていて欲しいなと思った訳だが、超えていた気はする(うろ覚え)。なので、気が向いたら、その辺りも意識して観るのも良いかもしれない。

ざっと、思い出せる範囲で書いたが、兎に角まぁ、面白い映画だよ!(雑な要約)

あと、結構映画館で映えるタイプの映画でもある。


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by cemeteryprime | 2018-06-24 16:16 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ワンダー 君は太陽

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結論

予想外に面白かった!かなりの良作!

心に深く刺さる最高傑作とまでは、正直思わなかったが、これに関しては俺がこういうテーマの作品を割と観ているからで、そうじゃない人にとっては、十分に最高傑作になりうる映画では無かろうかとも思える。

あらすじ/概要

オギーは、重度の障害を持って生まれて来た子供で、主に顔面がグチャグチャで、整形手術を繰り返しているが、明らかに奇形って感じの面相をしている。

それ故に、永らくホームスクールをしていたのだが、いつまでもこれではいかんと、母親がオギーを小学校に入学させる事を決意する。そこから始まる、家族と学校の変化の話である。

面白さ

こういう言い方をすると身も蓋も無いが、障害者の子供を主人公にした、お涙頂戴モノのハートフルストーリーだと思っていた。観る前は。じゃあなんで観に行ったんだと言うと、特に他に面白そうな映画が無かったからである。

でも、実際はオギーも含めた子供たちの成長を描く群像劇だった。オギーが障害に負けずに努力した、頑張ったというよりは、オギーが学校に通い出した事で、周りの子供たちが(オギ―も含めて)変化し成長したという部分に、素晴らしさを見出す話になっているのだ。勿論、その過程は綺麗ごとだけではなく、糞みたいな話もいっぱいあるのだが。

でも、子供たちは機会さえ与えられてば、学べる。そういう部分を肯定的に描いている部分が素晴らしいと感じだ。

鈴木先生イズム

観ていて、ちょっと似てるなと思ったのは『鈴木先生』という作品だ。漫画はちゃんと全部読んだこと無くて、ドラマの方しか観てないけども。

この映画で、最初に「おっ!?なんか違うぞ?」と思ったのは、オギーの姉を主人公としてパートが始まった所だ。オギーは障害を持った子供なので、当然手がかかる。姉にとってオギーは可愛いのだが、オギーが生まれてからは、普通の家庭以上にオギーは家庭の中心になり、両親の愛情も独占する事になる。

必然的に姉は、小さい頃から手のかからない良い子にならざるを得なくなってしまったのである。サブタイトルになっている『君は太陽(サン)』というフレーズは、サン=息子=太陽のダブルミーニングで、要は家がオギーを中心にした太陽系みたいになっている点を示唆する言葉である。

こうした、問題児ばかりが構ってもらえて、良い子は放置されてしまう的な孤独や問題意識が描かれる点が、鈴木先生っぽいな~と思った所だ。まぁ、それ以外にも学校を中心に子供たちの人間関係や成長が描かれている点もそうなんだけども。

好きな演出

個人的に、想像力豊かな少年の空想交じりの現実みたいな表現が好きだ。最近だと、ボスベイビーなんかも、そういうマジックリアリズム表現が面白い作品だったのだが、この作品もオギーは想像力で巧みに辛い現実を改変しようとしていて、その辺りが個人的にツボである。

あと、少年たちの成長を描く上で、あると最高なのが、年上のいじめっ子たちに子供たちが力を合わせて反撃して、一緒に逃げて仲良くなる演出だ。活かした少年たちの成長物語にはこういうシーンが出て来るもんで、具体的にはスティーブン・キングの『IT』なんかの同様の場面が凄く好きだ。この映画でも、そういう場面がちゃんと押さえられていて、分かってるじゃん!って感じだ。

キャラクターの良さ

あと、個人的に良かったと思うのが、オーウェン・ウィルソン。この人は、軟派で流され安いけど、芯があるというか根は良い人みたいな役が似合うんだけど、この映画でオギーの父親役として、その辺りのキャラが死ぬ程上手く嵌っていて良かった。優しくて気配りもできて、強く主張はしないんだけど、実はこっそり、やることやっているみたいな感じで、こういう格好良い親父は良いよなーって思う。

あと、子供たちを導く先生たちも距離感が良いんだよね。説教臭くなくて、子供たちの自主性を尊重するという部分が、無責任な感じに思えない塩梅で、見守っている感が凄いというか。

あと、この手の映画(子供たちの成長物語)で一番重要なポイントは、子供たちのキャラクターだと思うのだが、みんな可愛らしいし(キャラが)、それでいて癖もあって、憎たらしいイイジメっ子とかも子供らしい所がちゃんとあって、凄く良かった。

まぁ、面白い映画なので、時間があれば是非観て損は無いはずである。子供たちにこそ見せたい系の映画だと思う。そういうのは、良い映画に違いない。


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by cemeteryprime | 2018-06-24 12:01 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ゴーストバスターズ(2016)

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ネトフリに追加されてたので、今更観た。

結論

正直、微妙…。

今作は公開前からアンチフェミ勢とリメイクではなく続編を望んでいた原作厨に叩かれまくっていた訳だが、結論から言えば一周してそれが割と的を得た批判になってしまっている点が、なんだかな~と思える。フェミの良い所じゃなくて悪い所が出ているし、原作の良い所を理解してない感じの薄っぺらいリメイク感で溢れていたのだ。

あらすじ

主人公のエリンは超自然現象を信じる物理学者。本物の幽霊と出くわすも、色々あって友達の科学者ともども大学を追われて無職になり、自分たちで幽霊退治の会社を起業する事になる。

…みたいな感じで、主人公たちが中年親父から中年おばさんになっているものの、大雑把には旧作のストーリーと同じ。作風の違いはおいといて、大きく違うのは人間の悪役がいる点だろうか。

主人公たちの暗黒面みたいなキモいオタク(男性)が、科学の力を使ってニューヨークに霊的なテロを仕掛けようとする。世間はそんな男の存在どころか、ゴーストも信じてくれない。どうするゴーストバスターズ!みたいな話。

面白く無さ

まず違和感を覚えるのが、全体的にファッショナブルというか、色彩もノリも明るくてポップになっている点だろう。旧作にも明るくポップな要素はあったが、同時にギークでクリーピーな要素もあったので、ある種の厚みが出ていたのだが、今作は後者が消えてしまっているので、単に軽薄でペラペラな印象が強い。

また旧作は、確かに主人公は中年オッサンなのだが、ストーリー的には子供心に溢れた、良くも悪くも男の子の世界である点が良かったのだ。しかし、今作は主人公を中年女性にしたからなのか、中年女性(もしくはイケてない女性)向けの世界になってしまっている。そりゃ、そういう女性層には刺さるだろうけど、対象が狭すぎないかそれ?という。しかも、ゴーストバスターズでやる意味ある?みたいな。

確かにこれでは、観た上でもバッシングを受けるのも致し方なしという気はする。クリへムを頭は空っぽで身体だけ良い金髪マッチョマンとして描くみたいなギャグも、頭が空っぽの金髪巨乳のセクシー美女に秘書をやらせて馬鹿さ加減をギャグにするのと本質的には大差ない訳で、フェミ的には皮肉が効いたギャクなのかもしれないが、差別を受けた側は差別をやり返しても良いのだ的な発想のギャグなので、やっぱりどこか狭いというか内向きな感じが否めない。

ガジェットも色々新しいのが出て来たけど、扱いにギーク的なフェティシズムが感じられなくて、悉く勿体ないなという感じ。

面白さ

1番興味深いなと思ったのは、ストーリーの構造的な変化である。ゴーストバスターズは、基本的に駄目なオタクが世界を救ってヒーローになるみたいな話だった。故に、主人公たちはモンスターの専門家で、モンスターを退治することでヒーローになる訳だ。

でも、今回の新ゴーストバスターズが戦うのは、厳密にはモンスターというより、自分たちのダークサイド的な人間である。一見これは良いオタクvs悪いオタクの構造になっている。

良いオタクvs悪いオタクの構造は、パシフィックリム:アップライジングでも見られた。でもあれは、良いオタクvs悪いオタクの部分はストーリーのメインでは無かった。あくまでメインは人間vsモンスターの部分で、脇役的にモンスターの専門家(オタク)同士の善と悪の対立があった形になっている。だからこそ、筋の通ったストーリーとして成立している訳だが、新ゴーストバスターズはどうか。

結論から言えばそういう構造にはなっていない。悪いオタクがモンスターも兼ねるという構造になっている。要は、良いオタクが悪いオタクを倒してヒーローになるという構造になっている。限りなく狭いのだ。

さらに付け加えるなら、主人公たちは良いオタクですらない。単なるイケてない中年女性たちなのだ。一方で、悪いオタクの方はきっちり悪いオタクとして描かれている。彼は科学の力でゴーストを解放し、ゲートを解放し、自らも人間を辞めて怪獣になろうとする。これは間違いなく悪いオタクだ。

一方の主人公は、成り行きでゴーストバスターズをやる羽目になる感じで、そもそもゴースト研究自体が過去の汚点だった様に描かれている。ゴースト趣味は、決別しなければ、職を得られないみたいな描き方である。その後の、ゴーストバスターズとしての活動が、基本的には白い目で見られ続ける描写も踏まえると、彼女たちにとってのゴーストバスターズ活動は単に自分らしさを隠さない程度の意味合いなのだと理解出来る。

それを踏まえると、新ゴーストバスターズは結局の所は、単にフェミがキモいオタクをボコって居場所を見つけて満足する物語になる。マイノリティが別のマイノリティを叩くだけの構図だ。それ故に、彼女たちは別に社会のヒーローにもならない訳なのだが、そんな話が面白いか?確かにシニカルで現実をそのまま反映したかのような物語ではあるが、そんなもんTwitterでしょっちゅう見かける構図だから、わざわざ映画で見せて貰わなくても…とは思う。

パシリム2の場合は本当に善のオタクvs悪のオタクだったからこそ、お互いに通じ合う部分もあるし、かつては友だったのにみたいなドラマ的な面白さも伴う訳だが、フェミがキモオタクを叩く話にドラマも糞も無いんだよ。


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by cemeteryprime | 2018-05-26 11:00 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ランペイジ

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結論

面白かった!

怪獣映画としても面白かったし、規格外の英雄と怪物がバトルする神話に出て来る様な物語でもあった。

あらすじ/概要

悪徳企業が宇宙ステーションでこっそり開発していた軍事用の怪獣作成ウイルスが事故により、地球に流出。ウイルスに感染した動物が怪獣に変貌して大暴れする。

…という感じで、あらすじは死ぬ程シンプル。主人公(ドウェイン・ジョンソン)は元傭兵でかつて密猟者の取り締まりを行う特殊部隊にいた男。その時に保護した白いゴリラの赤ちゃんジョージとの交流が切っ掛けで、今はアメリカで霊長類学者になっている。そんなジョージがウイルスに感染して怪獣化してしまい、主人公はジョージを助ける為に立ち上がるのである。

面白さ

この映画の面白さは、何といっても主演のドウェイン・ジョンソンの使い方だろう。ドウェイン・ジョンソンというハリウッド映画が時間をかけて生みだした、人というよりは怪獣に近いキャラクターの存在が、ついに怪獣の世界と人間の世界という通常は重なるはずの無い2つのレイヤーを完璧にクロスさせる事に成功したのだ。これは怪獣映画において1つの発明とも言える。

エイリアンみたいなサイズが人に近いモンスター映画ならともかく、街を破壊する様な巨大な怪獣は通常は、災害だとかのメタファーみたいなものなので、人類や軍隊の総力戦みたいな形式でなんとか立ち向かえる相手である。それ故に気まぐれな神の様にも描かれる。基本的に人が個人でどうこう出来る相手では無いし、怪獣同士の戦いは基本的には見守るしかないのである。が、ドウェイン・ジョンソンならそれが出来てしまうのである。

この映画は、3匹の魅力的な怪獣が出て来る映画なのだが、それ以上に実はドウェイン・ジョンソンが小型の怪獣である点がポイントになっている(これは、もちろん比喩表現であり、作中で人外な訳では無い)

映画を見れば分かるが、この作品は主人公がドウェイン・ジョンソンでなければ成立しない展開が山ほど出て来る。別の人間がやっていれば、途中で100回くらいは死んでいて然るべきなのだが、ドウェイン・ジョンソンならまぁ大丈夫かも…と思わせてくれる部分に最大のマジックがあり、それ故に面白い作品になっている。

ドウェイン・ジョンソン以外では成立しない荒唐無稽なストーリー展開、怪獣と人間(個人)のガチバトルが観たいなら、ランペイジを観るしかない!

現代のヘラクレス

人ではあるが、人を超えたイデアが宿った存在…要はある種の半神半人であり、彼らは物語の中で巨大怪獣と戦っていても何の違和感も発生しない。つまり、ヘラクレス的な存在である。

ハリウッドの映画界で、巨大な怪獣とタイマンで戦える説得力を持ったヘラクレス的なキャラクターを宿した俳優が何人存在するだろうか?個人的にはアーノルド・シュワルツェネッガーこそ、映画においてヘラクレス的なキャラクターを蘇らせた第一人者では無いかと思える。

そして、ドウェイン・ジョンソンはシュワルツェネッガーが切り開いた現代のヘラクレス路線を、正しく継承する俳優であり、現代のヘラクレス2.0というべき存在なのだ。なぜ2.0なのかと言えば、ドウェイン・ジョンソンの場合は単に神話級の筋肉超人というだけではなく、頭も良いという要素がプラスされているからだ。シュワルツェネッガーの場合は、こういうと失礼だが、あまり頭が良いみたいなキャラ要素は無かった。

ドウェイン・ジョンソンはランペイジにおいても、戦士であると同時に学者でもあるというキャラになっている。ジュマンジ:ウェルカム・トゥ・ジャングルでもマッチョな学者であった。もちろん、単なる脳筋の役もやっているが、顔の作りが若干神経質そうなというか真面目そうな雰囲気があるからなのか、単なる脳筋の役はいまいち似合わない。

戦士の肉体と学者の頭脳を兼ね備えたキャラクターの元祖としては、ドック・サヴェッジという存在がいる。193040年代のパルプ小説の主人公でスーパーマンの原型にもなったキャラである。

ちなみにドウェイン・ジョンソンはドック・サヴェッジの映画化企画で主演をするという話が出ている。また、ドウェイン・ジョンソンは過去にヘラクレス役もやっている。その映画におけるヘラクレスは、イデアとして“ヘラクレス“という伝説を上手く利用して立ち回るクレバーな傭兵として描かれていた。

ドウェイン・ジョンソンは名実ともに現代のヘラクレス2.0なのである。

ブラザーフッドの精神

また、あまり誰も注目していない要素ではあるが、ランペイジも最近のハリウッド映画の主流であるブラザーフッド精神の重要性を説く作品になっている。

実はランペイジは、理念の高さ故にアウトサイダー化していた孤独な奴らが手を組んで、既存社会が生み出した問題を、既存社会が想像しなかった方法で解決するという話になっている。なので、ついドウェイン・ジョンソンと巨大ゴリラに視点が集中しがちだが、それ以外の仲間にも注目して欲しい。

ジェフリー・ディーン・モーガン

特に注目して欲しいのがジェフリー・ディーン・モーガンだ。ドウェイン・ジョンソンは、良くも悪くも国籍不明感というか、多国籍感があるキャラクターなので、アメリカ人代表としてドウェイン・ジョンソンに協力するキャラが必要になり、それをモーガンが演じている。

この役はジェフリー・ディーン・モーガンじゃないと出来なかったはずだ。何故なら、ドウェイン・ジョンソンの横に並べても、フェロモン的な魅力で引けを取らない俳優(濃い漢という意味で)は、彼くらいしかいないと思うからだ。

ジェフリー・ディーン・モーガンは、危険でセクシーな中年オヤジみたいな役をやっているイメージがあるが、個人的に好きなのは『ウォッチメン』におけるコメディアン役であり、バットマンvsスーパーマンにおける、ブルース・ウェインの親父役(トーマス・ウェイン)も記憶に新しい。

ミスター・ノーバディ

また、彼が今作で演じるハーベイ・ラッセルのキャラも素晴らしい。政府の人間であり、非合法的な活動を指揮する立場にありながら、一匹オオカミ的で情に篤いカウボーイというキャラクターである。思うにハーベイ・ラッセルこそ、ワイルドスピードシリーズに登場したミスター・ノーバディ(演:カート・ラッセル)が本当に表現したかったイデアを体現するキャラなのではと思える。

確かにカート・ラッセルは昔なら上手く表現できていただろうが、歳を取り過ぎて表現(というかフェロモン)が弱くなってしまっている。『ワイルドスピード・アイスブレイク』では代替わり要員として、まだちょっとその域には達していないスコット・イーストウッドがリトル・ノーバディ役として登場していたが、ジェフリー・ディーン・モーガンであれば、ドンピシャでミスター・ノーバディを演じることが出来たんだろうなとこの映画を見ると思える。

怪獣と戦えそうで戦えない俳優

ドウェイン・ジョンソンこそ怪獣とガチンコバトルできる俳優であるという話をしたが、戦えそうで戦えない俳優はいた。サミュエル・L・ジャクソンである。彼も怪獣的な存在感を持つキャラクターであり、それ故に『キングコング/髑髏島の巨神』において、キングコングと対決させられた。まぁ、怪獣を倒せるレベルの怪獣パワーは無かったので倒されちゃう訳だが。サミュエル・L・ジャクソンは、アベンジャーズシリーズやトリプルXなんかでも、怪獣一歩手前な存在感を活かしたキャラを演じているが、どちらの作品でもキャラが強すぎるが故に若干使いあぐねている感は否めない。かといって、怪獣とガチンコバトルをするほどでも無い。使いどころが難しい俳優である。

ゴリラ映画としてのランペイジ

どうでもいいけど、ランペイジはゴリラ映画としても秀逸である。これに関しては観れば分かるとしか言えないが、ゴリラだから出来る表現みたいな要素を大いに活用しているのが楽しい映画でもある。これは、地味にキングコングでもやっていなかった点では無かろうか。

ゴリラだから人がやったらアウトな事を堂々と出来るし、怪獣だからやっても許されることをやれちゃうのである。そういう意味でも巨大白ゴリラのジョージはなかなか美味しいキャラだと思う。キングコングと違って、最新シリーズの猿の惑星に出て来た猿みたいに手話が出来るのだ。なので、色々と美味しいとこどりが出来て偉い!


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by cemeteryprime | 2018-05-25 10:24 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】レディ・プレイヤー1

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結論

映像的には面白いが、ストーリーは微妙。

端的に表現するなら、スピルバーグ版のソード・アート・オンラインという感じ。ただし、古いオタク文化の入り口としてのソード・アート・オンラインである。

あらすじ/概要

舞台は2045年。現実社会は完全に荒廃し、人々は一人のスーパーオタク技術者ジェームズ・ハリデーが作ったバーチャルゲーム世界オアシスに入り浸っていた。

ハリデーは死ぬ間際に、オアシスのどこかに隠したイースターエッグを見つけたものに、オアシスを含めた彼の遺産の全てを継承させると宣言(ワンピースのゴールド・ロジャーみたいだ)。かくして、それまで以上に人々は人生をかけてオアシスに潜ってイースターエッグを探すようになり、大海賊時代ならぬ大オアシス時代が到来したのであった。

そして主人公は家に居場所が無いゲームオタクの少年。彼は金目当てでは無く、純粋なゲームオタクとして、組織には属さずにハリデーが残したイースターエッグ探しというゲームに夢中になっていた。そんな彼がある日、ゲーム内で同じく組織には属さないタイプの謎めいた少女キャラと出会って…。

面白さ

舞台となるオアシスは、80年代に青春時代を送ったオタクという設定のハリデーが作ったバーチャル世界という設定なので、色んな映画や特撮やアニメやゲームのオタク文化が登場する。

日本のオタク文化からの登場キャラクターも多く、クライマックスで展開されるガンダムとメカゴジラの戦いなんかは、スピルバーグが映像化してくれたという点も含めて旧世代オタクにとっては失禁級のサービスシーンだろう。

ただ、最初の述べた様にストーリー的には、ほぼほぼソード・アート・オンラインという感じ。ゲームオタクが、ゲームを通じて世界の王になり、可愛い彼女もゲット!みたいな割と糞みたいな…というと語弊があるが、少年の心を持ったオタクの現実逃避に最適化された感じのユートピア物語であるのは間違いない。対象年齢は高校生くらいじゃなかろうか。

スピルバーグと旧世代オタク

この作品は、少年時代にオタク文化に救われたスピルバーグの、オタク文化へのある種の恩返しかもしれない。映画を観ればスピルバーグがハリデーに自分を投影しているのは間違い無いし、古のオタク文化を新しい世代のオタクに届けたいという思いを感じずにはいられない。

根底にあるのはオタクの世界においても分断が発生している現状に対する危機感の様なモノだろう。中高年オタクはこの映画を無邪気に喜んでいるが、果たして、メカゴジラやデロリアンや金田のバイクで喜ぶ若者はどれだけいるのだろうか。ストーリーは今時の若者に受けそうなSAOみたいな感じにして、この作品を入り口に、古いオタク文化に興味を持って欲しいという意図を感じる。

それを踏まえると、この作品に描かれている、最大のフィクションは、1つに統合されたオタク世界としてのオアシスの在り方では無かろうか。統合されたオタク世界というものは、実際の所は、非オタク的な人々の脳内にしかない幻想でしかない様な気もする。最近のオタクは、予備知識ゼロで楽しめるものを求めるし、予習が必要なタイプの作品は敬遠されやすい。オアシスの中で発生した様な、みんなが1つのオタク世界を共有し、夢中になって古い作品についての知識を求める世界なんて現実には存在しないのだ。今作は、そんな現実に対するスピルバーグからの切ないカウンターだとも言えるだろう。

脳内当てゲーム

もう1つ興味深いなと思ったのが、この映画におけるメインゲームの内容が、事実上のハリデーの脳内当てゲームになっていたという点である。

ストーリー構造的には、ゲーム世界の神(ハリデー)=主人公=原作者の自己投影みたいな感じなので、下らねーなとしか思わないし、主人公がハリデーの脳内を当てることで無双出来るという部分のオナニー感が酷すぎない?とも思うのだが、それはひとまず置いておこう。

何で興味深いと思うのかというと、日本のクトゥルフ神話TRPGという遊びにおいて発生しているガラパゴス的な特徴との類似性が高いからだ。

端的に言えば、プレイヤーが共通の世界観もクソも無く、各自の世界観をキャラクターとして持ち込み、みんなでゲームマスターの脳内当てゲームをして遊ぶという要素である。

はっきり言って、この脳内当てゲームという要素はそれが意図せず蔓延しがちな日本のTRPGシーンにおいても、批判的に語られる事の方が多い。実際の所は、パズルだったりクイズだったりの謎解きゲームなのだが、ディスコミュニケーション要素とゲームデザインの下手糞さから、実質的に作者の脳内当てゲームになっていると揶揄されている代物だからだ。

ハリデーの様に莫大な遺産が手に入るなら、作者の脳内当てゲームでもやる気は出るが、TRPGの場合は単なるハズレ感しかないので、批判されるのも仕方が無いだろう。それは兎も角、この共通点から視えて来るのは、自己表現や理解してもらいたいという欲望では無いのかと思える。

賞金は無くても、ゲームという形で、作者の脳内を当ててもらうという事は、ある意味で、忖度してもらえるチャンスでもある。自分できちんと説明することなく、相手に興味を持って貰い、意図を汲み取って貰うチャンスなのである。ディスコミュニケーションへの欲望(自分で説明はしなくても相手に汲み取って貰える)を満たす事が出来るのである。

また、プレイヤーが共通の世界観を無視して、思い思いのキャラクターを持ち込み、それになり切るという行為も、自己表現という文脈で理解できる。オンライン上で行われるTRPGのセッション動画なんかを見ていると、好きな漫画やアニメのキャラクターを持ち込んで、なり切っているプレイヤーは少ないない。図らずもこの作品のゲーム内で行われている光景が広がっているのである。なんなら、ガンダムやスーパーロボットを持ち込んでいる光景も見た事はある(メカゴジラは見た事ないが)

そういう意味では、なかなか現代の空気感を上手く切り取っている作品である気もする。ただ、個人的には、ライダー大戦みたいな取りあえずキャラクターがカタログ的にいっぱいでて来るだけで、ストーリーがいまいち面白く無いタイプの作品は嫌いなので、微妙だなと思った。話はジュマンジ:ウェルカム・トゥ・ジャングルの方が圧倒的に面白いよ。


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by cemeteryprime | 2018-04-22 15:40 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】アナイアレイション/絶滅領域

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結論

正直、いまいち。

映像表現的な面白さに特化し過ぎているというか、雰囲気重視な作品。メッセージ性やドラマやアクションで魅せるタイプの作品ではないので、個人的にあまり趣味じゃない。

あらすじ/概要

任務から帰って来た彼氏(軍人)の様子がおかしく、突然、血を吐いて倒れてしまう。そして、救急車で運ばれる彼氏に付き添っていると、怪しげな集団に捕まり、政府の謎の研究施設へと送られる。

どうも彼氏は、シマーと呼ばれる地球上に突如出現した謎の領域へ探査に向かった後に、失踪していたらしかった。シマーで何があったのか?いまいち事情も分からぬままに、主人公は集められた数名のメンバーと共にシマーへの探査チームに参加することになる。

面白さ

この作品を理解する為のポイントは、シマーが何を表現しているかという部分にある。

結論から言えば、シマーとはモノ(概念、ミーム、情報)の世界である。それ故に、シマーの内部では、時間の感覚も無く、不死性が存在し、色んなものが混ざったり、シャッフルされたりする。突然、肉体の一部が別のものに置き換わるのも、モノの世界だからだ。

これが理解できると、この作品は、単に人の世界がモノの世界に侵食され、最終的には人がモノに完全に代替されてしまうという状況を、隠喩的に描いている作品であると分かる。それ故に、それが理解できてしまうと、大したドラマもアクションも無いので、作品の面白さが映像的な比喩表現や批評性にしか残らない気もする。そうした表現部分を純粋に楽しめる人にとっては、特に問題無い気もするが。

シマーがミームの世界だという点は、例えば主人公が遺伝子学者である点からも理解できる。生物の遺伝子であるジーンと、モノの遺伝子であるミームは対極的な存在であり、生き物であるからこそな有限性とモノだからこその不死性という対比も何度も出て来る。

また、主人公の浮気については、ある種の人の代替性を示唆する表現だと理解出来る。人の抜けた穴や寂しさは、別の人で埋めることが出来るし、最終的には別のモノでも埋める事が出来るのである。

主人公以外のシマー探索に選ばれ人たちにも、モノの世界やモノへの代替に惹かれる傾向が、特徴として描かれている。自傷癖なんかの自己破壊衝動は、パシフィックリム・アップライジングでモノに憑りつかれたニュートの特徴として描かれていたが、自分を別のモノに変化させたいという衝動だと理解できる。不治の病を抱えている人も、言うまでも無い。

現実世界において、技術の進歩で、人の色んな能力や属性は切り取られ、代替できるようになっている。更に最近では指紋や顔や声が、機械的な個人の認証方法として使用可能になったのと平行して、簡単にそうしたものを機械的に偽造したり盗んだりできるという問題も出現している。こうした状況は、シマー内でも再現されている。

ラヴクラフト要素について

実はこの作品は、ラヴクラフト作品…『狂気の山脈にて』に影響を受けているらしい。

実はこの世は地獄の様な場所だったを、マジックリアリズム的に表現するという意味では、確かに似たような所はあるかもだが、微妙にニュアンスが違うなという気もしている。というのも、ラヴクラフトの世界観においては、世界は人が知らなかっただけで、太古の昔から本質的に恐ろしい場所なのであって、それはシマーの様なある日宇宙から飛来した要素では無いからだ。

同じくラヴクラフトの影響を受けた作品としては、エイリアンシリーズの方がそうしたニュアンスを上手く掴んでいる。エイリアンや続編のプロメテウスにおいては、生き物の気持ち悪さや、人間はそもそも得体の知れない存在から生まれたという要素がきちんと描かれている。ラヴクラフトの『狂気の山脈にて』も、実は恐ろしい邪悪な先住種族の、醜悪な奴隷種族が、人間を含めた地球上の生命の起源かもしれないという事が示されるのがヤバいのであって、別にヤバいエイリアン的な種族とのコンタクト自体が恐ろしいのではないのである。

今作は言ってみれば、ショゴスや古のものについて何の説明も予想も提示されない『狂気の山脈にて』という感じである。特に何の情報提示もされないまま終わるクトルゥフ神話TRPGのセッションにも似ている。

もし、本当にそうした作品をリスペクトする気があるなら、シマーは外から来たのではなく、もとから地球にあった要素として描くべきだし、人類とモノの関係性を踏まえると、人類の起源にもシマーは関係していたみたいな描き方をすべきでは無かったのだろうかと思う。それこそ、2001年宇宙の旅における、モノリスみたいな感じで。

過去作との関係性

ちなみに監督はこの作品が何についての話なのかは明確なので、これ以上分かり易くする必要は無いと、言っているらしい。まぁ、確かに分かり易いとは思う。

この監督の他の作品は見た事ないのだが、人がモノに代替されるというテーマだったり、人とモノの対決がテーマだったりするらしいので、そうした作品の延長線上にこの作品が登場するのは、自然な流れだとは思う。

個人的には、同じテーマを扱いながら(ジャンルは違うが)、遥かに面白いパシフィックリム・アップライジングの方をお勧めしたい。


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by cemeteryprime | 2018-04-19 10:51 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】パシフィック・リム:アップライジング

デルトロ監督のパシフィック・リムの続編。

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結論

かなりの傑作!

今作の監督は、海外ドラマ『スパルタカス』や『デアデビル』の製作総指揮で知られている、スティーヴン・S・デナイト。代表作から分かる様に、キャラクターの描き方が上手く、超面白いドラマやアクションやお約束が描ける監督なので、その辺りの品質は折り紙付き。

ただ、パシリム1作目が神作品だと思っている人ほど、違和感は大きいかもしれない。というのも、1作目がオタクのユートピア世界を描いた作品だったのに対して、今作はパシフィック・リムを使って現実社会をマジックリアリズム的に描いた作品だからだ。

あらすじ/概要

舞台は前作から10年後の世界。前作で怪獣たちがやって来る次元の裂け目への攻撃は成功して閉じたものの、世界は再び怪獣の侵略に怯えていた。

そして巨大ロボット、イェーガーによる防衛体制を再構築する為に若いパイロットを育成する一方で、遠隔操作や、無人操縦システムへの移行も進められていた。

そして無人操縦システムへの移行を審議する会議の最中に、謎のイェーガーによる襲撃事件が発生する。

面白さ

先にも少し述べたが、今作の面白さは何と行っても、ロボットや怪獣が大暴れする日本のオタク的なユートピアを描くという方向性から、一転して、オタク的なユートピアを記号的に使って現代社会を描くという真逆の方向へ転換してみせた点だろう。

ロボットや怪獣が戦うオタク的な世界観の魅力は、前作にて出し切った。じゃあ、続編がやるべきことは何だろう?となった際に、1作目をゲートにして、現代社会を理解する為のきっかけになる意味のある作品を制作しようという選択をしたのは、素晴らしい判断だろう。そしてなにより何より、最近のデルトロの作家性をきちんと踏まえているという点も評価したい。

というのも、デルトロは、シェイプ・オブ・ウォーター絡みの発言において、入り口は何でも良いから(デルトロの場合はオタク趣味だったが)、物事に深く興味を持てば、色んな勉強をする事になり、それが世界や他者に対する理解へと繋がるというメッセージを語っていたからだ。真剣に見つめれば、作品の向こうには、常に他者や異文化があり、自分も含めた人間本質があるという話である。

故に、1作目で魅力的な世界観を作り、それを使って、2作目で現代社会を風刺するという方法論は、理に適っているなと思うのである。勿論、単に風刺性が良いだけではなくて、正直キャラやドラマの描き方は1作目よりも良いと思うし、オタク趣味要素についても一作目でまだやっていなかった事を幾つもやって見せてくれる。

ハリウッド版オタク映画としての続編を期待していた人には残念な部分も多いだろうが、日本のオタク作品の良い所を駆使しつつも、ハリウッド映画の良い所と上手く合体させて来たなという意味では、文句なしに傑作だと思う。

富士山

今作のラストは、怪獣から富士山を守れ!という展開になるのだが、個人的にはこれはもう、オタク的なクールジャパン文化は俺たちが継承するし守ってやるぜ!というハリウッド映画からの恐ろしくも頼もしいメッセージに思えた。

前作のパシフィック・リムが公開された時にも、日本のクリエイターたちは、ついに怪獣やスーパーロボット作品でアメリカに遅れをとる時代が来たかと戦慄を受けていたが、更なる追撃をかまして来た恰好である。でもデルトロだけではなく、今では日本の怪獣やロボットアニメが大好きというオタク趣味なんて、日本でも珍しく無いが、世界でも珍しくないのである。つまりは、単なるオタク文化先住民としてのアイデンティティにしがみ付いているだけでは、技術もリテラシーも高い奴らには、リスペクトされているが故に、あっさり追い抜かれるのだ。

日本のクリエイターは、更に狭い世界に逃げ込むか、歴史を知り、ライバルを知り、パワーアップを目指すのかの選択を迫られている。はず。

新しい主人公

ちなみに今作の主人公は2名のアウトサイダーだ。1人は、1作目に出て来たペントコスト司令官の息子のジェイクで、五月蠅い親父に嫌気がさして軍を離れ、金の為に工場からイェーガーの部品を盗んでは売りさばくという生活をしている。もう1人はアマーラという孤児の少女で、いつかまた襲来する怪獣から身を守る為には、軍にばかり頼っていられないと、盗んだイェーガーの部品から、個人用のミニ・イェーガーを作っている。

二人とも泥棒な点は意味深だと思っている。弱い事を自覚しているが故に、足りないものをパクっていくタイプの弱者だからだ。本当の意味での新しい世代というのは、常に社会のアウトサイダーとして登場し、既存の何かを軽視し遠慮なくパクるやつらなのだ。こうした無頼な新世代が引き起こす問題というのは、日本だと過去には割れ厨が、現代には漫画村なんかが問題になっているが、旧世代によっての新世代とは常にそういう奴らなのである。そういう意味では、新しい主人公のキャラデザとしてなかなか面白い。特にジェイクは、英雄の血を引きながらも、今ではアウトサイダーであり泥棒なのである。

まぁ、日本の社会とは異なり、パシフィック・リムの社会は賢いので、二人は排斥されるのではなく、新世代を担うメンバーとして軍に強制加入させられるのだが…。

人とモノの神話とオタク

全体的な作品の構造としては、この作品は人とモノ(物神)の戦いを表現している。人はモノを作り、モノで遊び、自分たちが作ったモノに支配される生き物である。人を支配してきた存在である、神も国家権力も資本主義経済もインターネットも、全ては人が作ったモノなのだ。

怪獣や巨大ロボットというものは、人が作り出した巨大なモノ(物神)のメタファーでもある。怪獣は悪いモノ、巨大ロボットは善いモノくらいのニュアンスの違いでしかないが、モノの善し悪しは結局は人間次第なので、直ぐに裏切られる事になる。

そして、こうした人とモノが戦う神話的な世界観において、オタクは熱心な物神(モノ)崇拝者として重要な意味を持つのである。つまり、良くも悪くも人とモノを繋ぐのは、オタクなのだ。

人とモノの戦いを描くからこそ、物神崇拝者としてのオタクにスポットがあたるというこの構造は、オタク神話の在り方としてなかなか面白い。怪獣と戦うには、怪獣オタクの力がいる。しかし、怪獣オタクだからこそ、怪獣を好きにもなってしまうのである。

前作では、オタクの世界をユートピア的に描かれていたので、二人の怪獣博士は単に怪獣との戦いにおけるキーマンとして描かれたが、今作ではオタクのダークサイドも描かれる。それはオタクだからこそ、人よりも怪獣を愛し、危険なものを作ってしまうという部分である。

ニュートとゴットリーブ(深刻なネタバレ含む)

デルトロのシェイプ・オブ・ウォーターは、かなり厳し目にオタクの暗黒面を描いていたというか、オタクへの自己批評性が含まれていたが、今作ではオタクに全面的にスポットが当たるという構造上から、オタクの良い所と悪い所を二人のキャラに分けるという描き方をしている。

とは言え、劇中でニュートとハーマンのオタク博士コンビのキャラは前作を踏襲しているし、今まで通り仲良しである。しかし、二人は前作で怪獣とより深く繋がった結果、ニュートは更なる怪獣狂信者となり、ハーマンは怪獣に対する危険認識をより深めたという違いが出てた。危険だからこそ惹かれるよく知りたい、危険だからこそ対策を考えるという、潜在的な違いが決定的になったのだ。

この二人の違いは他人に対する態度にも出ている。ハーマンは明らかに人見知りでコミュ障害ではあるが、前作でニュートに対して心を開く様になった事で、人に対する愛情表現の様なものをきちんと出す様になった。一方で、ニュートの方は、今まで通り人当たりは良いが実は完璧に人に対して興味を持っていない。

違いはキャラクターの表面的なデザインにも現れていて、ハーマンの方は全身に怪獣の刺青をしていたり、自分を実験台にした危険なドリフトを行ったりと、明らかに自己破壊的な傾向が見られる。ハーマンの方は身体に障害があり虚弱系なキャラだからか、そうした破壊に惹かれる傾向は特にみられない。

ハーマンとニュートはおなじ知能の高い怪獣オタクだが、恐らくハーマンは身体的な問題や天才性から来るマイノリティ要素と弱者性によって、怪獣に惹かれたと思われる。一方ニュートは、公式に精神年齢が12歳というキャラ設定になっていて、そこに根源的な理由が見え隠れする。子供だからこそ、圧倒的なパワーに惹かれるし、弱い自分が嫌いなので、自己破壊衝動を持つのだ。そして、破壊衝動は世界にも向けられる。何故なら、人はルールやシステムを破壊すると何だか自分が成長した気になるからだ。だからニュートは作中で、システムを乗っ取っていた事を嬉しそうに暴露するのである。

思いついた事を適当に書きなぐったが、そんな所だ。最高の映画だぞ!


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by cemeteryprime | 2018-04-15 21:19 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル

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結論

なかなか面白かった!

メッセージ性もしっかりあるけど、基本的に高校生くらいを対象にしている作品なので、軽い下ネタなんかも多めで気楽に観れる感じ。

あらすじ

散々言われているが、基本はブレックファスト・クラブみたいな感じだ。ゲームオタク、ジョックス、ガリ勉女子、自分にしか興味ない自撮り女という、本来交わらないタイプの高校生たちが、居残りをくらって倉庫の片付けをさせられる。

そこで呪われたゲームであるジュマンジを発見する。ちなみに今作に登場する呪いのボードゲームのジュマンジは、1995年にボードゲームなんて今時流行らないよな~という少年のディスりを受けて、TVゲームに変身している。そして、ゲームプレイした主人公たち4人は、ゲームの中の世界に吸い込まれてしまう。吸い込まれた4名は、ゲームの中でプレイヤーキャラクターと化していた。そして、ゲームをクリアしないと元に戻れない事、最大3しかない残機が0になったら死んでしまう可能性を突きつけられる…。

という感じで、ごちゃごちゃ言ってないで協力し合わないと死んでしまうという、テンポの良いブレックファスト・クラブ版ソードアート・オンラインという感じなのだ。ちょっと前に同じく、ブレックファスト・クラブをベースにした感じの映画版パワーレンジャーという作品もあったが、普通にこっちの方が面白いし、話も上手いと思った。

面白さ

個人的に一番面白いなと思った点は、RPG的な要素の使い方だ。自分とは異なる他人をロールプレイングすることで、他者への理解を深め、更には自分についての理解も深めていくという作りになっている。

ここでいうロールプレイングとは、キャラクターの長所と短所を理解し、長所を活かす形で行動し、仲間と助け合ってお互いの短所をカバーしあうという要素である。

多様性についての理解と、多様性があるからこそ助け合う意味があるという社会の在り方についてのメッセージを、RPG要素として上手く表現しているのだ。みんなそれぞれ問題を抱えているんだという、理解のその先がきちんとメッセージ化されていて、とても素晴らしい作品だと思うし、何より分かり易い。

ボスベイビーもそうだったが、分かり易く作るという要素は何だかんだで重要だろう。理解を深めれば、素晴らしいメッセージがあることに気付けるタイプの作品は、芸術的な完成度は高いが、メッセージとしては弱いのだ。

ソード・アート・オンライン(SAO)との比較

ゲームの中に閉じ込められてクリアしないと脱出できないという状況は、日本人の若者的にはソードアートオンラインをまず想像するのでは無かろうか。

ただRPG世界におけるプレイヤーキャラクターに投影された理想の自分が、何故か現実世界の自分のイメージを逆ハックするSAOとは、RPGという要素の捉え方が真逆に近いのが面白い。

ジュマンジにおけるRPG的な抽象化は、現実を理解しやすくする為の想像力だったが、SAOの場合は、見たいものだけを見るという為の抽象化であり、それを現実にフィードバックする為の想像力なのである。実際に、現実社会に蔓延していて、世界的に問題になっているのはこのSAO的なリアリズムなので、この2つの作品は、セットで観る事でより意味のあるものになると個人的には思う。

コリン・ハンクス

あと、個人的に解説しておきたいけど、限りなくどうでも良い面白ポイントは、アレックスの正体についてである。ゲームに閉じ込められていたアレックスの20年後の姿を演じているのが、コリン・ハンクスなのだ。個人的にはコリン・ハンクスと言えば、『ロズウェル、星の恋人たち』という青春ドラマで冴えないオタク気味の高校生アレックス・ウィットマンを演じていた俳優なのだ。そんな彼が20年後のおっさんアレックス役として出て来たので、謎の感動があった訳だが、これはロズウェルを観ていなかった人には全く共感できない話である。


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by cemeteryprime | 2018-04-07 11:42 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】ボス・ベイビー

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結論

それなりに面白かった。

メッセージ性はそれなりに立派なモノだと思ったが、アニメとしての面白さとメッセージ性のバランスが少し悪かった様に思える。

ただ基本的に赤ちゃんギャグが多めで劇場の雰囲気的に子供には凄く受けていたので、大人にはしっかりとしたメッセージを届けつつ、子供には娯楽アニメとして素直に楽しんでもらうという、目的は上手く行っていたと思う。

所々、テンポが悪く感じる部分があり、大人向けメッセージの部分が露骨過ぎるとも思ったが、あまり巧妙にメッセージ性と娯楽アニメ性を一体化させていると、メッセージ性が伝わらない可能性が高いことを考えるとこのくらいのバランスがベストなのかもしれない。

あらすじ

ティム・テンプルトンは想像力豊かな7歳の少年。両親に溺愛されていてティムはそんな生活を満喫していたが、ある日テンプルトン家に赤ちゃん(ティムの弟)がやってきたことで、状況は一変してしまう。

両親は朝から晩まで手間のかかる赤ちゃんの世話にかかりっきりになり、ティムは放置されてしまう。こいつはテンプルトン家を乗っ取る為に送り込まれてきた悪い奴なのでは?というティムの疑心暗鬼は膨らんでいき、ついに赤ちゃんが外部の何物かと会話している現場を目撃してしまう。

赤ちゃんはボス・ベイビーと名乗り、あかちゃん株式会社から送り込まれてきたエージェントだという。赤ちゃん株式会社の使命は、可愛いペットに人間の愛情のシェアを奪われつつある赤ちゃんのシェアを回復させること。品種改良でどんどん可愛らしくなるペットのワンちゃんが赤ちゃんにとっての一番の脅威なのである。そして、ティムの両親はそうしたワンちゃんを開発する会社の社員なのであった。

任務が終われば家を出て行くというボス・ベイビーの話を信じ、ティムは両親の会社が新しく開発中の新商品の情報を手に入れる協力をすることになるが…。

面白さ

この作品は、冒頭から明確に想像力豊かな少年の主観によるマジックリアリズム物語ですと宣言している。更にエンディングでも「~という話だったのさ」という形で父から子供に聞かせる昔話であった事を改めて示す。

なので、比較的ハッキリと大人向けには寓話であることを宣言する作りになっている。

メッセージ性としてはシンプルで、両親の愛を奪い合う兄弟の姿は、社会における国民同士のいがみ合う姿のメタファーなのである。後から来た新参者や、手のかかる弱者に回すリソースは無いという態度は、赤ちゃんに対する子供っぽいライバル心を剥き出しにする主人公の態度に似ている。

もう1つ面白いのは、赤ちゃんのライバルが可愛いペット犬になっている所だろう。面倒くさい赤ちゃんよりも、人によって都合の良い存在になるように品種改良されたワンちゃんが、シェアを奪うという構図は、人が人ではなく便利で快適な道具に心を奪われる様になっている社会のメタファーでもある。

分かりやすいが…

そして、エンディングテーマとして、駄目押しの様に世界に必要なのは(今世界に足りていないのは)人を愛する心だという、ド直球な歌詞の歌も流れる。

全体的に凄く分かりやすいし、良いテーマなのだが、裏を返すとストーリーとしては、それくらいしか言っていないという話でもある。今、世界にはある種のブラザーフッド(兄弟愛)が足りていない。

後は、赤ちゃんという存在をある種の異種族として扱う設定面の面白さを掘り下げたり、延々と赤ちゃんギャグをするだけのアニメなのだ。

この作品も、リメンバーミーみたいに冒頭に短い『ビルビー』という動物アニメが同時上映されている。内容は、自分には関係ない他人だけど危なげで放置できないので助けてあげるうちに家族になるという、動物アニメ。

どちらもメッセージとしてはいまち毒が無いというか、ちょっと性善説的な部分にしか訴えかけていない印象が強いが、分かりやすいってのは良いことでもある。というのも、シェイプ・オブ・ウォーターやリメンバーミーという作品は明らかに傑作なのだが、メッセージ性に関してはいまいち伝わっていなくて残念…という光景をネット上ではよく見かけるからだ。深すぎるメッセージ性は伝わらない問題があるのだ。

その点、ボス・ベイビーはメッセージ性が拾いやすいし、誤読のしようもない感じで、これはこれで作品としての良い特徴だとは思う。ちびっ子には受けるし、大人向けの作品でもあるので、観に行って損は無いぞ!


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by cemeteryprime | 2018-03-29 14:19 | 作品・感想 | Comments(0)

【映画感想】リメンバーミー

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結論

傑作。同時上映の『アナと雪の女王/家族の思い出』も傑作なので、さっさと劇場へGO

あらすじ/概要

主人公は、音楽が好きでミュージシャンになりたい少年ミゲル。しかし、ミゲルの一族は高祖父に当たる人物がミュージシャンとしての夢を追いかけ、妻と娘を捨てて家を出てしまったという過去があり、それが一族のトラウマとなっていて、あらゆる音楽を禁止する謎の文化を持っている。

ミゲルの一族は、高祖父に捨てられた高祖母が始めた靴職人という稼業を代々受け継いでおり、地に足着いた人生を送る事を良しとしている。

高祖父の存在は、黒歴史として消されているのだが、ひょんなことからミゲルは高祖父がミュージシャンであったこと、それも地元出身の伝説の国民的ミュージシャン、デラクルスである事を示唆する証拠を発見してしまう。

その発見を受けて、ミゲルはミュージシャンになりたいという夢を家族に告白するが、猛反対を受け、音楽コレクションを破棄され、ギターも破壊される。挙句の果てには正式に靴職人として家業の一員になることを迫られる。

死者の日(お盆みたいなヤツ)のタイミングで、家出をしたミゲルは、地元の音楽大会に参加してミュージシャンとしての第一歩を踏み出そうとするが、ギターは家族に破壊されてしまっている。そこで、ミゲルはデラクルスの霊廟からギターを借りる(≒パクる)のが、死者の日に死者から盗みを働いたせいで、呪われてしまい、生きながらにして霊界に迷い込んでしまう。

呪いを解くには、死んだ霊界にいる自分のご先祖様から許しを得る必要があるのだが、高祖母を始めとするご先祖様たちはミゲルがミュージシャンを目指さない事を条件として付けて来る。そこでミゲルは、音楽嫌いなご先祖様連中では無く、高祖父であるデラクルスを探すが…。

面白さ(ネタバレ含む)

この作品のテーマは、正しく歴史と向き合うこと、家族に向き合うこと、そして死者をリスペクトする事である。

例えがあまり良く無いが、ミゲル少年の状況は、日本に置き換えると、高祖父は大日本帝国で、家族は戦後の左翼で、ミゲル少年は今時のネット右翼という感じで解釈できる。

このネトウヨ版ミゲル君は、高祖父の存在は国家にとって悪であり黒歴史であり、とにかに駄目だから右翼的な思想も捨てろと、偏った教育されてきた訳だ。でも、右翼思想自体は魅力的で、ミゲル少年はこっそりハマってしまう。そして、きちんと過去に向き合わなかったからこそ、ネットで真実みたいな感じで、歪んだ真実…高祖父=大日本帝国は実はスーパースターだったのでは?という嘘が入り込んでしまうのだ。

映画を観れば分かるが、最終的にミゲルの高祖父はデラクルスでは無かったことが判明する上に、デラクルスはとんだインチキ野郎だったことも判明する。

ミゲルの一族は、過去のトラウマから目を逸らし続けた結果、ミゲルという家族にきちんと向きわず、結果としてミゲルを嘘の世界に追い込んだのである。

この場合の嘘の世界とは、デラクルスは偉大なミュージシャンであり高祖父でもあるという世界観と、死後の世界という嘘(=想像上)の世界でもある。

死後の世界と死者

この作品のもう一つの面白さは、死後の世界や死者を扱っている点だ。当たり前の話だが、死後の世界や死者の霊というものは、物理的には存在しない。概念的な存在である。語弊のある言い方をするなら単なる嘘とも言えるし、意味のあるフィクションであるとも言える。

つまり、リメンバーミーという作品はフィクションの世界についてのフィクションなのだ。リメンバーミーにおける死者というのは、人間としての肉体を喪失して純粋にキャラクターとなり、業績を称える物語や家族の昔話の中の登場人物となった存在でもある。だから、忘れられるとキャラクターとしての第二の死を迎えるのである。死者の第二の死の話というのは珍しいが、キャラクターが忘れられると死を迎えてしまうという話自体は、そんなに珍しくは無い。

もう1つ注目したいのは、デラクルスが他人が作った曲を盗んだという話である。先に述べた様に作品も死者も、創作物であるという点では同じである。では、単なる創作物を何故重視する必要があるのか。

それは、あらゆる創作物の誕生には、無数の人生が関わっているからである。死者は一人の人間の人生が元になって生まれるキャラクターであり、語り部たちの想いも込められる。曲には、作者の色んな想いや人生経験が込められているし、あらゆる創作物は先人の創作物をベースにして作られてる。

作品や死者へのリスペクトは、実在する、もしくは過去に実在した人々へのリスペクトにもなるのである。更に言うなら、モノを作るというのは人間の本質である。人間は子孫以外にも、沢山のモノを作って残すのである。死者としてのイメージもその1つだ。そういう意味では、あらゆるモノは実は人類の親戚とも呼べる存在なのである。故に、モノを軽視することは、人間の本質を否定する事にも繋がるのである。

ちなみに、エンドロール後というか途中で、沢山の遺影みたいな写真が出て来る。誰の写真なのかは知らないが、リメンバーミーという作品を世に出すに当たって直接なり間接的になり貢献した人々なのだろう。彼らはミゲルにとってのご先祖様に当たる訳だ。…という演出もあるので、エンドロールも最後まで観てあげて欲しい。

覗いてみれば

嫌なものがあるからと目を背けずに、過去としっかりと向き合えば、素晴らしいものがあるかもよ?というのは、リメンバーミーのテーマであるが、作中では更なる嫌なものを発見する可能性にも触れているのがバランス的に素晴らしい。

嘘の世界に追い込まれたミゲルは、結果的にではあるが、作中で憧れの存在であったデラクルスが糞野郎で、尚且つ高祖父を殺した犯人であったという衝撃の真実に到達する。勿論、それ以上に嬉しい真実も掴むのだが。

更にミゲルの高祖父が作曲していたという歴史的な事実が明らかになったお陰で、エンディングでは高祖父の未発表の曲も発掘された事が分かる。過去に向き合うこと、家族に向き合うことの、ポジティブなメッセージだ。

アカデミー主題歌賞

この作品を観る前は、グレイテストショーマンを抑えてアカデミー主題歌賞だと?どれほどのもんじゃい!と思っていたのだが、観て見ると納得度が高かった。

というのも、リメンバーミーの場合は、音楽自体はそこまでメインテーマでは無いんだけども、だからこそ主題歌の使い方が上手かったとも言える。曲自体がストーリー上重要な意味を持つガジェットとして機能していたし、何度も作中で歌われ、更に場面によって色んな意味を持つという風に、とことんこの主題歌の魅力を引き出す工夫があったと感じた。

一方、グレイテストショーマンの方は、曲自体は凄く良いんだけど、そもそもミュージカルだという事もあって、色んな名曲がそれぞれの良さを主張し、複数ひしめき合う構成になっていたので、主題歌が突出して機能していた感じが低かったのかもな~という印象。

個人的に曲単体としてはグレイテストショーマンの方が好きだ。

家族の死

もの凄い個人的な話になってしまうが、リメンバーミーを観て感動した翌々日に、同居していた祖母が死んだ。祖母はかれこれ10年ほど、ママココ以上にボケてしまっていて、リメンバーも糞も無いんだよという感じで要介護状態だったのだが、ボケて狂暴化とかはしなくてパンダの赤ちゃん状態で愛されていた。

曖昧になってる以外は特に病気とかもする事もなく、最期もこれ以上ないくらいにソフトランディング的な逝き方だったのも大きいが、そんな祖母の死が特別悲しく無かったのは、リメンバーミーという作品の影響もあったはずである。

リメンバーミーにおいても、ママココの死はかなりあっさり描かれているというか、むしろ良かったじゃんくらいに描かれている。タイミング良く似た経験をしたので気付いたのだが、リメンバーミーは家族と死者の世界の話なのに、家族の死を特にメインに描いていないというのは、実は割と特殊なバランスでは無かろうか。

ただ、ストーリーを観れば分かるが、リメンバーミーという作品は、実はミゲルの話であると同時にママココの話でもあった。父親と離れ離れになったママココが、ミゲルの手を借りて、父親と再会する話だったのだ。

リメンバーミーにおける死者の世界の描写は、実際の所、ミゲルの想像力が作った世界であるとも解釈が出来る。ミゲルの中の物語において、ママココはしっかりとした意味を持ち、収まるべき所に収まったのである。だからこそ、そこに喪失感や悲しみは無いのである。


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by cemeteryprime | 2018-03-19 20:49 | 作品・感想 | Comments(0)

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